scene1.9

 こぼれ落ちてきそうな星々が夜空に広がっていた。

 まるで、真っ黒の画用紙にグラニュー糖をまぶしたような星空はかの地で創られた神話を今に蘇らせる。

「スピカに、デネボラ。アールクゥース……春の大三角。北斗七星に繋がって……春の大曲線。それからおとめ座、それと……しし座」

 勇太は星空を見上げながら、ゆっくり歩く。

 ここ、美星町はその名の通り、美しい星々を眺めることができる。

 標高300mの準高原地帯。街灯や家庭からの光害も少なく、夏になれば天の川も観測もできる。また、その天体観測に適した立地から、宇宙に漂う小惑星を監視するための天文台も立てられていたりする。

 ――星の降る町 

 それが、この町のキャッチコピーだ。

 だけど、そんな美しい星空を眺めてみても心は重く沈んだままだった。

 ――勇太は将来、どうするの?

 先ほど言われた言葉が、現実に引き戻させる。

「どうって言われてもなぁ……おっ」

 そのとき、夜空に一線の光が流れた。窓についた水滴が、すっとこぼれ落ちてゆくかのように駆け抜ける。

「願い事。……いや」

 そう言って、首を横に振った。

 流れ星が消えてしまう前に、願い事を三回唱えればその願い事は叶う。そんなおまじないを誰だって聞いたことがあるはずだ。だけど大抵、願い事を三回唱える前に星は消えてしまう。そんなとき大人たちは「そのくらい、願い事を叶えるのは難しいってことだよ」と言う。

 でも、それは違う。

 流れ星が消える前に願い事を言えるのは、それだけ、その願いを叶えたいと思っていないと無理なのだ。いつも、常日頃、どんなときでも、自分が心の底から望むことを意識している。だからこそ刹那に消えゆく流れ星に願いを込められる。だから願いのない人間は、流れ星に自分の思いを託すことができない。

 ……だけどそれでも。俺は……。

 星々が煌めく夜空に向かって手を伸ばした。たとえ、自分に願いがなくとも……

「なあ、お星さま。……俺にも。俺にも人生をかけられるだけの夢を――」

 と、そのとき。

「あん?」

 右の足先にグニュっとした感触を覚えた。そのままグリグリと足を動かしてみれば「いでででで」という呻き声が聞こえてくる。

 勇太が自分の右足をどかし、踏んづけたものをよく見てみれば、

「……犬山、なにやってんだ?」

 そこにいたのは、うつ伏せ大の字で倒れている犬山かおる。彼女は死んでしまったカエルのようにして、だらしなく手足を投げ出していた。

「でっかいカエルだなぁ。ま、田舎の道ってカエルの死骸が多いんだよな。田んぼから田んぼに渡る最中に車に轢かれるから。でも季節的に全然――」

「うぐっ。助けて鏡川」

 かおるはうつ伏せに横たわったまま、ぐすんとしゃくり上げる。

「なんでこんなとこで寝てるんだよ」

「全部、ケンちゃんが悪い……」

「ケンちゃん?」

 勇太が首を傾げてみれば、かおるは暗闇の方を指さした。勇太が目を凝らしてみると……

「……なんで、犬がいるんだよ」

 そこには、ちょこんとお座りをしている雑種犬。舌を出してはっはっはと呼吸をしている。

「なあ、犬山。最初から話せ」勇太が言ってみれば、かおるは「うん」と呟き鼻水をすすった。

「ケンちゃんは……雑種犬」

「そりゃ見りゃわかる」

「ケンちゃんは助けてくれたの。……昨日、鏡川に見捨てられた後で出会って『着いて来い』みたいな顔したから、着いて行ったら家まで帰れた」

「へぇ。賢いな。ケンちゃん。反面、犬についてくお前はアホだな。それで?」

「うん。それで、さっき鏡川と別れた後で、ケンちゃんに再開して……」

「追っかけたんだろ、どうせ」

「うん。昨日のお礼がしたくって。なのにケンちゃんったら……」

「遊んでくれると思って駆け出したんだろ、どうせ」

「うん。それから……」

「ああ、もうわかった。犬山はムキになって追いかけて、それで道に迷って行き倒れになったんだろ。どうせ」

「うん。ケンちゃん……方向音痴」

「方向音痴なのはお前だ。ケンちゃんは悪くねぇ」

 勇太はケンちゃんをよしよしとさすってやりながら、そう答えた。

「つか、立て。回覧板回すついでに、家まで送ってやるよ」

 勇太はかおるに手をつかみ、立たせてやる。

「うぐっ。ありがと」

 そう言って、勇太の腕にすがってくるかおるは、まだ泣き顔のままだ。

 ……なにやってんだか。

 勇太はかおるとケンちゃんを引き連れ、そのままかおるの自宅を目指す。

 と言っても、かおるの自宅まで歩いて5分もかからない。そのためにすぐに到着してしまう。

 かおるは家に到着したことがよほど嬉しかったのか、勇太の腕を振り払い玄関から家の中へと駆け込んでゆく。それにともないケンちゃんもそのまま家に上がり込んでしまった。

 勇太もまた、家の玄関から家の中に入ってゆく。

 昔の農村によく見られた茅葺屋根の平屋。

 茅葺をトタンで補強し、なんとか現代風な建物に取り繕ってはいるが、どこか田舎臭い家だ。

 勇太が玄関を抜けてみれば、そのすぐ向こうは居間となっていた。靴を脱ぎ居間へと上がれば、かおるは戸棚をゴソゴソと漁っている。

「おい、いいのか? ケンちゃん土足だぞ?」

「いいの。私、お腹すいたからごはん食べる」

「あっそ。回覧板置いておくから、父ちゃんか母ちゃんに渡しといてくれ。じゃあな」

 勇太は手に持っていた回覧板を食卓に置き、玄関に向かおうとした。ところが、後ろからコトンという音がして勇太が振り返ってみれば、

 ……カップ麺?

 かおるは食卓に向かって正座し、カップ麺の蓋の隙間から立ち上る湯気をジッと眺めている。

「……なあ。犬山。それ、今日の晩飯か?」

「だって私、料理できないもん。それにお父さんも料理できないし。いつもこんな感じ」

「……そっか」

 勇太は、小さく息を漏らす。

 別にカップ麺を食べるというのが悲しいというわけではない。

 ただ、犬山かおるという女の子が、これから一人でカップ麺を啜る姿を想像すると、なんだかいたたまれない気分になる。なにより、犬山かおるという女の子にその姿は酷く不釣り合いに思えて仕方ない。

「……ちょっと待ってろ」

 勇太は言い残し、かおるの家を後にした。

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