1話 惨たらしい異世界






 死んで生まれ変わったら女だった。それだけならまだいい。いやよくないけど。

 問題はこの世界がゲームなどで見かけるモンスターがいるのが当たり前な世界だということだ。


 村の中でよく聞く「はぐれゴブリン」の噂がある。

 はぐれゴブリンはそのままの意味であり、ゴブリンの群れからはぐれたか、追い出されたかのどっちかの一匹のこと。

 そいつがたまに村へ侵入し、いろんな意味で美味そうな女を連れ帰って新しい群れを作ろうとする恐ろしいモンスターだという話を村の少年から恐ろしげに聞かされた。


 前世だったら他人事のように可哀そうで済むけれど、今の俺は一応女だ。

 幼女だけど女だから警戒はしなきゃいけない。


 モンスターに会いたくないなら誰かと離れず一緒にいるか、村から出なければ済む話だけれど、現実はそうはいかないんだ。



「さあ行くわよアルメリア。今日は町の商店街に買い出しに行かなきゃいけないんだから」

「分かってるよ母さん。でもさ、できれば俺と母さんだけじゃなくて他の……ほら、村の少年とかに頼んだら?」

「馬鹿なことを言うんじゃないの! 私達の村はただでさえ人手不足だっていうのに……まったく、何でこんなに我儘に育ったんだろうね」

「我儘じゃなくって提案……」

「やかましいよ。さっさと荷物を持ちなさい!」

「はい」



 村で耕した薬草を縛って背に括り付けただけのものだが、それでも五歳の幼女に持たせるようなものじゃないと思う。薬草一本だけなら軽いけれど、それが何束ともなると結構な重さになる。一応母さんが手加減して俺が持てる限度ぎりぎりまでにしてくれているんだろう。……うん、そうだよな?


 靴もボロボロで、服だって母さんが大事に持っていたお古を着ているようなもの。

 ぶっちゃけワンピース一枚のような恰好なので、町へ向かうための獣道へ行くと草が肌に刺さってチクチクしてかゆくなる。でも文句なんて言えばまた母さんの機嫌が悪くなって夜ご飯がほぼゼロに近くなる。

 普通に考えて虐待だと思う。


 だがそれが、この世界での当たり前なんだろう。


 父さんはいない。国に兵士として徴集された。他の大人の男達も、国へ呼び集められた。

 だから村はスカスカだ。働ける人間が女か老人かまだ徴集されるべき年齢じゃない若い少年たちぐらいしかいないから、皆支え合って生きていかなきゃいけない。だから俺も働かされる。俺ぐらいの年齢の幼児たちもそれぞれの家族の元で手伝っている。泣いている子供もいるけれど、それ以上に皆疲れた顔をしている。



「早く行くよ。町で薬草を売って、食料と消耗品を買って、帰るんだからね」

「ああ。いつか父さんが帰ってくるその時までな」

「一言多いんだよアルメリア」

「ごめん母さん」



 ジロリと通常の幼女なら泣きそうな目で睨みつけられた。

 でも地雷を踏んで苛立たせて教育されるわけじゃないからまだ平気な方か。これ以上母さんを怒らせるようなこと言わないようにしよう。


 獣道を歩き慣れた母がたまに俺の方を振り返りながら、休憩を入れながら歩いて町へ向かう。重さで足が痛くなった頃に休憩をこまめに入れるけれど、それも数分。

 朝日が登ってから歩きはじめて、町へ到着する頃には太陽がてっぺんだから、数時間もかけて歩いているのだろう。



「……自転車が欲しい。それか靴にローラースケート」

「何変なこと言ってるんだいこの馬鹿娘は。ほら、背中の薬草を降ろしてこっちへ寄越しな。その間は座ってて構わないよ」

「分かった」



 ようやく一息つけた。今度の難関は町から村へ帰る道か……。

 邪魔にならない道の隅っこで地べたへ座って、薬草をまとめている母さんを眺めた。手伝えって言われたらやるけれど、今は休憩していたい。



「アルメリア」

「なに?」

「私はいつもの店に行くけれど、分かってるだろうね?」

「分かってるよ。誰かに話しかけられても答えないしここから離れない」

「ああそうさ。そう言うところだけは他の子たちとは違って頭が良くて助かるよ。まるで大人と話してるみたいで鼻が高いさね」

「あはは……」



 母さんはただ冗談を言っていただけかもしれないけれど、結構心臓に悪いんだよなぁ。まあさすがに前世の記憶ありというような疑問には思われないだろう。良くて大人っぽい幼女。悪くて変に頭が冴えた気持ち悪い幼女。最終的には幼女だから大丈夫なはず。



「早く帰って来てね母さん」

「ああもちろんだよ。あんたが変なことしないように見てなきゃいけないからね」

「そうだね。俺は他の子よりおかしいから」

「……ふん」



 ひらひらと手を振って、ちょっと機嫌が悪い母さんが町でいつもの薬草売場へ向かうのを見送る。


 ポーションを売っている店らしいけれど、ぶっちゃけあれってただ草と水をミキサーで混ぜて飲ませるようなものなんじゃないかなって思う。野菜ジュースより酷い草ジュースだ。

 一度だけ店の中を覗いて見たことがあったけれど、ゲームのポーションのような神秘的な感じはしないし、どろっとしてて薬みたいだった。だからちょっとだけ失望した。

 理想と現実は違う。モンスターだって現実では人間に惨たらしい被害を出している。だから父さん達はいない。



「あー……止めよう。楽観的に考えよう。父さんが戻ったら人生は楽になると考えよう」



 肩までかかる赤髪が乱れるほど首を横に振り、小さい手で柔らかな頬をパチリと叩いて思考を切り替える。そんな危行に走る俺の姿を見つめる目なんてありはしない。町も村と似たように国からの要請のせいで活気があるわけじゃないから、皆自分の事で精一杯なんだろう。

 俺は……どうなんだろう……。



「お嬢ちゃん。お母さんはどうしたのかな? 迷子になっちゃったの?」

「…………」



 こっそりと、俺はすぐそばにあった天井を支えるための柱にしがみつく。

 ああ面倒だ。凄くめんどくさいし、キツい。


 薬草を売りに行って数分が経ったから、母さんが店に入った後に俺に気づいたのかな。

 気色悪い笑みを浮かべる男が三人ほど、俺を取り囲んでジロジロと観察している。普通の幼女ならどうしていただろう。

 前世の世界での幼女ならたぶん恐ろしくて泣いていたか逃げ出すかもしれない。この世界の幼女は親が仕事に集中していて最低限の関わりしかなくて寂しがり屋が多いから、一見すると優しげな笑みに惹かれるかもしれない。


 町を歩く他の人を見るが、誰も興味なしというように俺達を素通りし歩いている。

 店の中から出てくる母さんの様子もなし。取り囲まれているから逃げることもできない。



「黙ってちゃ分からないなぁ。おじちゃんたちに教えてくれないかい?」

「げへへへ。おじちゃんたちは怖くないよー」

「そうそう。君のような可愛らしくて可哀そうな子を救いたいだけなんだ。お母さんとはぐれたなら、おじちゃんたちと一緒に探そうか」

「…………」



 一人の男に俺の小さな肩を掴まれたから、柱にしがみつく力を強める。両足で柱に絡みついて絶対に離れないようにする。

 そうすれば男たちは俺がこの場から離れないという意思を感じるはず。


 そう思っていたら、店から盛大な音を立てて扉が開かれた。



「うちの子に何やってんだいアンタ等! ちょっと店長さん、冒険者でもいいから呼んできて! うちの子が攫われそうになってるって!」

「なっ、お、俺達は親切心からだね……」

「親切心でうちの子を囲んで何をしようっていうんだい? 町に兵士がほとんどいないからって自分の庭みたく好き勝手してるんじゃないよ! 誰も見てないと思ってるんじゃないだろうね?」

「それは……」

「言っとくけど私は見てるよ! アンタ等のような変態を見てると腹が立つんだ! うちの子に触ったってやつがいたら口の中に石詰め込んで殴ってやるから覚悟をし!!」



 母さんの怒涛の怒声に殺されるんじゃないかと不安になったが、その騒ぎのおかげで興味なさげだった町の目が男たちに向かれた。そのおかげで奴らは顔を赤らめながらもどこかへ向かって去っていく。

 その後ろ姿を見て不安になったけれど、いつものことだから気のせいだと信じたい。



「まったく、大丈夫かいアルメリア。身体は平気かい? 身体中を舐められたり触られたり、揉まれたってのはないだろうね?」

「あー……いや……」

「胸触られたとか、服を捲られて恥ずかしいところを見られたとかは」

「ないってば。母さん、大丈夫だから」

「……そうかい。何もないんだね」

「うん」



 なんかこう、いやに生々しくて聞きたくない。

 こういう言葉をさらっと言うあたり、本当にこの世界の酷さを身に染みて分かった気がする。分かりたくないけど。



「なら仕事に戻るよ。次は必要な物を買わなくちゃいけないからね」

「うん」



 母さんが俺の頭を軽く叩いて立ち上がる。

 荷物はないが、心は重かった。


 嫌な感情は町から村へ戻っても続いてしまって、母さんに軽く心配をかけてしまった。だから次からは気を付けよう。今の母さんに負担をかけるような真似はしちゃいけない。

 俺は中身が男なんだ。いくら幼女でも中身の性別はもう変えられないほど前世の記憶があるのだから、不安を表面に出さないようにしなければ。






「母さん、ちょっと小屋まで出かけていい?」

「ああ、今は仕事もないから構わないよ。でもねアルメリア、モンスターや変な人間に会ったらすぐに逃げるんだよ」

「はいはい。分かってるよ」

「ハイは一回だよ!」

「はい」



 小さくため息をついた母の声を背に受けながらも、家を出ていつもの小屋へと向かう。

 小屋は俺が一人になりたいときに使う場所。


 母さんの怒声が響く程度には村に近いけれど、その小屋は森の中に面している。

 もともとは父さんが馬を飼っていて、それで狩りに使うためのものだった。だからまだ藁が残ってるし、薬草などを干す場所でもあった。

 ある意味昼寝スポットでもあり、俺にとっての小さな冒険の場所でもあった。


 モンスターに襲われるかもしれない不安はあるけれど、母さんと薬草を売れるように干すために何度も通っているからほとんど俺の別荘だ。

 今回売ったから、また薬草が生えるまでに数週間はかかるだろうけれど。その間は好きにしよう。



「……ん?」



 村から森の中へ入り、小屋までの距離が半分ほどに近づいた時だった。


 臭いがする。血のような腐った臭い。

 獣臭が、小屋の方から感じる。



「……いやいや。まさか」



 小屋にモンスターでもいるのか?

 まさか、はぐれゴブリンが小屋に住みついたのか?


 そうなった場合は逃げた方が良いのだろうか。

 この異変に母さんを呼んで、対応してもらうべきだろうか。


 でも母さんは俺以上に働いて疲れてる。

 俺に教育しなきゃいけないこともあって機嫌がすぐに悪くなるし、これ以上の心労は身体に毒だ。

 小屋は俺達にとって必要な物。薬草を売るために必要な場所なんだ。


 これは、呼ぶ必要のある事態だろうか?

 いやそれよりも、本当に小屋で起きている状況か?



「……状況判断は、しっかりと目で確認」



 まだどうなっているのか分からない。

 ただのポンコツ幼女の身体のせいで誤解かもしれないし、見に行ってみないと分からないだろう。

 よし行こう。小屋まで行って、確認しよう。


 先程よりもゆっくりと、警戒は怠らずに歩く。

 獣道に落ちていた俺が持てる程度に小さな木の棒を拾って、気持ちを落ち着けて前へ進む。

 草木をかき分けて、次第に俺がよく知る場所へ。


 木々が小屋から離れるように数本切り倒されて視野が広がるところへ。


 慎重に歩いて近づいて―――――――。



「……うわあ」


『あ?』



 小屋があった場所に、小屋がなくなっていた。


 いや違う。それだけだったらまだよかった。



『貴様、あの盗人共の手の者か』




 脳内で響くような重低音の声が、俺に向かって囁かれる。

 それに身体が震えた。本能で、ここにいたらやばいと分かってしまった。



 小屋があった場所を押し潰す形で、頭に血を垂らしながらもガン垂れる一匹の黒いドラゴンがいたんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る