第009話 古き良き新しき七月の夕べ

「いやもう、信じらんない!」

「だーかーら! 話を聞けって」

「聞きたくないの! ってか、ついてこないでよ!」

「そういうわけにはいかないだろ!」


 階段を駆け上がる足音と、賑やかな叫び声が聞こえた。

 カウンターの女主人マスターと顔を見合わせたと同時に、勢いよく扉が開く。入って来たのはまだ若い男女で、二十代初めに見える女の人の方は、衛星軌道上にある宇宙ステーションの制服を着ていた。


     ◆


 奥のテラス席とカウンター。

 店の端と端に分かれて座った二人は、それぞれに飲み物を注文して背中を向け合っている。一言でいうなら痴話喧嘩。なのだと、いうことは分かるのだけれど。

 女性客の方に飲み物を運んでいったら、そのまま捕まってしまった。

 今日もお店は貸し切り状態で他にお客さんの姿はないのだから、いつものように、話し相手になるのはやぶさかではない。ただ……このぴりぴりした空気の間に入って、僕は何を話せばいいのやら。


「あぁーあ。さっきまですっごいいい天気だったのに、雨になりそう」


 彼女さん……が口を尖らせて愚痴をこぼす。

 目の前には爽やかな柑橘を添えたアイスティー。蒸し暑い日が多くなり始めた季節に、ちょうどいい涼を呼ぶ一品だ。そして遠く、マスターの方に向いて座ったカウンター席でも、同じ飲み物が置かれている。


「せっかく地上から天の川の天体観測、できると思って期待してたのに」

「だからプラネタリウムもあるって」


 互いに聞こえるほど大きな声でが行き交う。

 マスターは平然とした顔をしているけど、僕はさっきから、苦笑いを堪えるのに必死だ。


「外に出られない毎日なのよ。草っ原に敷物しいて寝っ転がってみたかったのになぁ。新作の織り、楽しみにしていたのになぁ~」


 アイスティーに添えられたストローで、カラカラとグラスの中をかき混ぜた。

 綺麗に整えられた爪。隙の無いメイク。肩まで流した明るいオレンジ色の髪は、元の色なのか染めたのか、それとも地上を離れた暮らしで変色してしまったのかは分からない。

 僕は宇宙ステーションでの生活がどんなものかは知らないが、彼女が選ばれて空の向こうに上った逸材エリートなのだということは想像がつく。


 一方、彼氏さんの方は、自分で適当に切ったような短い髪に日焼けした顔、麻のシャツは所々煤けていて、庭仕事か木工作業でもしていたのかと思うほどだ。袖の部分も少しほつれている。

 よく言えばワイルド。

 人によっては粗野な身なりと、眉をひそめるかもしれない。


 そうこう言い合っている内に雷鳴が響き、ざぁぁあっと、大粒の雨が街に水煙の幕を落とし始めた。

 マスターが店内の明かりを増やす。

 テラスの側にはひさしがあるから、大風でも吹かない限りずぶ濡れになることは無いだろうけれど。


「雨にあたるかもしれません。中の席に移りませんか?」

「ここでいい。雨にあたるのも久しぶりで楽しいし」


 そう呟いて手の上に顎を乗せ、墨色になった街と遠い海を見つめた。


「一年に一度しか、地上に戻れないの」

「ずっと衛星軌道上に?」

「そう、低重力空間での素材開発と研究。繊維のね。実は服とかの布地だけじゃなくて、ステーションの外殻にも使われているって知ってる? 頑丈なのよ」

「海底でも三千メートルを越えると、鋼鉄のワイヤーロープは自重で切れてしまうから、有機繊維ロープを利用すると聞いたことがあります」

「あら、お兄さん詳しい」


 彼女さんがにっこりと笑う。

 カウンターで、じろりと睨む彼氏さんの視線が痛い。


「素晴らしいお仕事に従事されているんですね」


 どうにか笑顔を作って言うと、彼女さんの口元が自嘲ぎみになった。


「あなたも、そういうふうに思っちゃうんだ」


 そう呟いて、大きくため息をついてから椅子の背にもたれた。

 雲間から鈍い明かりが漏れる、薄暗い空を見上げて続ける。


「ごめんなさい。今の無し。いきなり八つ当たりされても意味わかんないよね。その……ステーションでやっていることは意義のある重要なものばかりだけれど、だからって、地べたにあるものは使い古されたゴミじゃないでしょ?」

「……え、えぇ……」

「でも最先端の場所で生み出された物こそが貴重で価値があって、地上したに残っているものは意味がない……みたいに、考えて言うヤツらがいるのよ。それで卑屈になってるヤツもね」


 肩越しに、じろりとカウンター席の彼氏さんを睨む。

 それはまた極端な……とも思いもするが、そうやって新しい物ばかりが正しいとする人がいるのも事実だ。どちらもそれぞれに必要だからこそ存在しているのに。


「なんかもう……私、狭い世界しか見ていなかったから、地上に、こんな素晴らしい伝統が残っているって知った時には、結構ショックだったのよ。カルチャーショック。で、すっごい自分の狭量さとか反省して、そういう旧来の物をもっと生かす方法は無いかって思ったの」


 ずい、と顔を近づける。

 ちょっと近すぎる気がする。


「確かに伝統的な織りは通気性とか、重い、脆い、腐食しやすいとかあるけれど、比べるのそこじゃないから! そういうの、用途によって違うから! 実用だけじゃなくて、ただそこにあるだけで美しいものってあるんだから!」

「そう、ですね……」


 僕は、苦笑しながら答える。


「その……つまり、恋してしまったのですね?」


 ふっ、と彼女さんが動きを止める。そして、一つ呼吸を置いたかと思うと、不意に大きな瞳からぼろぼろと涙を溢れさせていった。

 カウンター席で様子を見ていた彼氏さんが、顔色を変えて立ち上がる。勢い駆けつけ、僕の襟首を掴みあげた。息をのむ。


「なに泣かせてんだ!」

「待て!」


 ガッ! と腕を伸ばして止めたのは、涙でくしゃくしゃになった彼女さん。

 振り上げた拳を掴んで、キッ、と睨みあげる瞳で一言。



「あたしは! あんたが生み出したものに惚れてるんだから、とか二度と言うなぁあっ!」



 ピシャァアアア! と雷が落ちた。


 一瞬、周囲の電灯が瞬いてから、灯り直す。

 硬直した彼氏さんは掴んだ僕の襟首を手離した。

 一歩、後ずさる僕。そして彼氏さんは、眉を吊り上げながら真っ赤になっている彼女さんを呆然と見つめながら、一言。


「は、はい……」


 しおらしく、返事をして向き直った。


     ◆


 風が流れ、雲が切れて夕暮れの陽が差し込んでくる。

 確か今夜の予報は晴れ。みずがめ座δデルタ流星群を見るには少し時期が早くとも、南東の方角を仰げば、天の川はよく見えるだろう。


「通り雨でしたね」


 テラスから空を見上げ、僕は呟いた。

 やっと泣き止んだ彼女さんは、勢いづいた反動か顔を赤くして俯いている。怒りに任せていろいろ叫んだことに、今更ながら気恥ずかしくなったのだろう。


「……雨は止んだけれど、地面、濡れているし……やっぱり、今年は……残念だけれどあきらめる」

「いや、ほら……大丈夫だって。下にお前んとこの新素材の防水シート敷いて、その上に俺のアトリエで織った敷物でも重ねれば、どうにか、なる!」


 顔を上げる。

 恥ずかしそうに目元を赤くして、彼女さんは頷いた。


「わかった、それなら許す……」


 七月の夕べ。年に一度の逢瀬は雨に流れずに済みそうだと、僕とマスターは静かに安堵した。







© 2020-2021 Tsukiko Kanno.

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