亮介、感無量


 もういい、真面目に話す気が失せたと脱力する亮介を揃って励まし、姉妹はなんとか彼に話を再開する気力を取り戻させた。

 梨花はベッドの上に正座を、桃香は丸椅子の上で姿勢を正して畏まり、わざとらしいまでに傾聴する姿勢をこれでもかと見せてくる。


「君ら姉妹は、全く……」


 そうため息をつきながら、思わず亮介は笑ってしまう。10年離れていても、ものの数日で元通りの関係に戻れる。そんな姉妹の関係が、羨ましい。もし自分にも兄弟がいたら……いや、よそう。考えても無駄なことだ。


 余計なもの想いを脇に押しやり、亮介も椅子の上で背筋を伸ばした。梨花と桃香を均等に見やりながら、改めて口を開く。



「あのさ。俺はね、君らのご両親に救われた。親に見放されて、学校でも友達にハブられて。そんな中で、君ら家族だけが俺のことを、梨花をこんな目に合わせてしまった俺を、受け止めてくれた。認めてくれた。『何も悪いことなんてしていないんだから、顔を上げて堂々としてろ。俯向くな』って。さっき梨花に言われたみたいにさ」


 二人の顔には、「そりゃそうよ」「当たり前じゃん」と書いてある。亮介は頷き、二人の気持ちを受け取ったことを示した。


「親の話になると、今でもまだ……ちょっと引っかかっちゃうけど。でも、もうあんなことは言わない。梨花も目覚めてくれたし、おじさんおばさんに報いるためにも、顔上げて、まっとうな社会人やって、前向きに生きる」


 亮介は膝に手をつき、深く頭を下げた。


「梨花、目覚めてくれてありがとう。桃香、今まで傍に居させてくれてありがとう」



「いやいやいや。違うでしょ」


 梨花の言葉に、亮介は驚いて顔を上げる。さっきまで神妙な顔で正座していた梨花が、

眉をしかめ下唇を突き出している。


「そこはさぁ、前向きに生きるだけじゃなくて『幸せになります』とかじゃないの? うちの親の恩に報いるつもりならさ」


「だよねえ」


 桃香も同じ変顔をして、頷く。


「なんかー、カレシ居るらしいよ? ラブラブらしいよ」


 梨花が大仰に驚いてみせ、口元に手をかざす。


「あらやだ、マジで? 桃香にも居ないっていうのにね」

「お黙り! お姉ちゃんこそ」

「あんたこそお黙り! お姉ちゃんはいいんです。あんたは10年もあったのにこの体たらく」

「今いないだけで、ずっといなかったわけじゃないもん」

「えっ、うそ。写真とかある?」

「今あるわけないでしょ。あっても見せない」

「なんでよ。ケチ」


「お前ら……」


 いきなりくるりと振り向くと、桃香がターゲットを亮介に変えた。


「写真見せてよ、江木くん」

「そうだよ、見せてよエギィ」


「……やだよ」


「エギィもケチ。あ、あれか。初恋の人? 親友だったっていう」

「違う。あいつにはバレてからとことん嫌われたから」

「そもそもアレだよね。その初恋の親友への片思いが暴発して、妹の私に八つ当たりしたっていう」


「なにそれ」


 それは初耳ですけど? という表情で、梨花は僅かに身を乗り出した。


「その親友くんはね、お姉ちゃんに片思いしてたんだって。で、親友くんに嫌われたくない江木くんは、お姉ちゃんに当たれずに」

「はい。ごめんなさい。悔しくて八つ当たりしました。梨花より桃香の方が断然強そうだったから大丈夫だろうと思ったし、ちょっとぐらいビビらせてやれって……」


「なんだその理由。エギィ、お前最低だな」

「……返す言葉もございません」


 そう言って頭を下げた亮介だが、なんだか少し嬉しそうだ。長らく望んでいた梨花からの罵倒を、少しだけ受けたからかもしれなかった。


「まぁまぁ、お姉ちゃん。江木くん、それあちこちに自分で言い回ってたから。自分の怪我は自業自得で、梨花は悪くないって」

「うん。俺、自分で足踏み外したのも事実だし。それに半分ヤケクソでさ、相手の名前こそ伏せたけど、それ以外は理由も全部話したら、見事にハブられたっていう」


「え、『恋敵へのやっかみでその妹に八つ当たりしました』って?」

「そうそう。『挙句、恋敵本人にそれを目撃された上に自滅しました』って。すげえドン引かれた」

「階段踏み外して大怪我して、絨毯爆撃カムアウト……自滅の二段構えか……エギィ、ヤケクソの度合い凄くない?」


「だってうちの親、梨花のこと訴えるとか言い出すし」


「あ……」


 亮介が彼自身の秘密を触れ回ったのは、自分を守るためだった。あの事故が無ければ、江木くんはそんなに性急に秘密をさらけ出す必要はなかったのだ。タイミングを見て時間をかけて、慎重にご両親と話し合えていたら……彼が勘当されることは、友人を失う事は、なかったのかもしれない。

 そう思い至った梨花は、口籠った。それを見た亮介は慌てて両手をパタパタさせ、梨花の注意を引く。


「いやだからさ、マジで俺の自業自得だから。あの時、桃香にも酷いこと言ったし」


「そうだよ、お姉ちゃん。私あの時江木くんに『オトコオンナ』とかって言われたー」

「……ふむ。思春期のやるせない思いもわからぬではないが、それにしても最低だな。エギスケ」


「……いきなりあだ名変わってるけど。ほんとすみませんでした」


 亮介は再び、深く頭を下げた。そしてやはり、少し嬉しそうだ。



 梨花がベッドの上で背を逸らし、ツンと顎を上げた。肩に掛かる髪を、気取った仕草で後ろへ払う。


「まぁ、モテモテ過ぎた私も? ちょっとは悪かったかなぁ、って? 思わなくもないけど?」


 しかめつらした桃香が、ブーッと唇を鳴らした。

「お姉ちゃん、語尾上がりの口調むかつくー」


「うるさい男女」

「あっ、お姉ちゃんまで酷い」

「だってあんたあの頃、ベリーショート通り越してお猿さんみたいだったじゃん?」

「ちょっと! 私あの髪型気に入ってたのに! 江木くん、梨花を怒って」


 桃香が亮介に目配せする。小さくバタバタと手を動かし、ニヤリと笑ってみせる。それを受け、梨花が胸の前で拳を構えて挑発する。


「なんだエギィ、やんのか」


 亮介は桃香の反応をチラチラと伺いながら、恐る恐る乗っかってみる。


「え、おう……やんの、か?」

「やんのかおい、かかってこいやー」


 梨花が腕をぐるぐる回し、桃香もすかさず参戦する。少し遅れて、亮介も遠慮がちに腕を上げた。3人は腕を伸ばししばらくペチペチと手をたたき合うと、最後にハイタッチを交わし、互いに笑い崩れた。特に亮介は、息も絶え絶えに腹を抱えて笑い転げ、涙を滲ませている。


「なん、なんだよこの儀式」


「強いて言えば、仲直りの儀式?」

「いや、ただの悪ふざけでしょ」

「それもそうだね」


 さすがに疲れたのか、梨花は起こしたベッドにどさりと凭れ掛かった。


「まぁ、さ。エギィは秘密を晒した上に、自分が悪者になってまで私たちを守ってくれたんだから、感謝してるよ」

「感謝なんて、そんな。俺は」


 言い募ろうとする亮介の肩を、桃香がガシッと掴んだ。指に力を込めて握りしめ、亮介を黙らせる。

 

「あのね、江木くん。私も感謝してるし、江木くんは家族も同然だと思ってる。だから、幸せになって欲しい」


 姉妹の繰り出す流れに翻弄され、急激な着地に呆気にとられる亮介を他所に、梨花がポンと布団を叩いた。

「というわけで。この件では、もう謝るのはおしまいにしない?」

「賛成。キリ無いしね」


「……わかった。わかったけどさぁ」


 亮介は苦笑を浮かべて大きなため息をつく。


「君ら姉妹のコンビネーション、いや、君ら家族には太刀打ち出来ねえわ」



 梨花が「フッ」と不敵に笑う。

「何故、勝てると思った?」


 桃香も尊大な低音でそれに倣う。

「初めから、お前に勝ち目など無かったのだよ。フフフ」


「フハハハハ」

「ハーッ、ハッハッハッハ」


「変な姉妹……」亮介は笑いながら項垂れて、呟いた。その目には、涙が光っていた。


 桃香が嬉しそうにはしゃいでいる。梨花と桃香が、仲良く笑っている。


『仕事を終えて帰ってくると、家の外からでもふたりの笑いころげるような声が聞こえた。そのたび、この上もない幸せを感じた』

 かつてたった一度だけ、そうポツリと漏らしたおじさんとおばさんに、この光景を見せたかった。

 口には出さず心の中で、亮介は天国の片平夫妻に語りかけていた。


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