第11話


前回のあらすじ:大縄跳びに失敗したモアイはみんなに見守られながら爆散した。


「うそ」わたしは口元を覆った。

まって。

しっぱいしたら、ばくはつなんて、そんな残酷な。

「二回目の準備をしてください」

縄を回す男性がこのようにアナウンスすると、石のように立ち尽くしていたモアイはぞろぞろと歩いて、縄を飛ぶ定位置についた。一体がいなくなることで、モアイたちのすきまはひとひとり分広くなった。

しかしいつまで時間が経っても、縄が回される様子はなかった。

縄をにぎる男性の片手はだらんと垂れ下がっていた。もう片方の女性も同じだった。モアイたちは毅然とした面持ちで、微動だにしなかった。

なにがどうなっているのやら。わたしは考えるのをやめ、ふたたび水辺を歩こうときびすを返した。と、そのときだった。

「六人揃わないと、縄を回すことはできません。早くなかに入ってください」

 五体のモアイと縄を回すふたりがからっぽなまなこで、わたしのほうをじっと見つめていた。

 わたしの背筋がじわじわと冷えていくのがわかった。

 どうして、わたしが参加しなきゃならないの。わたし、モアイなんかじゃないのに。

「決まりですから、人数が足りないと回してはいけません」

 そんな。もしもわたしが失敗したら、どうなるの。

「桟橋の先にて爆発します」

 いやよ。そんなむごい大縄なんて聞いたことないもの。

「決まりなのです。お願いします。早くなかに入ってください」

 わたしの内側がだんだんと冷えていく。

 心がかすかな死に向かっていた。

 

 早くしてくれないか。焦らされると神経が途切れちまう。

 は、や、く。は、や、く。

ソーダ、ソーダ。


やめて、わたしを急かさないで。そもそもどうしてわたしじゃなきゃいけないのよ。

「決まりですから」

 決まり決まりって、そんなに大事なことなの!

「決まりですから」

 ああ、もう、やめてよ。頭がおかしくなる!

「決まりですから! 決まりですから!」


 失敗するのが怖いのか、あなた。なにもまだはじまってさえいないのに。

 こわいんだ、ねえ、こわいんでしょ。あんた、ずっとそのままなんだ。

 コワイネェ、コワインダネェ。ヒ、ヒ。

 

決まりなんだからさ。早く、こっ

ちに来なよ。じゃな

いと、俺、もう、待て、な

  ナァ。

 

 ああああああああ

 ああ

 あああああああああああああああああああああ

 あああああ。


 気づくと、わたしは縄のなかにいた。前から四番目。前と後ろにモアイが立っていた。

「二回目をはじめます」

 縄が勢いよくぐるんと回りだす。左から右に虹を描くように。そして一回目。タイミングに合わせてわたしはジャンプ。誰もつまずかなかった。

 二回目。あまり早くない速度で縄がやってくる。わたしは心のなかで、いち、に、さん、の合図で真上にジャンプ。成功。

 三回目。そして四回目。一瞬、脳裏に爆発したモアイ像の映像がよぎった。頭の後ろのあたりがぞくっとした。わたしは構わずジャンプ。大丈夫。

 徐々に調子がつかめてきたわたしは、なるべく気負わないよう心がけつつ、軽快にジャンプするようになった。さいわい、縄の回る速度はずっと変わらなかったので、みんなについていけないということはなかった。

 問題があるとすれば、体力——。大縄など、学生を経てから十年以上やっていないんだぞ。大丈夫か、わたし。ろくに運動してこなかった、自分の惰性っぷりを今ここで痛感する。ジ、ジムとか、通えばよかった。

 わたしはそんなことを後悔しながら、とにかく失敗だけはするまい、と心に決めて懸命に縄を跳んだ。

 縄は回り出して、五十回を数えた。わたしのところからだと、前と後ろのモアイの様子がわからないけれど、彼らはまだまだ長持ちしそうだった。まったく息が上がっていなかった。わたしはと言うと、若干しんどさを覚えるようになっていた。

 やはり体力が肝だった。もしもこれが妹であったら、体重が肝になるんだろうなと思った。

 ジャンプをするたびにわたしよりも荷重がかかるから。その点に関して言えば、わたしは体重が軽いほうだったから問題はない。けれど、いかんせん基礎体力が身につく中学と高校でわたしは運動系の部活に所属していなかったため、持久走なんかだと毎度のようにびりっけつを走っていた。

今は、今だけはあのころの自分を恨んでやる。どうしてもっと体力をつけてくれなかったのかと。五十回かそこらで根を上げていたら、この先もっと過酷になるのよ、とわたしは己をぐっと戒めた。よしんばつまずいて爆死で終わりなんて、滅相もない。そうなったら末代まで呪われちゃう。

そんな思いでわたしは飛びつづけた。我ながら、なにをしているのだろうと思う。

いつからこうなってしまったんだっけ。やれやれ。頼まれたら断れないのは、わたしのよくないくせだ。その結果、自分が苦しむはめになって、あげく、どうでもよいことに当たって、そのあとひとりで勝手に落ち込んで、ああ、まるで恋人とけんかしているときの自分のようだ。女ってめんどうだなあ。よく男のひとは、女と付き合っていられるなあ。もしもわたしが男のひとだったら、こんなめんどうな女とは絶対に付き合わない。はず。

98、99、100、101、102……

すごいな、わたし。こんなのでも百回飛べるんだよ。ちょっと誇らしい気持ちになった。たとえば一回のジャンプで、10センチ飛んでいるとしよう。すると百回。かける10は、1000センチ。ってことは10メートル。わたしは合算すると10メートルも飛んだことになる。10メートルってどれくらい。わかんない。けれど飛びつづければ、いつかは空にまで届き、ゆくゆくは大気圏を超えて宇宙に飛び出すこともできる。この大縄も、高さを蓄積していく仕組みにしてくれたらもっと頑張るのに。なぜなら、わたしは別に数字と戦っているんじゃないのだから。

 五体のモアイとわたしをふくめた六人はそれからももくもくと縄を跳んだ。


だんたん寒さを感じはじめたのは、数えで二百二十八回目の縄を飛んだあとだった。あれ、と思った。

夜の寒さじゃなかった。もっと、こう、冬の日の寒さだった。ぱりっと張り詰めていて、全身の筋肉が縮んでしまうような。これは冷気だ。わたしは冷気を感じているのだった。そしてそれは前後のモアイ像から放たれているのだとわかった。

ひどく寒かった。そして心もとなかった。まるできめの細かいまっしろな雪の降りつもる、山あいにあるちいさな駅のホームにひとりで佇んで山おろしに吹かれているような気分だった。

雪は冷たくて、なお、痛い。

わたしはその寒さで次第にからだの動きが鈍化しつつあることに気づいた。まずい。ちゃんと飛ばないと引っかかる。ふいにプレッシャーが膨れ上がり、頭の先からつま先までぞくぞくと気色の悪さを感じた。

飛ばないと、飛ばないと。

と、ぶ。と、ぶ。ぶふぶふ。

ソーダ、跳バナイト、ソーダ、引ッカカル。

ねえ、頑張ってよ、わたし。しっぱいしたら、ばくはつ。だよ。

ねえってば——


《幻想の終わりだよ。君はちょいと無理をしすぎた》


 なに、あなた。幻想ってのは、わたしの幻想のこと?


《そうさ。君が創り出した幻想さ。でも、もうおしまいだ。しばらくはね》


 おしまいって、どういうこと。


《おのれの創り出した幻想に飲み込まれかけていたんだよ、君は。このままだと戻って来られなくなるからね。それはぼくとしては非常に困るんだよ。だから、強制的にシャットダウンするってことさ》


 あなたの言っていること、ぜんぜんわからない。


《そりゃあ、そうさ。なんせ、君はぼくの●●●●——》


 え。なに。最後、なんて言ったの。


《そして君の世界に急ブレーキがかけられる》


 わたしの世界は、みごとに黒く塗りつぶされた。

頭のなかでは、まっさおな空を映した巨大なガラス板にきれいなワイングラスが大量に落ちる映像がスローモーションで流れていた。グラスが地面に衝突をすると、ぱりんと割れる音がした。その音はまるで神経質なそばかすの少女の割れんばかりの金切り声のようであり、空中にはかたちの整ったグラスとすでに破片になったものが入り混じっていた。視界のあちこちにグラスの破片が飛び散って、光を反射しきらきら輝いていた。世界は宇宙から見た地球の自転のように、ゆっくりと動いていた。

わたしはその世界のなかで永遠に縄を飛んでいた。

前後にはなにもなかった。目の前に男性が立っていて、からっぽな表情で縄を回しつづけていた。

縄が地面に当たるたび、びっ、びっ、と音がした。男性の背後には広大なみずうみがあって、ちょっと目線をずらすと桟橋が見えた。

桟橋のまわりには馥郁たるかおりを振りまく桃色の花が、王のスピーチに耳を傾ける山ほどの民衆のように咲き誇っていた。

世界はオーロラのようにめまぐるしくグラデーションを変化させすべてのものを魅了した。

だけどもそこに居つづけると気分が悪くなりそうだった。

極彩色の幾何学模様と言うのか、万華鏡のなかと言うのか、やがてわたしの世界は、もやもやとしたうずまきを描くようになった。

ああ、なんだろう。わたしはこのうずまきをどこかで見たような気がする。はて、どこだったろう。

わたしはもはや縄をジャンプしているかどうかすらはっきりしなくなった。頭がぐらぐらして、視界はぐるぐるしていた。


と、そのとき。

わたしの視界だけでなく、わたしのからだそのものがぐるりと回転した。その後硬いものにぶつかったような衝撃があった。どうやら、わたしは立った状態から横になっているらしかった。わたしの目線の先には、水気をおびた草はらが渺渺と広がっていた。

あれ、ちょっとまって。もしかしてわたし横になってる?

「……!」

わたしははっとして、上半身だけ起こした。

 間隔のまちまちな五体のモアイ像と垂れた縄の端をつかんだ人間ふたりが、へたりこんでいるわたしを静かに見下ろしていた。


 失敗した? 失敗した?

 誰が失敗?

 人間が失敗したんだぜ。助かったな、俺たち爆発しなくていいんだ。

ば、く、は、つ。ば、く、は、つ。

 ワァイ、ワァイ。


 わたしの血の気がさあっと引いていくのがわかった。まるで砂時計の砂を一気にこぼしたときのように、ほんの一瞬のことだった。

「お別れのときです。みなさま、お静かに」

男性の容赦ない一言が、心臓の奥までこだました。

倒れていたわたしは意思とは反するようにのろのろと起き上がり、桟橋の先端へと歩いていく。

一歩ずつ、右足、左足、ゆっくりと。見下ろすと桟橋の木目のあたりが、ぎしぎしと鳴った。

先端に立ち、みんなのいるほうを振り返る。彼らはみな一様に時間が止まったみたいに無表情でいて、ただぼんやりと、わたしより向こうのみずうみを眺めているようだった。

ああ、誰もわたしなんか見ちゃいないや。


そして、わたしは、どかんと、ばくはつsh

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