第11話 開眼 変化の術(初級)

 地下十階に到着した聖女アユーシャは自分の天幕で体を休めていた。

鎮静効果のあるジャスミンの香を焚き、お湯を沸かしたタライに足をつけていると、少しだけ心が軽くなるような気がする。

慣れない戦闘を目の当たりにして疲弊してはいたが、迷宮の最深部で魔力を聖杯に汲みだせるのはアユーシャただ一人だけだ。

王女として甘えたことは許されないと自覚していた。


「姫様、お加減はいかがですか?」


 警備隊長である謹厳実直きんげんじっちょくの女騎士、レミリアが天幕を訪ねてきた。


「治癒魔法のおかげで疲労はありません。苦労しているのは私よりも兵たちですよ」

「姫様は東王母様との交信で、魔力のほとんどを使いきってしまったのでしょう? そちらの方は大丈夫なのですか?」

「魔力も八割がたは戻っております。もっとも魔力切れのせいで、東王母様とのお話が途中で切れてしまったのが残念でなりません。東王母様はまだ何かおっしゃりかけていたのですが……」


 聖杯を使うにも魔力が必要なので、アユーシャは東王母との再交信を諦めていた。


「仕方ありませんよ。神殿の巫女でさえ神々の声は微かにしか聞こえないのです」

「少しでも魔力の回復を図るのが自分の務めと考えて、このような贅沢をさせてもらっているわ」


 パシャリ。


 白く美しい素足がタライのお湯を小さく蹴った。

それだけでレミリアは、見てはいけないものを見てしまったような後ろめたい気持ちになってしまう。

アユーシャはただ美しいだけでなく、どこかなまめかしく、神々しくもあった。


 天幕の入り口から女の魔導士が入ってきた。

彼女はセラナ・ミストアといって、この部隊の副隊長をしている。

稀代の天才魔導士として世に名を馳せた逸材で、21歳という若さにも関わらず宮廷魔導士の要職にある。

しかも外見は16歳くらいにしか見えないので、彼女のことを初めて知る者は何度もその容貌ようぼうと才能に驚かされてしまうのだ。

さらに言えば、何人もの男と浮名うきなを流す恋多き女としても有名だった。


「怪我人の治療は全部終わりましたよ」

「ご苦労様、セラナ」

「あっ、足湯ですね。いいなぁ、私も入りたいです。迷宮で足湯なんて背徳的で超ステキじゃないですか。お酒も欲しいなぁ」


 ふざけるセラナに生真面目なレミリアが目をく。


「こらっ! バカなことを申すな。それに姫様は遊んでいるわけではない、こうして魔力の回復をだな」

「あ~はいはい。レミリアは真面目すぎて疲れちゃうよ。ねえ姫様」

「ふふ、もう少し打ち解けてくれた方が私も嬉しいですね」


 アユーシャはニコニコと二人の会話を見守っていた。

宮殿にいる時よりも不便な生活ではあるのだが、どこか解放感を味わってもいたのだ。


「ほら、姫様もこうおっしゃってるよ」

「うっ……ぜ、善処いたします」


 かしこまるレミリアを横目で笑いながら、セラナは新しい話題を提供した。


「そう言えば伝令部隊の影がおかしな体験をしたそうです」

「おかしな体験、それはどういった?」


 好奇心旺盛なアユーシャがさっそく興味を示す。


「よくわからないのですが、ミノタウロスに命を助けられたとか」

「まあ!」

「バカなっ!」


 アユーシャとレミリアでは反応が真っ二つに割れている。

アユーシャは人と魔物の奇跡の交流を喜び、レミリアはキッパリとこれを否定する様子だ。


「迷宮で甘い夢を見ていると命を失うぞ」

「だけど、影はたしかに命を助けられたと言ってるよ」

「ふん、おおかたそいつの勘違いだ。お前だって知っているだろう、今まで何人の女兵士がトロルやミノタウロスの苗床にされたか……」


 レミリアには直属の部下を辱められるという個人的な恨みもあった。


「気持ちはわかるけどさ、世界のすべてがアンタの想像の範囲内にあるなんて思わない方がいい」

「そんな大それたことは思っていない。ただ、戦場で生き残るには、経験則から学んだことを躊躇ちゅうちょせずに選ぶことが肝心だ。魔物にあったら魔物を斬る、それだけのことだ」


 攻撃魔法と回復魔法の両方が使える賢者、幾多の戦場にあって武功を積んだ騎士、それぞれの意見だった。


   ♢


 地下十階をさまよっていた俺たちは、迷宮のお楽しみである宝箱を見つけていた。

幽体のままのアンゼラが宝箱に頭を突っ込んでいる。


「中身はオシャレな服ですよ」


 便利だな、おいっ! 

幽体は壁を通過できるから、こんな芸当も可能なわけだ。

それにしてもオシャレな服とは悪くない。

俺が来ているのは強盗から奪った服なので、見てくれは悪いし、洗濯しても取り切れない臭いがついていて気持ちが悪い。

牛頭ノースは敏感だし、牛頭メンタルはそういうのに弱いのだ。


「でも、この宝箱は鍵がかかっていますね」

「そんなもんは破壊すればいいよ」

「さすがは破壊神」

「戦闘神だって……」


 強引にこじ開けようと思ったのだが、アンゼラから待ったがかかった。


「ダメです牛頭王様。この宝箱には罠が仕掛けられています」

「どんなやつ?」

「無理に開けようとすると、中で硫酸が撒かれて、大事なお宝が台無しになる仕掛けです」


 それは困ったな。


「じゃあ、どうやってあけたらいいんだ? 鍵穴があるからどこかに鍵があるんだろうけど……」


 俺も構造をみたかったけど、今の俺は幽体になることはできない。

鍵穴から牛頭アイで覗けば何かわかるだろうか? 

そう考えてじっくりと観察してみた。

 しばらく見ていると機械構造が3次元的に頭の中に入ってきた。

やがて、自分が小さくなって機構の中にいるような幻視を覚える。

すると、れいの無機質な音声が頭の中に響いた。


{神技『変化へんげ初級』を会得しました。これにより身体のサイズを自由に変化させることができます}


 だったら小さくなって鍵穴の中に飛び込んでみるとしよう。

体をゆすって虫ほどの大きさになると、身に着けていた服なども一緒に小さくなった。

よかった、術の範囲は俺の周囲にまで及ぶらしい。

そうでないと大きくなったときに困るよな。

いちいち服が破けていては、巨大な裸を晒すことになってしまう。


 跳躍して鍵穴に入り、三つのシリンダー部分の真下にいった。

このロックは割合と単純な構造をしていて、これらのシリンダーを押し上げた状態で鍵穴を回せば、錠が開く構造になっている。

ブッ叩いてシリンダーをねじ込ませてしまおう!


 すべての作業を終えた俺は外に飛び出して元の姿に戻った。


「いかがですか、牛頭王様?」

「シリンダーは正しい位置に固定したから、適当な物で鍵穴を回してやれば開くはずだよ」


 中華鍋の端っこを手でねじ切って、マイナスドライバーの先っちょみたいなのを作った。


 カチッ!


 小気味よい音を立ててロックが外れる。

気分は天才大泥棒。

ワクワクしながら箱を開けると、ふわりと花の香りがして、中から小奇麗(こぎれい)な服のセットが現れた。

シャツ、パンツ、コートの三種類がある。

黒地のシャツとパンツに、コートは白を基調とした中二病感溢れるデザインだ。

高二の俺だったら宅コスで悦に入っていただけだろうけど、今なら表で着ていても恥ずかしくない代物だ。


栴檀装せんだんそう

 魔法の白羅紗布しろらしゃぬのを使った導師服。装着者の体に合わせて自由にサイズが変わる。洗濯しなくても汚れることはなく、ほのかにビャクダンの香りが漂う。


 防御力とかはあまりないようだけど、洗濯をしないですむのは助かる。

これで臭い服ともお別れだ。


「よくお似合いですよ」


 新しい服に着替えたらアンゼラが褒めてくれた。


「そうかな?」

「ええ、とってもステキです。それなら雌のマギュウが群れをなしてやってくるでしょう。今夜はワインパーティーです!」


 それは勘弁してくれ。

俺だって動物は大好きさ。

牛に愛されるだけなら喜びもする。

だけどな、牛に欲情されるのはとってもつらいんだぞ。

そこら辺に理解が及ばないとは、こちらの天女はまだまだ修行が足りないようだ。

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