scene6.3

「か、鏡川さん……」

 嬉し恥ずかしな終業式と、いくつかの伝達事項が伝えられたHLが終わり、下校のために下駄箱に向かう途中で後ろから声を掛けられた。

 勇太が振り向いてみれば、死にそうな目をしている百万石灯がいる。

「お、おう。百万石。どうした」

「どうしたも、こうしたもありません。こんなの聞いてません」

「奇遇だな。俺もだ」

 勇太と灯は二人して小さく溜息をついた。

 まさか全校生の前であんなことになるとは予想もしていなかった。それは灯も同じらしく、

 先ほどの光景を思い出してのことだろうか、いまでも顔が少し赤い。

 灯は気を取り直すようにコホンと咳払いをした後、顔に少しだけ影を落とした。

「それにしても……犬山さん。表彰式に出られなかったのは残念でしたね」

「……ま、仕方ないよ」

 残念そうな顔をする百万石をよそに、勇太は肩を竦めた。

「演技イップスが治ったから、東京に帰るって決めてたみたいだし」

「……ええ。ですがせめて、前もって言ってくれたらよかったのですが」

 灯は口を引き結び、釈然としない顔になる。

 灯の反応は無理もない。灯は彼女に関するモロモロのことを知らない。

 というより、その彼女が話す装いも見せなかったし、灯自身も夢が原で起こったあの事件を無理に聞き出そうとはしなかったためだ。

 だから灯からしてみれば、なんの前触れもなく去ってしまったように見えるだろう。

「また、この町に戻って来たときお見せしましょう。そのときは、皆揃ってです」

「だな。そうするか」

「はい。それでは、私はこれで。生徒会の仕事がありますので」

「……大変だな。生徒会長と部活の副部長の兼任。頑張ってくれ」

「ええ。頑張ります」

 灯は軽く頭を下げ、きびつを返して廊下を歩いてゆく。

「あ、そういえば鏡川さん」

 と、灯はなにか思い出したように足を止め振り返った。

「忘れるとことでした。撮影に協力した借りは、いつか返していただきますから」

「……え?」

 勇太が首を傾げてみると、灯はきょとんとした顔で同じように首を傾げた。

「はい。貸した借りは返してもらえ。これも百万石家の家訓です。ですから、どこかで生徒会のお仕事手伝っていただきます」

「ちょっと待て。生徒会の仕事? おい、手伝うっていったいなにを――」

「では、またいずれ。夏休みのどこかで」

 そうとだけ言うと、灯は鼻歌交じりに廊下を歩いていった。

 勇太は、灯を引き留めようとした手を下し、

「……まあ、いいけどよ」

 首からぶら下げたカメラを撫で、再び歩き出した。


「おい。勇太。ぶっ殺す!」

「あ? おわっ!」

 振り返りざまに飛んできた拳をなんとか交わす。鼻先を掠め、風圧で前髪が揺れた。よほどの怒りを込められた拳らしい。

「……んだよ。白鷹か」

 勇太が顔を上げてみれば白鷹空がいた。額に青筋を立て、またもや殴り掛かからんとする顔をしている。

「勇太よぉ。あんなさらし者みてぇになるなんて聞いてねぇぞ」

「奇遇だな。俺もだ。てか、漫画描いてるし慣れっこじゃねぇのか。作品を人に見られるなんて」

「漫画は俺が直接出ねぇだろ。くっそ」

 空は下駄箱から靴を取り出すと、乱暴に地面に落とした。つっかけるように靴を履くと、勇太と並びだって歩き出す。

 しばらく無言で歩いていたが、空は呟くように言った。

「……つか。よかったのかよ。勇太」

「……なにが?」

 勇太は首を傾げる。空は小さく溜息をつき、あきれ顔をしてみせる。

「完成品。ドタバタしてて見せられなかっただろ。犬山さんに」

「……いいんだよ。あいつは目的を果たしたし、俺も目的を果たした。それで十分だろ」

「ふぅん。そうかよ。で、結局、なにも言えてねぇのな」

「……白鷹。その言い方は悪意があるぞ」

 勇太は皮肉気に笑ってみるが、空は真剣な眼をしたままだった。

 そうこうしていると駐輪場に到着する。

 空は自身の原付へと向かい、勇太は自分の自転車へと向かう。だが、直後「なあ、勇太」と背中に声が掛った。勇太が振り向いてみてば、空が不思議そうな顔をしている。

「お前、なんで自転車で学校来てだよ」

 勇太は空の言っている意味が分からず、眉を潜めてしまう。

「はあ? そりゃ自転車登校だからだろ」

「いや、じゃなくて。もう原付登校でいいはずだろ。犬山さん……東京に帰ったんだからよ」

「……」

 一瞬、身体の動きが止まったのが分かった。

 視線を横に動かしてみれば、そこには彼女が使っていた自転車がそのまま止まっている。東京に帰るに際して片付けるのを忘れていたらしい。

 たしかに、もう自転車で登校をする必要などないのだ。方向音痴の彼女が原付の免許を持っていないため、一緒に自転車登校をしていたわけだが、いまとなってはその習慣も必要なくなってしまった。

 彼女がこの町を出た日から原付登校でいいはずなのに、いまのいままでずっと自転車で登校していた。そのことにすら気が付かなかったのだから、よっぽど骨身に染み付いてしまっていた習慣だったのだろう。

 勇太はしばらくその自転車を眺めていたが、「……そう言えば、白鷹」とわざわざ他愛もない話題を切り出した。

「一応聞きたいんだけど、お前もこの件は貸しにするつもりか? あの撮影に協力してくれたこと」

「なに言ってんだお前? つか、急に話を……」

 空はなにか言いかけた口を閉じ、「まあ、いいか」と言ってキーを原付に差し込んだ。

「貸しも借りもねーよ。俺はいっぺん、プロとなんか作ってみたかったんだ。それが目的だった。だから、勇太にはなにも求めねぇよ」

「え? ……もしかして俺に協力してくれたのって……」

「そうだよ。犬山……ってか朝霧薫ってプロの女優と活動がしたかった。それだけだ。勇太が友達だからとか関係ねーから」

「……ああ、そう。なんだろ。白鷹らしいな」

 正直、親友だからという理由で協力してくれたのだとばかり思っていたのだが、割と打算的な一面があったらしい。これは一度、この関係性を疑ってみたほうがいいかもしれない。

「……な、なぁ。白鷹。このあと原田店でもどうだ? 久しぶりにビンラムネでぶっ飛びごっこでも……」

「わりぃ。この後、一緒に漫画描いてる先輩と打ち合わせがあんだわ。また今度……まあ、夏休みのどっかでな」

 そう言い残すと空は原付に跨り、颯爽と駆けて行った。後には原付が残したガソリンの香りだけが残っている。

「つか……一緒に漫画描いているの先輩なのかよ」

 そんな新事実に驚きながらも、勇太は自転車に跨る。

 そしてもう一度だけ、彼女が使っていた自転車に眼を移したあと、力強くペダルを漕ぎだした。

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