『小説より奇なり』

 私が知る限り、彼は非常に空想に優れた男でした。というのも、彼の考える物語はいつも斬新で奇想天外で、それでいてワクワクするものだったのです。後にも先にも、ここまで高揚した感情を味わったのはそれが唯一でしょう。ですから、彼にまつわるあの報を聞いたときは、酷く落胆しました。


 そも、私と彼の関係は偶然の出会いでした。大学時代、文芸サークルに所属していた同学年の同期だったのですが、始めの一、二年はお互い、同じサークルにいるのにも関わらず、一切の関わりが無かったのです。それがどういう因果か、彼と共にすごくきっかけになったのは、三年になるころ、いわば大学生として一つの大きなゼミに所属することになる頃合いだったと記憶しています。


 彼とは同じく文学部所属の学生でしたので、これまで一切の会話こそしてきていなかったわけですが、ゼミが奇しくも同じ教授の下となったのでした。そうすれば、自然とサークルで顔だけは知っていたわけですから、ある程度気兼ねなく話せるように接しようと、私も彼も感じたわけです。そうしてる中で、遂に互いの作品を見せ合うこととなったのでした。


 私は一つの短編を用意して彼に渡しました。原稿用紙五枚程度の、これを小説と呼ぶにはかなり恥ずかしい文量のものでした。そして彼が私に手渡したのは、決して小説とは呼べないもの、プロットだったのでした。


 しげしげと私の五枚を、惜しげもなくじっくりと読む様は、恥ずかしさもありましたが、それよりも嬉しさが強くありました。私の紡ぎあげたものを真剣に読んでくれるというのは、それだけで嬉しかったのです。


 ただ、それ以上に大きかった感情は、驚愕でした。私がもらったプロットは、小説の体裁は一切成していませんでしたが、これが驚くことに原稿用紙五百枚分のプロットだったのです。もしこれを完璧な小説に書き上げたのなら、どれほどの大作になるのか、というものでした。


 彼は言うのです。これを別に一日で読まなくても構わない。一年、いや十年かかっても構わない。これを読んで感想を聞かせてほしい。そう言ってきたのです。俄然やる気が出ました。私はその年のありとあらゆる事柄を無視してまでこのプロットを読み込むことにしました。そうして半年という短さで読み、理解し、それを感想として纏め上げ、彼に返却したのです。


 彼の、私の短編の感想は、質素でした。しかし、決して貶すようなことは言いませんでした。行ったとすれば唯一一言、「短いのが欠点だ」というものでした。評価するには難しい、少ない量だったはずなのに、彼はきちんと読んで感想を言ってくれたのでした。彼もまた、私の感想を喜んでくれました。まさか感想として文章をまとめてくれるとは思ってくれなかったようで、これもまたしげしげと読んでくれました。


 彼と疎遠になったのは、それが理由です。私の感想には、「是非ともこのプロットを基に本文を書き上げ、完成形を見せてもらえるのが待ち遠しい」と、待ち焦がれる旨の一文を最後に添えました。それが彼の逆鱗に触れたのです。


 私がプロットだとずっと思っていたあの五百枚の原稿用紙は、彼にとっての完成された小説だったのです。


 激怒した彼と、それから卒業までの一年半、一切口を利くことはありませんでした。私が、それはそれは、まだ売れない小説家として一応のデビューを果たした後でもです。


 私が知る限り、彼は非常に空想に優れた男でした。彼の考える物語はいつも斬新で奇想天外で、それでいてワクワクするものだったのです。


 しかしあえて苦言を申し上げれば、彼の最大の欠点はそれを一括りの物語に紡ぐことができなかったところでしょう。


 彼は、いわばプロットを纏め上げることが巧みでした。そのプロットを読むだけで、私の好奇心は酷く高揚したものでした。


 あの時の感動を、もう二度と味わえないと思うと、残念で仕方がないのです。






 何故なら。






 何故なら彼は、自分の作り上げた推理小説の話を現実で実行してしまったのですから。


 ニュースで偶然耳にしたその殺人事件は、寸分違わず彼から見せてもらったあの五百枚の原稿用紙の内容の冒頭そのものだったのでした。驚いて警察にこのことを申し上げ、瞬く間に彼の逮捕の報が流れたのです。


 もし、私がすぐに連絡しなければ、彼は、あの原稿用紙二十枚程度分の内容に止まらず、最後までやり通すつもりだったのでしょうか。今となっては真相は彼にしかわかりませんし、彼は今も何故実行に移したのかを話そうとしないようです。


 しかし、小説家の端くれとして一つ、彼の様に空想してみるとすれば、私が触れた逆鱗に対して、彼自身の行動によって、もしや作品として完成させようとしたのではないか。私にはそう思えて仕方がないのです。そして、もし本当にそうなのであれば、それが、それが私の、唯一彼に感じた恐怖の感情なのです。

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