第25話 いざ決戦へ

日はほとんど沈み、町の各所には明かりが灯っていた。


その中を尋常ではない速度で駆け抜ける少年の姿が一人。直路木 令だ。


グレイスピアビルまでは、普通なら電車を乗り継いで行くような距離だが、暢気に電車に揺られていられないと思った令は、走って行くことにしたのだった。それに、時間の決まった電車に乗って、駅から行くよりも、咎負いである令が本気で直接行った方がはやい。


夜の闇を置いていきそうな速度で令は走り続ける。


今日で猶予期間である三日目だ。魔法使いが大規模に動くとしたら夜のはずだろうから、すでに事が終わっているということは無いだろうが、すでに始まっていることはあるかもしれないのだ。


地を蹴る令の足の力がさらに強まった。


数十分も走り続けると、行く手にそのビルは見えた。横に広いそのビルは、周囲の建物よりも少し高く、遠くからでもよく見える。


流石に息が切れた令は、足を止めてその場で呼吸を整える。


ビルまであと三〇〇メートルもない。


(あそこに、一乃と藍子が・・・・・・)


もちろん志磨もいるだろう。あの場所で、二人の咎負いを使った魔法を、羽月を人へと戻す魔法を発動させようとしている。


(羽月を、人間に・・・・・・)


それは、どういう事なのだろう。なぜ志磨はそんなことをするのだろうか。


人間に戻すということは、羽月を咎負いでなくすということ。そこにどんな意味があるのだろう。羽月から取り除いた咎負いの力を何かに使うつもりなのだろうか。


「ま、なんでもいいや」


考えても分かるわけがない。


呼吸も整った。いざ向かわんと、彼は勢いよく駆けだした・・・・・・ところで、突然首根っこが捕まれた。そのまま近くの路地にまで引きずりこまれる。


いきなり敵の奇襲かと思い、暴れる令だったが、


「暴れないで」


という、澄んだ声色を聞いて、その動きを止めた。


振り返ると、首下を掴んでいたのは羽月であった。


「なんでお前がここに」


「それは、こっちの台詞。どうしてあなたがここにいるの」


令の言葉に、ムッとしてそう返す羽月。


「決まってんだろ。二人を助けに来たんだよ」


「あなたには関係――――」


「ねぇからなんだよ。助けてぇから、助ける。それでいいだろうが」


氷の矢のような羽月の冷たい視線を、真っ直ぐな眼光で押し返す。


しばらく交錯する二人の瞳。互いの瞳に、互いの顔が映る。羽月の瞳に映る令の姿は、少しも揺らいでいなかった。


やがて羽月がため息をついた。


「ついてきて」


それだけ言うと、彼女は背向けて歩き出し、そのまま近くのビルの非常階段を上がっていった。


令もそれに続く。


周囲を鉄棒で囲まれた鳥かごのような螺旋階段。ぐるぐるとそれを上っていきながら、彼女は口を開いた。


「どうやって、あの場所がわかったの?」


令はこれまでの経緯をかいつまんで話した。


彼女はそれを黙って聞いていた。感情の起伏がほとんど見えない彼女であったが、一乃の努力と令の執念には、少なからず驚いていたように感じた。


令の視線が、前を歩く羽月の右腕に止まった。直すと言っていた腕は、包帯が巻かれている。だが、包帯の隙間から覗く肌の色は土のような色をしていた。


「腕、まだ直せてないのか?」


「私に出来るのは、これが精一杯。私、ほとんど魔法が使えないから」


「え? そうなのか?」


「志磨と戦った時は、あらかじめ志磨がこの腕に入れてくれた魔法を使っただけ。基本的に使いきりで、もう使えない。私にできたのは腕の機能を戻すことくらいよ」


 そう言って、彼女は右手を何度か握ったり開いたりした。


ぐるぐるとついに階段を上り抜け、二人は屋上に出る。屋上からはグレイスピアビルがよく見えた。


二人してビルの橋に並ぶ。


屋上から見下ろす夜の町は、遠くの光まで目に付くせいで、とても広大に感じる。ビルの上でゆっくり点滅する赤の光があちこちに見える。


「なあ、なんでこんなところに連れてきたんだ? なんかあるのか?」


スッと羽月がビルの下を指さす。


「・・・・・・? ・・・・・・なんだよ?」


指先を視線で負った令だったが、その先には特別なものはなにもない。


街頭や窓から漏れ出す光に照らされた普通の夜道。そこに仕事帰りのサラリーマンや、ガードレールにもたれている若者、並んで歩くカップル等の人がいるだけだ。


「あれ、全部ゴーレムよ」


「・・・・・・!?」


思わずもう一度指さした先を見た。しかし、見たところで分かるものではない。


羽月は続ける。


「あそこだけじゃない。グレイスピアビルを中心にこのあたり一帯にいる人は全てゴーレムよ」


「はぁ!?」


あまりにぶっとんだ事を言われ、もはや令が抱いた感情は絶望ではなく呆れだった。


グレイスピアビルからここまで三〇〇メートルはある。その範囲全てをゴーレムで埋め尽くすなど、一体全体何を考えているのか。


もはや戦いの規模が違う。


「で、でも、全部って、全部かよ? あの車に乗ってる人もか?」


そう言って、彼が指さした先には、ちょうどグレイスピアビル方面に走る車があった。


羽月は首を振った。


「あれは人間ね。でも、ほら」


車は交差点で右折しビルから離れて行った。


「新しく来る人はあのビルに近づけない。暗示魔法と結界を使って、このあたり一帯の人払いをしてるのよ」


すでにいる人は、その場から離れようと思い、新しく来る人は近づこうと思わない。そうしてビル周辺から人をどけたのだ。


「もちろん、ある程度は範囲内にいる人はいるでしょうけど、そういう人はきっと眠らされたりしてるでしょうね。・・・・・・そうして彼女は『場』を作ったのよ」


周囲に人をなくし、魔法を存分に使うことの出来る場。修正を恐れる必要の無い場を、彼女は形成したのだ。これから使う魔法と、そして来るであろう外敵のために。


「よくこれだけのこと、一人でやったな・・・・・・」


「彼女は、ゴーレムに魔法を使わせられるから、ねずみ算式に魔法やゴーレムを増やせるのよ。・・・・・・それに、あそこにいるのは、結界や暗示魔法をかけるためのゴーレムだけじゃない。私たちを迎撃するためのゴーレムや、魔法の罠がたくさんあるのよ。迂闊には近づけない」


まさに要塞のようであった。


たった一人の人間を相手にしてるのに、近づくことすら困難。これが、万全を期した魔法使いの力。最大の弱点のはずの修正まで克服している。


「あなた。あのまま進んでたら、ひとたまりもなかった」


「わかってるよ・・・・・・」


とはいえ、行かない訳にもいかない。地上も、おそらくビルの上もだめだろう。流石にこれだけの距離をグレイスピアビルまで跳んで行くことも無理だ。


頭を悩ませている令の横顔を、羽月はジッと見ていた。そして、


「ねぇ、あなた・・・・・・自分の咎のことは、いいの?」


静かにそう言った。


「それこそ関係ねぇよ」


令は大きく空を見上げる。町の光で星は見えないが、満月だけは煌々と輝きを放っている。


「悪ぃけど、咎を知って俺の中で変わったもんなんてねぇよ。だからこれからも、これまで通り好き勝手生きさせてもらうぜ」


月に向かって手を伸ばす。その目には一切の迷いはない。


もう止められない。羽月はそう悟った。彼女はグレイスピアビルのほうへ視線を向けた。


それに釣られて令も同じ方を向く。


七階建てでありながら広い作りをした建物。闇に浮かぶその長方形の建物が、今では難攻不落の要塞にしか見えない。


「たぶん、あの屋上に志磨はいるわ。あの二人もね」


屋上を見てもここからでは何も見えない。だが、明確に目指す場所が決まったことで、令の闘士が俄然燃え上がった。


拳を握りしめ、令はビルの屋上を真っ直ぐにその瞳で捕らえた。


「聞いて。あなたがいるからできる作戦がある」


そう言って羽月はポケットからチョークを取り出すと、床に魔法陣を書き始めた。

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