第10話 あの時自分の口を動かしていたものは

 うつむいたまま、Gは低い声を漏らす。 


「死ぬつもりはないよ。俺は」

「死んだら、怒るぞ」


 ああ全く何て言い方だ。


 キムはどうしてこんな時にいい言葉が出てこないのか、ひどくもどかしかった。


 だけど一体、何と言えばいいんだろう?


 本当に彼は判らなかった。

 Gは、この状況を予想できたはずだ。そして予想していたはずだ。多少なりとも。それを判っていて、それでいて、そうせずにはいられなかった、そんな奴に、一体、何を言えばいいというのか。

 だけど、何か、言いたくて仕方がなかったのだ。

 彼は知らなかった。そんな時に、どんな言葉が一番いいのか。

 おかしかった。胸の奥が、ひどく熱く感じられて仕方がない。言葉が見つからない。

 心だけが空回りする。そして、目の前の相手を見据える。

 じん、と目のあたりが熱くなる。視界が歪む。一体何がどうなっているのか、彼にはさっぱり判らない。

 やがて顔を上げた相手は、その形の良い目を大きく広げていた。

 しばらくそのまま、じっと彼を見据えると、やがてひどく複雑な表情になった。笑っているのか、怒っているのか、それとも困っているのか、そのどれとも取れないようで、そのどれにも見える。

 そしてGはぽん、とキムの肩を叩くと、穏やかな声で告げた。


「怒られるのは、趣味じゃないよ」


 そういうことじゃないだろう、と言いたかったが、それは言葉にはならなかった。黙ってそのまま、彼の首領へと通信を飛ばした。確かにそれは、有効な情報なのだ。

 そうか、と首領はテレパシイで答えを送った。そして彼に伝えてくれ、と言葉を送った。

 喉が詰まったままで、言葉がなかなか出てこない。だが言わなくてはならない。首領の命令なのだ。「命令」ではないが。


「ハルが、必ずまた、何処かで会おうって」


 Gはそれを聞くと、流れないまでも、涙目のままのキムの背中を押した。行ってくれと。


   *


 飛び出した機体の窓から、発射の重力を感じながらも、キムはぼんやりと考えていた。大丈夫なんだろうか。

 大丈夫であってほしい、と考えている自分が何となく奇妙に感じられる。大丈夫である訳がないのは、簡単に予想がつくことなのだ。それでも、そうあってほしい、と思うのは。

 そもそも、そんな気分になるのは初めてなのだ。少なくとも、「覚めて」からは。

 尤も「覚める」前の自分が何を考えていたかなど、彼ははっきりと覚えてもいない。

 毎日はただ行き過ぎるもので、何をしようが何をされようが、それはそういうものだ、という気分で、ただ毎日を過ごしていた。

 生まれたのは、この惑星ではない。他の、何処かの惑星のファクトリイだったはずだ。まだ他の惑星にファクトリイがあった頃。

 大量生産されるありきたりなレプリカントの一人に過ぎない。用途は秘書型。ただしその中には、セクサロイドという条件も含まれる。

 レプリカントの中では、一番ひどい扱われ方をする類だ、と首領は言っていた。

 何がひどいのかは、彼は判らなかったのだが、首領が言うのだから、きっとそうなのだろう。

 男性形にしては珍しい、腰まである長い髪を珍しがられ、生まれてからこの方、様々な持ち主の間を行き来した。持ち主は女のこともあるし、男のこともあった。いずれにせよ使われる用途は同じだった。

 当然だと思っていた。そういう生活しかはじめからなかったのだから。

 それが狂ったのは、特別何ともない日のことだった。

 転んだのだ。不意に目眩を起こして。

 マレエフよりはやや「都会」な、コンクリートの街、惑星リーカ。その中位の都市の、季節は「真夏」。太陽は、突然倒れ込んだレプリカントになど知らぬ顔でぎらぎらと照りつけた。

 一体どうバランスを崩したものやら、彼は身体全体を勢いよくコンクリートの舗道にすりつけていた。

 何やってんだよ、とその時の持ち主は言い捨てて、彼を蹴った。いつものことだった。

 ただいつもと違ったのは、彼の態度だけだった。

 そんなこと、するつもりはなかった。いつものことなのだ。彼が、とろとろと歩いていれば、何やってるんだ、と怒鳴り、殴り、蹴りつける。

 そんなこと、当然なのだ。だって、自分はレプリカントなんだから。

 だが、その瞬間、彼は腕を上げていた。

 長い髪の間から、見える景色の色が変わっているように、見えた。

 何だその目は、と持ち主はいつもと変わらぬ口調を続けた。


 だが彼は。


 彼は、その時、手を上げていた。大きく、その長い腕を伸ばすと、自分の持ち主の顔を、指を握りしめて、殴りつけていた。

 自分が何をしたのか、彼にはさっぱり判らなかった。だが持ち主を殴りつけた手は、確かに殴った衝撃でまだびりびりとしている。

 狂いやがった、と持ち主は尻餅をついた格好で叫んだ。こいつ狂いやがったぜ、と。

 それを耳にしながら、彼はそれが自分のことを言われているとはとても思えなかった。


 狂っている? 俺が?


 だがそれをじっくりと考える余裕はなかった。

 すぐに彼は、周囲の人間により取り押さえられ、その意識を失わされたから、何が起こったのか、何が自分に起ころうとしているのか、判らなかった。

 気がついた時には、車に乗せられていた。

 目隠しをされ、手を足を拘束されていた。時々車体が揺れる。その感覚だけが、時間の経過を彼に気付かせた。

 だが車は止まった。それもいささか急に。

 彼を乗せた車は横転し、近くの木にぶつかった。

 ひどい衝撃が彼を襲った。自由にならない手足は、見えない視界は、ひどく彼の身体を不安定にした。

 彼はその場に転がった。ガソリンの臭いが鼻についた。周囲の温度が上がっていることが判った。

 そして、背を掴まれた。

 爆音は、遠くで起こった。そしてその直後、彼は目をゆっくりと開けろ、と言われたのだ。―――彼の首領に。


 あれからどのくらい経っているのだろう?

 あれからずっと、彼はハルの元で同じように「覚めた」レプリカを、もしくは「狂った」とされた覚めかけのレプリカを助けてきた。

 ハルのすることは間違っていないと思っていた。

 ハルの言うことは間違っていないと確信していた。それが生きていく上の理由のように。彼自身は自覚はしていなかったが。だが。

 キムの中に、小さな染みのように、疑問が湧いてき始めていた。Gが最後に見せた薄い笑いが頭をよぎる。色の淡い唇を彼は軽く噛んだ。


 体よく利用されているだけじゃないか。


 彼はGのことをそう思っていた。だが自分は一体どうなんだろう。

 そんな疑問が生じたのは初めてだった。それは、ハルに対する疑問でもあった。彼の首領は、敵対すべき相手と、何故コンタクトしているのだろう?

 長い髪をかき回し、彼は眉を寄せた。彼はひどく困惑していた。


 何故何故何故何故……


 そしてもう一つ彼には疑問があった。あの時、自分は何かを言った覚えはないのだ。そのつもりはなかった。

 だが、何かが、自分の口を動かしていた。


 ハルだろうか? 

 「命令」を、無意識にかけて、俺の口を動かしているのだろうか? 


 だがそれはない、と彼は頭を横に振る。「命令」が効かないのは本当だ。冗談だったら、あのトロアとフィアに言うなと首領が言う訳がない。


 だとしたら、一体あれは何なんだ?


 だがその答えはその時には出なかった。

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