3 記憶にございません

「は~、去ってくれて良かった。でも何で私悪女の立場にいるのよ。あっこれ夢? よしこれ以上悪くなる前にもう一度寝よう。次起きたらきっと元の現実よ。きっとそうよ」


 私は隣の美形を問い詰める気力もなく、疲れた心地でそのままパタリとふかふかなベッドに倒れ込んだ。


「おいおいアイリス、何を呑気に二度寝を決め込んでいるんだ。ちゃんと起きろ。ずっと裸でいたいなら構わないがな」

「……なわけないでしょ」


 呆れ声のウィリアムに注意され内心ムッとして半身を起こした私は改めて視線を巡らせた。所々カーテンの隙間から射し込んでいる外光のおかげで視界に不自由しない広い寝室内には、高級そうな家具や調度が置かれている。

 黒が基調の数々が。

 大人びてシックと言えばそうなんだけど、黒光りしてるし……暗黒の臭いがする。

 いや暗黒に臭いがあるわけもないんだけど、とにかく不吉な感じは否めない。

 インテリアの小物に黄金の髑髏どくろが置かれていても納得できる雰囲気だわ。


「何だか禍々しいけど、ベッドもキングサイズだし弾力も申し分なく手触りもめちゃいいし、もしかして酔った勢いで高級スイート取っちゃったの?」


 部屋の香りからして安宿とは似て非なる思いもかけない豪華さに、財布の中身が猛烈に心配になった。車に撥ねられたものの、助かってその後自棄になって飲んで行きずりの彼を引っ掛けたのかしら私……。


「高級スイート? 何の話だ? ここは君の寝室だ。まんまと俺を連れ込んだ、な」


 内容への疑問よりも嫌味っぽい口調にカチンときたけど、ここは大人の女性として呑み込もう。

 だってこいつたぶん二十歳くらいでしょ。

 私はもう二十四だから歳上の余裕というか風格というか威厳を示さねば。

 いやでも落ち着いてるから大人びて見えるだけで、実際はもっと若かったりして……ってだったら犯罪じゃないの! ええええ~っどうしよ未成年だったら!

 あわあわとそこまで思って、私ははたと自分が覚えた引っかかりを思い出し、その思考を再開させた。

 そうだ鏡だわ。鏡があれば……って鏡台はちょっとここからだと遠いわね。裸で出てくのは抵抗があるわ。いっそのこと共有してる毛布奪っちゃう?


「ねえ手鏡か何か持ってない?」


 いざって時は占有せんと毛布をギュッと握り締める私を見たウィリアムは一つ息をついてキングサイズのベッドを降りた。


 私と違って裸に抵抗ない……って何だズルい自分だけ穿いてたのね! すっかり向こうもマッパだと思ってたのに何か悔しい。


 そんな彼は普通に黒いパンツルックを披露しながら、ついでに進路にある室内のカーテンを開けていく。

 ウエスト位置が高く均整の取れた手足、引き締まった腰回りと肩回り、背筋は真っ直ぐに伸び常態での筋肉の盛り上がりも程々でちょうど良い。

 横から明るい陽光に照らされる彼は、そのまま上にバサリと白いワイシャツなんて羽織ったらさぞかし絵になると思う。

 もうホント何なの。半裸の後姿なのにカッコイイってかなり反則。

 だけど私の方も。

 恋人と別れたばっかで他の男にときめくなんてどうしようもない。自己嫌悪で即座にぐりんと首を回して視線を引っぺがした。

 ああ、でも、もう私フリーなんだわ。

 誰に操を立ててるのやら……。

 そもそもその操も崩れたっぽいしね、記憶にはございませんが。


 またズキリと胸が痛んだ。


 別れた女が誰と何をしようが、きっと元彼は興味もないだろう。


 だから向こうから別れ話を切り出したんだろうし。


 私ってば何を変に恥じらってたんだろ。馬鹿みたい。

 そう投げ槍に開き直りつつも、失恋ほやほやなのだ、気持ちが沈むのは止められなかった。

 毛布にしわが付きそうに握り締め俯いてしまっていた私の視界にややあってぬっと入って来たのは、持ち手に随分凝ったレリーフを施された高価そうな手鏡だった。


 ――やっぱり!


 絶句して鏡面を見下ろす私は手鏡を受け取ることすら失念して、あたかも釘で固定されたかように視線をしばらくそこに落とした。


「おい、……おい? 早く受け取れ」

「え? あ……ど、――どうもありがとう」

「…………」


 随分と長い空白があった。

 不思議に思って鏡面から目を上げれば、金髪美形のウィリアムは彼自身のだろうシャツを羽織ってもいる。白いシャツだったけど、ワイシャツっていうよりは近世のお洒落な英国貴族が着ていたようなレースをあしらった凝ったデザインだった。日本の勤め人はこれ着ないわよねって感じの高そうなシャツ。

 やだこの人、これじゃあまんま貴族じゃない。


「ええと何?」

「いや、驚いたと思って。アイリス、本当に今日はどうしたんだ?」

「どうしたって、何で?」

「君が素直に礼の言葉を口にしたことだ。実はどこか具合が悪いんじゃないのか? 頭でもぶつけたか?」 

「あのねえ、あなたちょっと失礼じゃない? 普通にお礼くらい言うでしょ」


 抗議に頬を膨らませれば、ウィリアムは怪訝な顔を隠しもせずにこっちをじっと見つめてくる。


「ええと、何?」

「いや……。そんな顔も初めて見たなと思って。本当に具合が悪いわけじゃないんだな?」

「ええ、特にはね」

「本当だな? 昨夜の俺は媚薬のせいで理性が飛んでいたし、無理をかけたのならはっきり言ってくれ」

「知らんわーーーーッッ! こちとら覚えてないの、相当酔ってたみたいだから! 要は記憶にございません!」

「君は政治家か? しかも酔っていただって? ハッ冗談。君は人に勧めても自身は決して酒を嗜まないだろう? 乾杯だっていつも形だけだ」

「はあ?」


 本当に人違いしてるみたいね。まあでも指摘するのは後回し。

 何故なら予感があったから。

 私は無言のまま、恐る恐るもう一度手鏡を覗き込んだ。


「やっぱり。でもどうしてこんな……。ねえこの鏡って違う映像が映るドッキリ仕様なの?」

「何をわけのわからないことを。普通の鏡だろう?」

「だって……」


 鏡には色素の薄い栗色の髪と菫色の瞳の可愛らしい顔をした十五、六歳くらいの少女がいるんだもの。

 穴が開きそうな程に鏡を見つめながら自分の頬を引っ張ったり指で突いたりしてみる。


「くっ変顔でもこの子可愛いわね」

「明らかにおかしい……とち狂ったか?」


 私は彼にとって余程不可解な行動を取っているらしく、台詞は業腹だけど意外にも真剣な目をされた。

 じっくりと見下ろされる形になりながらぼんやりと考える。


 ――もう疑いの余地すらなく、これは夢ね。


 ……夢、よね?


 それ以外にないわよね?


 でもおかしなの。


 この人誰って言う前に、私こそ誰状態じゃない。


 もしや私の深層心理が欲する自分の理想の容姿なの?

 しかもこんなイケメンと朝チュンを夢に見るなんてとんだ欲求不満だわよ。

 私の口から、また一つ溜息が零れた。

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