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 夢だとわかっている夢をぼくは見ている。なぜならぼくの目前には響子がいる。三ヶ月前、最後にちゃんと話した時の、まだ髪の長い響子だ。あれから何度か遠目に響子を見かけることはあったけれど、インカレの試合に合わせて、ついに髪を短くしたのだと、ぼくは人伝に聞いていた。

 その日、ぼくは一回生の後期の講義で思っていたほど点数がとれていないことがわかり、二年目から配属される研究室の選択が希望通りに叶わないことがはっきりした。端末宛に届いた成績証書によればぼくこと工藤兵吾くどうひょうごは第二希望の近世史の研究室に配属となったらしい。そのことをぼくは、一回生の頃から何かと面倒をみてくれていた、ぼくにつきあってくれていた響子に説明しなければならなかった。ぼくと響子は一緒に、一番人気の考古学研究室に行くことを、約束していたのだ。

 ぼくは響子を第一講義棟の側の大きな桜の下に呼び出した。響子はすでに呼び出された内容に気がついているのか、どこか怒ったような、それでいてすごく呆れたような表情だった。

 そんな「なんでもわかっている」ような響子の表情に、ぼくは思わずいつもの調子で愚痴っていた。やれ試験がいじわるなぐらいむつかしかった、やれ睡眠不足だった、やれレポートの書き方なんて教えてもらっていない――

 しかし響子は黙って聞いていた。

 響子の反応のなさに、沈黙に、ぼくはすぐに愚痴をやめた。

 ぼくは恐る恐る彼女の様子をうかがった。

 風が鳴って、頭ひとつ低い位置にある彼女の黒髪が四月の陽光で輝いて見えた。響子は押し殺したように何か言った。彼女の匂いの混じった暖かい風に、頬をなぶられながらぼんやりとぼくは彼女の言葉を反芻した。

「ねえ、あたしのこと、本当に好きなの?」

 むつかしい問題だった。

「……」

「どうして黙ってるの?」

「考えてるんだよ」

「考えるようなことなの?」

「いろいろ、あると思うんだ」

「なにそれ」

 彼女の言うとおりだった。ぼくは素直に「好きだよ」と言っておけばよかった。「うまくいかなくてごめん」と謝るべきだった。でももう遅い。ぼくは言葉を尽くさなければならない。

「きみのことはすごく大切に思っているよ。初めて付き合った女の子だし、インドアのぼくを外に連れ出していろいろ目新しいものに出会わせてくれる。とてもありがたいと思ってる」

 それで、と彼女はぼくを見ている。透き通った大きな瞳がぼくを見ていた。

「ぼくには不釣合にとてもかわいいと思うし、勉強も部活もすごくがんばってるし、活躍しているし……えっと、でもずっと不思議だとも思ってて」

「なにを?」

「どうしてぼくなんだろうって」

 他愛ない妄想だった。しかしぼくはその妄想を自分の中に留めておくことができなかった。

「さっきの質問、そのままきみにだって当てはまると思うんだ」

「どういうこと?」

「きみは本当にぼくのことが好きなのだろうか、この砂を噛むようなキャンパスライフで、〈彼氏〉という役割が必要で、たまたま今回はぼくとつきあってるんじゃないのか――」

「それ、本気で言ってるの?」

 ぼくはわざとらしく肩をすくめてみせた。

「ねぇ、好きってこと重く考えすぎなんじゃない?」

 そうなのかもしれない。

 今のぼくならきっと同意できるのに、これが過去の繰り返し――ただの夢だと、ぼくは知っているのだ。

 だから、ぼくは響子が口にするより先に言った。

「わかった、別れよう」

「本気で言ってるの?」

 ぼくはもう一度肩をすくめてみせた。

 響子の表情はわからない。ぼくは覚えていない。ぼくが響子を見ていないからだ。だからぼくはこうあってほしいと考える。それでも響子はうつむいたままだ。ぼくは――。

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