第10話 青年と少女

 渉は途方に暮れながらとぼとぼと坂を下る。確かに、あそこでああいうのは不味かったと一人猛省をしていた。気が晴れないので、図書館にでも行こうと瑠璃子とふみの後ろ姿を見ながら、自転車に乗る。ペダルを強く踏み込み瑠璃子達を抜かして行った。その様子を瑠璃子は悲しげに、ふみは心配したように見ていた。

 自転車を漕ぐこと三十分。いつもより早く図書館に到着した。渉はハンカチで顔や頭の水を拭い、図書館に入る。渉は先程の失態を忘れたかった。それには図書館で調べ物をして、仕事をするしかないと思ったのである。渉はいつものように歴史の本があるところへと向かう。そこで目的の本を取り、席へと戻る。渉が常に持ち歩いている鞄の中からノートを取り出す。やがて渉は本の世界に没頭して行った。

 かなり長い時間が経った。渉は背伸びしてノートから顔を上げた。対面には先程渉を道端の塵のような評価をした小西ふみが座っていた。渉は驚きのあまり、椅子から転げ落ちそうになる。

「貴方、全然気がつかないのね」

 ふみは頬杖をしながら渉を呆れたように見つめていた。

「ふみさん……こんにちは……お久しぶりです」

「お久しぶりと言っても二時間ぶりだわ。貴方の顔、もう一時間も眺めていたのよ」

 二時間。瑠璃子から貰った銀時計を見ると既に四時近い。そこまで没頭していたのかと渉は思わず唸った。その様子を日本人形は黙って見ていた。黒く、長い髪に手ぐしを入れ廃れたようにぽつりとふみは言う。

「悪かったわ」

 渉はきょとんとした。何が悪かったのだろうか彼にはさっぱり分からなかったのである。

「瑠璃子の前で、貴方を貶したこと。私思わず嫉妬しちゃったのよ」

 嫉妬とは。渉は首を傾げた。

「そうなんですか」

「僕が男だったら瑠璃子をお嫁さんにしたいくらい好きだったの……そう……好きだったの。あの顔立ちも、立ち居振る舞いも全部全部。私あの子と二年も一緒に居たのに、ぽっと出の貴方に瑠璃子をとられるのが悔しかったの。ごめんなさい」

 『いのち短し、恋せよ乙女』という唄の流行を渉は思い出す。そうか、この乙女は瑠璃子に恋をしていたのかと渉は初めて気づいた。

「構いませんよ。というか貴女、学校にいるときと別人のようですね」

「これが本当の僕よ。瑠璃子にも見せられない、ぶっきらぼうで廃れてるのが本当の僕。学校ではお利口さんのお人形さん」

「瑠璃子さんにはどうして見せられないのですか」

「きっと嫌われてしまうから。こんな乱暴な女の子、きっとあの子は嫌がるわ」

 ふみはふいと横を向く。構って欲しそうな犬のような顔をしている。渉はため息をつき、ふみの頭を撫でた。ふみは驚いたように顔を赤くするが、それを黙って受け入れた。

「ふみさん。瑠璃子さんはそんな人じゃないですよ。瑠璃子さんは、俺を受け入れてくれる度量の深い女の子です。それに仮面をつけて本音でぶつからない貴女は、本当に瑠璃子さんのお姉さまですか?瑠璃子さんにも本当の姿、本音でぶつかってあげてください」

「貴方に何がわかるのよ」

「彼女と出会ったのはたったの一ヵ月ですが引いたところからお付き合いしているのを彼女は何より心を痛めていたようでした。マァ……気付いたのは今日ですが……。ですから、貴女の本当の姿があることもきっと気付いているのではないでしょうか」

「……たしかに……一理あるわ」

「ね?ですから、明日からほんの少しづつでいいので。瑠璃子さんに俺に接してきたように自然な感じで接してあげてください」

 ふみの頭を強く撫でる。ふみは渉の手を掴み、頬を赤らめている。美しい日本人形だ。

「貴方、変わっているわね。貴方こそ瑠璃子と対等にお付き合いしなさいよ。瑠璃子が選んだのは誰でもない、貴方なんだから」

「いや、どうも」

「今日、貴方のことを瑠璃子に相応しい男か色々聞いてテストするわ。だから、今日の晩うちに来なさい」

「女性のお宅に行くなど……婚約者がいる身ですから」

 渉は遠慮をする。しかしその遠慮など、不要だとばかりにふみは笑う。

「大丈夫よ。宇喜多」

 どこからともなく老年の紳士が現れた。柔かな雰囲気と同時に風のような素早さを持つ印象を渉は受けた。

「この方、僕のお友達よ。夕食に招待するからお父様にお伝えして」

「いや、そんな」

「僕のうち、商売やってるの。それなりにお金はあるわ。お金があるおうちのお嬢様がどれだけ大変なのか、教えておげるわ、渉くん。それと貴方が紳士になれるよう、瑠璃子を幸せに出来るよう、徹底的にその卑下た性根を叩き直してあげる」

 今日の晩はなんだか長くなりそうだと渉は思った。雨はいつのまにか上がってきたようだ。

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