第20話 「三点までは取られても大丈夫だからなあ」

「どうしました?」

「あ、先生、あれって昨日はありましたっけ?」

「あれ?」


 ミュリエルは眼鏡をくい、と合わせる。


「……何でしょうね…… くす玉……?」

「くす玉? 何だそりゃ」


 グラブをぱんぱん、と叩きながら、トマソンが問いかける。


「や、私も良くは知らないんですが、何か祝い事がある時に、中に綺麗なものを詰め込んだ玉を作って、それを割るんだそうですが」

「割る…… んですか?」

「いや私も、そんなに良く知らないですからねえ」


 さすがの先生も、全てが全て判っている訳ではないのだ、とダイスは思った。

 けど。

 何となく彼は思う。


「あれって…… どうやって浮いてるんでしょうかね」

「へ?」


 素朴な疑問だった。


「そう言えば、『吊られて』ないですねえ」

「あ、横から線が出てるぜ」

「おう、さすがテディ目がいいなあ。俺には見えねえ」

「……あ、あの線ですね…… で…… あそこに続いて……」


 ミュリエルはしばらくその「線」の方向を確かめながら指を動かしていた。


 ……


 ふと、その指が止まった。


「どったの? 先生」

「いや…… もしかして、あれが『嫌がらせ』かもしれませんよ。我々が負けたら、あれは弾けます」


 何だって、と聞きつけたメンツがミュリエルの方へと集まった。


「と言うことは、我々は何としても、勝たなくてはならない、ということですね」

 ぶるる、と思わずダイスは身震いがするのを感じた。



 正午の鐘が鳴った。


「プレイボール!」


 主審の手が上がる。

 ざわつく球場。観客の圧倒的多数が「エンタ・ジャガーズ」のファンである。

 それは当然だ、とダイスは思うし、これからも遠征に行けば必ずこういう状況になるのは判っている。

 しかし、実際に目の当たりにすると、怖い。特に自分が本日の先発とすれば。


「ほんじゃ~ 行ってくるよーん」


 と、そんなダイスのもやもやをひらひらと吹き流してしまうように、一番バッターのテディベァルは、いつもの通り、ユニフォームのボタンを上から二つ外して、バットをかついだ。

 連盟ルールでは、遠征チームが先攻、ホーム・チームが後攻となっている。


「まあそんな、固くなりなさんな、って」


 トマソンが、バッグの中から、薄型TVを取り出した。


「何ですかそれ」

「や、俺の趣味。どう中継されてるかなー、ってのは結構面白いだろ」


 へえ、とダイスは感心する。この何処から見ても牛の様な大男が、太い指でチューニングしているのを見るのは不思議な気がした。


「でもそれってすごいアナログじゃないですか?」

「馬鹿やろ、全星域対応なんだぜ」


 あ、そうか、とダイスは納得する。

 星域によっては、周波数や電波の種類、放送の方式もそれぞれ異なってくる。確かに一つの星域だったら、自動的に合わせる方が楽だが、このひたすら広い全星域対応、ときたら。


「俺の野球はもともと、TV中継から始まったからなあ」

「そうなんですか?」

「おお。テディんとこ程じゃねえけど、ウチの惑星もそう豊かじゃねえからな。TVって言うと、街頭か、ご町内に何台、というところだったし。で時間が来ると、ガキが皆集まって、星域内リーグの試合にかぶりつく訳だ」


 へえ、とダイスはうなづいた。


「皆色んなバックボーンがあるんですねえ」

「お前だってあるだろ。きっかけ、って奴がよ」


 お、合った、と彼はチューンした位置を固定させる。


「お、テディの奴、どアップになってやんの」

「……ガム噛んでますね……」


 どれどれ、とホイやミュリエル、それに監督までがのぞき込む。


「……おい、さっきからずっと2-3になってないか?」


 監督はその画面を見て、眉を寄せた。


「あれ? そう言えば、もうテディさん出てから結構なってませんか?」

「なーに言ってるんだよ」


 グラウンドに近い所で見ていた三番のトッパー・ダレスが、来い来い、とダイスを手招きした。彼はマッシュとおなじく、元々のサンライズ組だった。


「さっきからあいつ、延々ファウルしまくってるんだぜ」

「え」


 そう言えば、と皆身体を乗り出す。確かにそうだった。 

 最初は一応振り回し、フェンス近くにまで飛ばしていたようだった。だがその後は、と言えば。

 実にこつこつこつこつと、近場のファウルエリアへと彼は転がしているのだ。さりげなく、相手の捕手がフライで取れない所へ。

 は~、と監督のため息が漏れる。


「別にわしはそんなこと指令してないぞ」


 と言うことは。ダイスはぱっ、と「先生」の方を見る。そして気付く。ベンチ内に、マーティもストンウェルも居ない。

 そして良く見ると、トマソンまでが、薄型TVを自分の場所に残して、姿を消していた。

 こん、と軽い音が響くたびに、ああ、と観客が失望とも何ともつかない声を上げる。

 ……七球…… 八球…… 2-3を取られてから、既にそれだけの球数を彼は相手に投げさせていた。

 そして、十三球を数えた時。


「粘ってるかい? 奴は」


 急に背後から聞き覚えのある声がしたので、ダイスは驚いて振り向いた。

 トマソンが、どたどたと巨体を揺さぶって入ってきたのだ。


「遅いぞ、この牛男」

「ひどいな先生。ちゃんと戻ったでしょうに」

「そろそろ相棒に、合図してやんなさいよ」

「へいへい」


 トマソンはそう言うと、いちいち帽子を直すフリをしながらこっちを伺う盟友に向かってやっほう、と大きく手を振った。

 ぬいぐるみの名を持つ男は、それに応えて、ちょこんと首を下げた。

 TVの中の彼の顔が、にやりと笑った。そして、次の瞬間、こーん、と快音が響いた。

 ひゅう、とトマソンは口笛を吹く。

 打球はほとんど土埃を上げるような勢いで、地面すれすれを走って行った。

 そして打った本人は、と言えば、当然のごとく、気がついた時には一塁ベースを踏んでいた。

 ベースの上にあからさまに乗っかって、ひらひらとこっちに向かって手を振っていた。


「それじゃ行ってきます」


 監督が二番のミュリエルに何やら合図をする。彼は黙ってうなづく。


「何ですか?」

「そりゃあ送るしかないだろ? 先取点欲しいしなあ。俺も行ってくるわ」


 トマソンはダイスの横をのっそりと抜けて行く。

 ミュリエルは最初から送りバントの構えだった。テディベァルは二塁に進む。


「お勤めご苦労さま」

「どういたしまして」


 更に三番のダレスがピッチャー前のゴロで、二塁から三塁へと進み、打った本人も、すべりこんでセーフ。

 ふう、とダイスは息をついた。

 そしてぶん、と音が聞こえて来る程のフルスイングをしながら、トマソンが打席に入った。

 テディベァルは走る気満々だった。画面の中の彼は、にやにやと笑いながら、リードしている。

 ピッチャーはその様子を気にしている。

 牽制する。彼は戻る。

 再び構える。

 今度はピッチャーも、セットポジションから、投げる。

 ぐっ、とバットを握るトマソンの腕に筋肉が盛り上がる。

 あ、とダイスは思った。テディベァルが走る様子は無かった。

 ぶん、と音を立てて、バットが空を切った。

 相棒を見極めてたのか?

 その空振りが相手の投手の気を楽にしたのか、次の球は勢いがあった。トマソンも今度は見逃した。


「大丈夫かなあ……」


 彼はつい口にしてしまう。すると。


「こら」


 いきなり頭をはたかれた。


「い、痛いじゃないですか!」


 振り向くと、そこにはマーティが居た。


「……あれ? マーティさん……」

「まあ何とか間に合ったな」

「間に合ったって」

「お前の投げるのに、決まってるだろ」


 思わずダイスは頭が真っ白になるのを感じる。そして次の瞬間、わたわた、と手を自分の前でばたばたさせた。


「そ、そういうことを、真顔で言わないで下さいよ~」

「何で? 俺真面目よ」

「どうしたのダイスく~ん、顔真っ赤よぉ」


 へへへ、とストンウェルまでがいつの間にか戻ってきていた。

「……放っておいて下さい」


 ダイスは脱力したが、言い返すことは忘れなかった。


「まあまあ。それにしても、大丈夫か、とは奴に失礼だぜえ?」


 ほれほれ、とマーティは大きな手を伸ばすと、グラウンドを指さす。

 ピッチャーが投げる。

 テディベァルはその瞬間、スタートしていた。

 トマソンはそれを合図かの様に、あの巨体には信じられない程、鋭くバットを振った。


 カキーン。


 実にさわやかな音が、場内に響き渡った。


「行くぜっ」


 ぐい、と腕を引っ張られる感触に、ダイスは焦った。

 マーティの腕が、ダイスをベンチから引きずり出していたのだ。


「はーい、お出迎えありがと~」


 これでもかとばかりにご機嫌な笑みを浮かべて、テディベァルが戻ってきた。

 ベンチに居たメンバーは、ずらりと並んで、文字通り飛び跳ねる彼を出迎えた。ぱんぱんぱんぱん、と手を叩く音が続く。

 同様に戻ってきたダレスも、出迎えを受ける。

 そしてしばらくして、のっそりとトマソンが戻ってきた。元々足の速く無い彼である。ゆっくりと回ってくるのが普通だった。

 そしてトマソンは、薄型TVの横にどん、と腰を下ろしながら、ダイスに向かってこう言った。


「よぉ、三点までは取られても大丈夫だからなあ」


 彼はそう言いながら、ダイスの頭をその太い指でかき回した。

 ……ああそういうことなのか、とダイスは胸の中が熱くなるのを感じた。

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