第18話~乗り越えなければいけないこと

 僕はあの日慰めるための言葉を懸命に探した。

 しかし頭には何も浮かばない。

 まるで形づくられたそばから崩れ落ちていくように、言葉は僕の指からこぼれ、消えてなくなってしまっていた。


 シャツがあたたかく濡れていく、その温度を感じ、その温度を感じながらも、やわらかな髪をかき回し続けた。あの日のことは忘れない。


 きっとあの日から奏さんのことを特別だと思い始めたのだろう。


 奏さんからアパートの退去の話を聞いた時に気がついた『いつもそばにいて欲しい』それは自分の本当の気持ちなのだろう、でも僕はそれを伝えることが出来なかった。



 そばにいて欲しいのだと言えなかった。


「次の部屋が決まるまでの間だけお願いします」

 そう言ってくれただけで嬉しかった。


 奏さんのために部屋を片付けていくと、和羽のことを思い出してしまう。


 だけど、きっとそれではいけないのだろう。


 1週間後に決まった引越しを親友の匠に手伝いを頼んだ。


 建設業をやってる匠に軽トラックを出してくれるように頼んだ。


 和羽と匠と僕は幼なじみだったけど和羽の死で僕たちは少し離れてしまっていた。

「久しぶりに連絡くれたと思ったら、何だよ!女の子と一緒に住む?」


「あ~ごめん、ルームメイトだよ、恋人とかではなくて」


「お前が家に入れるくらいだから特別な存在なんだろ?それくらいは分かるさ」


 匠にはきっと嘘はつけない


「大切な人なんだ、傷付けたくない」

 僕の顔を見つめながら、ほっとしたように大きく頷きながら。

「まぁ、いいさ、OK!その日は空けておくよ」


 奏さんにLINEで伝えた。

『友達も引越しを手伝ってくれることになったし、引越し屋は必要ないから』


 *****

 引越し当日は曇っていた。


「匠ありがとうな、今度改めて礼をするから」

 軽トラックの助手席で、運転する匠に缶コーヒーを渡しながら言った。



「和羽もさ、きっとお前のことが気がかりだったと思うよ、お前がちゃんと前を向いてくれないと悲しむと思う」

 信号待ちの交差点で、匠は静かに空を見上げながら言った。



 幼なじみだった僕たちは三人でいつも遊んでいた、裏の空き地にダンボールで作ったテントにゲームやおもちゃやお菓子を持ち込んで日が暮れる頃まで一緒にいた。


 楽しかった━━━

母親が帰って来ない暗い部屋にいるより何十倍も居心地が良かった。


 そしていつも匠が一番先に帰り。


 和羽と僕を二人にした。


「和羽、航くんそろそろ帰るわよ、晩ご飯、急いで作るからね」


 仕事帰りの和羽の母さんはいつも僕の分まで食事を用意してくれた。




 僕を乗せた匠の車が奏さんのアパートの前に着いた。

 アパートの外階段の横で僕たちに気付くと大きく手を振ってくれた。

 いつもは下ろしている長い髪は後ろで束ねられてふわふわと弾んでいる。

朝の光に照らされてキラキラと柔らかに揺れる髪と僕に気づいて微笑む姿。


 僕はこの人のことを好きなんだと、はっきりと思った。

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