十三 終焉の朝(1)

 翌日未明、僕が遅れて応接間に行くと、そこにはもう残された花小路家の者達が全員集まっていた。


 その中には、それまで体調が優れず、ずっと自分の部屋に籠りきりだった彩華夫人の姿も見られる。


「御林君、首尾のほどは?」


 先生に小声で問われ、僕は黙って大きくこくんと頷く。


「さて、それでは全員お揃いのようですし、そろそろ始めましょうかね」


 それを確認した先生は、家族達が座るソファの方へ向き直り、開会の言葉を口にした。

 

「始めるって、こんな朝っぱらから皆を集めて、いったい何を始める気じゃ? 事件のことなら、薫が犯人とわかってもう解決したはずじゃろ?」


 変な時間に起こされて、やや不機嫌な様子の幹雄氏が先生に尋ねる。


「いえ。まだ事件は解決していません。なぜならば、犯人は薫君じゃないからです」


「なんじゃと!?」


 はっきりと断言する先生のその答えに、思わず声を上げる幹雄氏をはじめ、そこにいる者達全員の間に驚きと動揺のざわめきが広がった。


「先生、それは本当なのですか?」


 柾樹青年も、青白い顔をして先生に聞き返す。


「ええ。本当です。薫君は真犯人によって事件の罪をなすりつけられ、自殺に見せかけて殺されたのです。そして、その真犯人というのは……この中にいます」


 もう一歩突っ込んで先生が宣言すると、さらにその場を驚愕の空気が包み込む。


「だ、誰なんじゃ!? その真犯人というのは!?」


「そうですね……それを語るにはまず、今回の一連の事件の発端となった本木茂氏の死について解き明かさねばならないでしょう」


 声を荒げ、急かす幹雄氏に答える代わりに、先生は最初の事件についての解説を始める。


「皆さんももうご承知かとは思いますが、茂氏も他の三人同様、自殺ではなく他殺です。動機は茂氏と奥さんの咲子夫人が、青酸カリを使って柾樹君を亡きものにしようとしたことによります。おそらく、犯人は何かの拍子にその計画を耳にしたのでしょう。まあ、不用心といいますか、その悪巧みは彩華夫人や亡くなった梨花子さんにも盗み聞きされていたようですので容易に知り得たのでしょうね。そこで、犯人はそれを阻止するために、茂氏の殺害を決意したのです」


 図らずも自分の名前が登場し、柾樹青年は蒼白な顔で、これ以上ないほどに目を見開いている。


「……じゃあ、じゃあ、やっぱり、柾樹が殺したのねっ!」


 そんな彼の方を指差し、突然、彩華夫人がヒステリックな声を上げる。


「いや、そうではありません。まあ、話は最後まで聞いてください。とにかく、その悪巧みがそもそもの発端でした。殺人計画を手伝うとかなんとか言ったんですかね? 犯人はなんらかの方法で茂氏をあの部屋に呼び出し、自分で持ってこさせた青酸カリで逆に茂氏を殺害したのです。おそらく、茂氏を正樹君役に殺人の予行演習をする真似でもして見せたんでしょう。まあ、実際は予行ではなく、本番・・だったわけですが……そして、犯人はあるトリックを使って部屋を密室にし、茂氏の死を自殺に見せかけた。それには警察もまんまと騙され、茂氏は自殺として処理されます……こうして、〝茂氏の自殺〟ということですべては終わるはずでした」


「はず……だった?」


 その意味深長な言葉尻を捉え、柾樹青年が呟くように訊き返す。


「ええ、はずでした。ところが、犯人にとっては予想外の方向に事態は進んでしまったのです。茂氏の死で柾樹君の殺害を諦めると思っていた咲子夫人が、諦めるどころか柾樹君を夫殺害の犯人だと決めつけ、よりいっそう強い殺意を抱いてしまったのです。そこで犯人は、今度は咲子夫人を殺すことになる……再びあの密室トリックを使って、茂氏の時とまったく同じ方法でね」


「さっきから、その密室トリックとかいうやつはなんなんじゃ? あの、ワイヤーなんとかと言うやつか?」


 ミステリに関しては興味がないらしい幹雄氏が、わけがわからぬという顔をして尋ねる。


「いえ。それも犯人の巧妙な偽装フェイクでした」


「ふぇいく?」


「はい。誤った推理に導くためのさらなるトリックです。咲子夫人の場合、茂氏の時と違って、一見、自殺に見せかけているようでいて、じつはそれが罠なのです。当初、自殺にしようとしていた茂氏も含め、二人ともある人物によって殺されたのだと思わせることが犯人の本当の狙いだったんですよ。つまりですね、途中で犯人は計画を軌道修正したんです」


「軌道修正? なぜ犯人はそんなことをしたんです? せっかく叔父は自殺だと警察も判断したというのに……」


 柾樹青年も訝しげな表情を浮かべて再び尋ねる。


「それは、〝ある事実〟を以前から知っていた犯人が、そう思いついた…としか言えませんね。その犯人に仕立てられた人物というのはもちろん薫君。〝ある事実〟というのは、薫君が茂氏の実の子ではなく、実の父――秋野景一氏の死についても茂・咲子夫婦による犯行だと疑いを持っていたことです。今はもう皆さんもご存知ですが、その時点ではまだ薫君本人と犯人しか知り得なかった情報です」


 そう……不憫にもその事実を知られてしまったがために、彼は偽の犯人に仕立てられて殺されたのだ。出生の秘密に苦しめられた末に、そのような最期を迎えてしまうとは……なんと不幸な人生なんだろうか?


 だが、そんな彼の不遇な一生を前にしても感傷に浸ることなく、先生は淡々と密室殺人の解説を続ける。


「そうして、薫君を犯人に仕立てることにした真犯人は、茂氏の時とまったく同じように深夜、咲子夫人をあの部屋へ呼び出して殺害し、藤巻さんの就寝後、執事部屋からこっそり持ち出してきた鍵を死体の手に握らせ、ドアと窓には内側から鍵をかけた。その時、窓枠にはあたかもワイヤートリックで外から鍵をかけたような傷をつけておき、自分はより安全な、自分しか知り得ないある方法であの部屋から抜け出したのです。後は遺体発見後、ワイヤーの跡を見つけた者が勝手に薫君を容疑者にしてくれるというわけです。なにせ、あのトリックで密室を作れるのだとしたら、御林君が壁から落ちるのを見るまでもなく、すぐとなりの部屋に住む薫君を一番に疑うのが当然ですからね」


 その犯人の罠に、まんまと僕は引っかかってしまったのだ……それなのに得意になって、なんという間抜けだろうか……。


「じゃ、じゃが、その本当の犯人があの部屋を抜け出した方法というのはいったいなんなんじゃ? ワイヤーなんとか以外にそんなことができるのか?」


「その方法については幹雄さん。あなたはもう薄々気づいているはずです。あの部屋の秘密は、あなたが一番よくご存知なのではないですか?」


「なっ……わ、わしは何も……」


 急になぜか興味を示した幹雄氏は逆に先生にそう問われ、驚きとともに狼狽の色を浮かべる。


 そんな彼の態度に、そこにいる他の家族達皆の視線も集中する。

 

「幹雄さん。今さら隠しても無駄です。事件現場となったあの部屋は、その昔、柾樹君のお母さんである桂木菊枝さんが女中として使っていた部屋なんだそうですね。じつは私達、そのおとなりである不開あかずの間へ強引に侵入して、中に残されていた若かりし日のあなたと菊枝さんの写った写真も拝見しているんですよ」


「強引に侵入? ……と言われると、もしかして鍵をお壊しになって……」


 あ~あ、さらっとバラしちゃってるし……それを知って、ちょっと嫌そうな顔で藤巻執事が呟いたが、先生は無視して話の先を続ける。


「当時、彩華夫人に隠れて菊枝さんと関係を持っていたあなたは、たいそう奥さんの悋気を恐れていた。時には彩華夫人が菊枝さんの部屋まで押しかけ、あなたが来ていないか騒ぎ立てることもあったそうですね? そんな時、本当にあなたが菊枝さんの部屋にいた場合にはたいへん困ったことになる……そこで考えたのが、菊枝さんの部屋の内部から、その頃もうすでに使われてはいなかった、現在〝不開あかずの間〟と呼ばれているおとなりの部屋へ逃げるという方法です。いや、そればかりでなく、誰も足を踏み入れないあの部屋は、お二人が隠れて密会するのにも都合の良い場所だったのでしょう」


 先生の話を聞く彩華夫人は、憔悴した中にも悋気を帯びた瞳で、冷や汗を浮かべた夫の顔を見つめている。


「それでですね、二つの部屋を調べた私達は実際に見つけてしまったんですよ……クローゼットの中に隠された、あの部屋と不開あかずの間とを繋ぐ秘密の抜穴をね」


 新たにわかったその事実に、そこにいる者全員の顔に驚きが走る。特に当の幹雄氏はというと、心臓が口から飛び出さんばかりの有様で、座ったソファの上で目を剥いて仰け反っている。


「そう。その抜穴は幹雄さん、あなたが20年前にこっそり作り、奥さんや皆さんの目を欺くために使っていたものです。そして犯人も、この抜穴を使って二度の密室殺人を行ってみせたのです」


「じゃ、じゃが、あの抜穴を使ってとなりに行けたとしても、不開あかずの間の鍵はもう……」


 すつかり弱り切った蒼い顔の幹雄氏が、それでも震える声で反論を試みる。


「それがですね。僕らもずっと、あの部屋は20年来閉め切られたままだと思い込んでいたのですが、先日、中に入ってみてびっくりしました。長年使われていなかったはずなのに、床には塵一つ落ちていなかったのです。つまりですね、誰かが鍵を隠し持っていて、今でもあの部屋を使っているということです」


「そ、そんなバカな! あそこの鍵は確かに菊枝が出て行った時分になくなって……」


「らしいですね。そこで、私はこう考えたのです。あの不開あかずの間に残されていたお二人の写った写真を見るに、菊枝さんは自分がいなくなった後も、せめて幹雄さんとの思い出の詰まったあの部屋をそのままに残しておこうと、このお屋敷を出て行く際に鍵を隠したのではないか? そして、当時、最も親しくしていた誰かにその鍵をこっそり託していったのではないか? とね。そう。それこそが今も不開あかずの間を使っている人物です。そして、その人物ならばあの密室トリックが可能なんですよ」


「ま、まさか、あなたが兄達をっ!?」


 彩華夫人が、またヒステリックな声を上げて夫に鋭い視線を向ける。


「ば、バカな。わ、わしじゃない!」


「ええ。それは幹雄氏ではありません。当時、菊枝さんには幹雄氏の他にもう一人、とても親しくしていた人物がいたのです。その人はまだ幼く、しかしそれゆえに、彼女をあまり良い目で見てくれる者のいなかったこの花小路家の中にあっては、唯一気の許せる友人でもあったのです。だからこそ、菊枝さんは大切な鍵をその子に託したのでしょう。その、菊枝さんから鍵を受け取った人物――そして、今回の一連の事件の真犯人、それは……」


 先生は、そこで息を溜める……そのわずかな時間が僕にとってはとても残酷なものに感じられる。


 僕は、この時が来るのをずっと恐れていた……できることなら、ずっと来なければいいとさえ思っていたのだ……。


 それは、避けられないことだとよくわかってはいたのだけれど……。


 一呼吸置いた後、先生は彼女の方へ顔を向けると、いつもの穏やかな声で静かにこう告げた。


「あなたですね? 花小路桜子さん」


 時が止まったかのようにその場を満たす空気が凍てつく……皆が、驚きのあまり呼吸を停止させてしまったのがわかる。


「まさか、桜子、おまえ……」


「姉…さん……」


 その静寂の中、消え入るような声で幹雄氏と柾樹が喚く。


 しかし、その場にあっても彼女だけは、いつもと変わらぬ優しげな微笑を浮かべ、まるで何事もなかったかのように先生に言うのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る