二章 蓄音機アイドル

2-1

 退院したのは九月になってからだった。


 念のためもう一度脳の検査をしてもらったが、特に異常は見つからなかったらしい。

 来年の身体測定や健康診断はサボってもいいんじゃないかというくらいには全身をくまなく検査してもらって、それで大丈夫だというのだから安心だ。


 そうこうしているうちに義眼も出来上がった。


 眼球と同じ球体のものなのかと思っていたが、実物は半球状のものだった。

 映画なんかだと、目から飛び出した義眼が転がってそれを追いかける、みたいなコミカルなシーンを何度か見たことあるけど、俺の場合は難しそうだ。


 そしてやっぱりビームは出ない。

 ズーム機能も録画機能もない。


 そもそもこの義眼には前を見る機能がない。

 空洞になった眼窩の保護と、見た目を補うのが目的だ。


 義眼を入れるのはあんまり難しくなかった。

 近づいてくる指が見えない分、コンタクトレンズよりも簡単かもしれない。

 コンタクトレンズは入れたことないけど。


 手入れが必要なのは仕方がないことだろう。

 夜寝る前の歯磨きついでに、義眼も洗面所で洗うようにすれば問題なさそうだ。


 まだ義眼が入っていることに慣れないせいか変に目が乾く感じがする。

 これは目薬で緩和できるため、一番小さな不満だ。


 一番大きな不満はもちろんビームが……ってもう諦めよう。


 鏡で見ると自分の顔なのに、少しだけ違和感を覚える。

 いや、元々こんな顔だったかもしれない。

 自分の顔をまじまじと見る機会なんてあんまりない。


 退院し、ようやく自室に戻ってくることのできた俺はぐっと伸びをする。

 タンスは両親が着替えを持ってくるために触っただろうが、残りは事故に遭う前と変わっていない。

 学習机も、通学カバンも、読みかけの本も、そのままだ。


 事故に遭った日から考えると、約二週間ぶりの帰宅ということになる。


 いきなり部屋の片付けをする気にはなれない。

 かといってベッドに飛び込んで惰眠をむさぼる気にもなれない。

 退屈な入院生活で眠れるかぎりは眠り続けたせいだろう。


 なので久しぶりに町を散歩してみることにした。


 財布と携帯電話、そして愛花の携帯音楽プレーヤーをポケットに突っ込み、イヤホンを服の中を通して首にかけておく。


 簡単な準備を終えた俺はまだ蒸し暑い外へと出かける。


 ちなみに携帯電話は事故のとき壊れたので新調した。

 そのためデータはまっさらとなり、まだ家族の他には数人しか登録されていない。

 だからといって不便でもないのだけど。


 入院している間に夏休みは終わり、文化祭も終わってしまっている。

 二週間というのはこうして振り返ってみると案外長いのかもしれない。


 客観的に見ると、俺はそこそこひどい事故に見舞われている。

 左目を失い、幼馴染も失くしてしまった。


 それなのに二週間が経った今でも相変わらず、気分は暗くならない。

 おかげで最初は陰鬱な表情をしていた両親も、最近ではすっかり元通りだ。

 以前よりも口うるさくなったかもしれない。


 そんなことを考えながら、ほてほてと近所を散歩する。


 特にこれといって変わった様子はない。

 生まれたときから見ている町のままだ。この景色を見ているかぎり、二週間という時間や事故で揺らぐものは少ないのかもしれないという気がしてくる。


 俺たちを轢いた運転手は逮捕されたそうだ。

 そのあたりはあまり詳しく聞いていない。


 信号待ちで立ち止まると、俺は右目を手で覆う。

 周囲から見れば俺は左目だけで前を向いていることになるが、樹脂製のそれは脳に映像を伝えてこない。


 そのかわりに異世界の景色が見える。


 視界の主は寝転んでいるようで、見えているのは天井だけだった。



「いいなぁ、懐かしいなぁ」



 愛花の声が聞こえてくる。



「二週間くらいで大袈裟だな」



 人目があるので携帯電話を耳に当てて返事をする。

 独り言だと思われないためには、こういう小細工が必要になる。


 俺の気分が明るいままでいられる理由の一つは、この現象だろう。


 俺の左目は異世界でまだ活躍している。

 死んだはずの幼馴染と一緒に転生したのだ。


 そのせいで俺は事故に遭ったにもかかわらず、なにも失った実感がない。


 現実が見える右目を塞げば、左目が異世界にいる愛花の視界につながる。

 それと共に意思疎通もできるようになる。


 いちいち声に出さないといけないのが不便だが、回線も料金もいらない通話だと思うと贅沢は言えない。

 いわばテレパシーもどきだ。


 異世界の愛花とつながっていると知った俺は、入院生活の中で様々なことを試した。

 そのおかげである程度は、できることとできないことの区別がついている。


 たとえば音。

 愛花と視界を共有しているが、異世界の音は聞こえない。

 唯一聞こえるのは愛花の声だけだ。


 これは愛花にとっても同じらしい。

 試しに俺が片目を閉じた状態でアイドルソングを聴いてみたが、愛花には聞こえていなかった。


 次、視界について。

 異世界とのつながりが発覚した当初、視界に関しては俺から愛花への一方的なつながりだった。

 つまり愛花には現実世界を見ることができなかったのである。


 しかし義眼を入れたことによって、愛花もまた俺の目を通して現実世界を見つめることができるようになった。


 愛花の場合、両目が見えているため左右で違う景色が見えるようになるらしい。

 混乱するのを防ぐため、俺と話すときは向こうも右目を閉じていると言っていた。


 この現象の理由はよくわかっていない。


 樹脂製の目に映像を届ける機能はないのだが、愛花が見えるというのだから見えているのだろう。

 重要なのはそこだけで、原理はあまり気にならなかった。

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