scene1.4

「へっへ~ん。 私の勝ち! 鏡川ざーこ!」

 犬山かおるは「えっへん」と胸を張り、笑顔で煽ってくる。

 学校敷地内の駐輪場。

 自転車が数台、そして何台もの原動機付き自転車がズラリと並んでいる。

 勇太がかおるをこの場所まで引きずってくれば、急にそんなことを言われた。

「お前なにがやりたいんだ」

「ふふん。昨日、私を置き去りにした罰よ。明日からクラスの皆に白い眼で見られることになるね! あはは!」

 ギリッと勇太の奥歯が鳴った。

 ……この女。ちょっと懲らしめてやらないと気が済まない。

「ふうん。確かにそうだろうな。じゃあさっそく……」

 勇太はずんずんとかおるに近づいていく。

「んん? なになに? どうしたの? 性犯罪者の鏡川勇太くん」

「いや、なに。かおるが言うには、お前って俺の言いなりなんだろ? ならさ」

 勇太はかおるの肩をガッと掴んだ。そのまま抑え込み、かおるを膝立ちの状態にさせた。

 自然と、かおるの目の前に勇太の股間が現れる形になる。

「ごっ、ご子息!」

「いまここで奉仕してもらう。かおるは俺のおもちゃなんだからよ」

「へぇあ?! 冗談に決まってるじゃない! 真に受けるとか信じられない!」

「るっせぇ。男子には言っていい冗談と悪い冗談がある。犬山が言ったのは後者だ。男子高校生の性欲舐めんな」

 勇太はずんと腰を突き出した。かおるの眼前にそれが迫る。

「ひぃぃぃ! うぐっ! こないで! ごめんなざいいいいい!」

 勝ち誇った顔は一変。涙をぽろぽろ零し、かおるは嗚咽を漏らす。

「おお。泣きながらとかもそそるな」

「変態変態変態! 冗談のつもりだったんです~。許してぇ。なんでもしますから!」

「攻められるの弱すぎんだろ……」

 勇太がかおるを離してやれば、ふーふーと荒い呼吸をしながら睨んでくる。どうにも本気で

 イタズラされると思ったらしい。

「これでおあいこだ。犬山。…………てか。そういや」

 冷静になった勇太は、かおるを見て思い出す。

「今日から犬山の面倒みるのか……」

 正直、先ほどまでその事実を忘れていた。

 すると、かおるが嗚咽を漏らしながらもノソノソ立ち上がる。

「うっぐ。土佐先生にそう言われたから、ううっ……鏡川の面倒になってあげる。ありがたく思ってね」

「……逆だよなぁ。普通。面倒になるから、よろしくお願いしますって頭下げろよ」

「またまた、嘘ばっか。私と一緒に登下校できて嬉しいくせに。ふふっ」

 かおるは早くも涙を引っ込め、調子に乗って勇太の肩をポーンと叩いた。

「……」

 勇太はかおるの顔をジィッと見つめる。

 正直、土佐先生はああ言ったものの、実際は数日くらい登下校を共にすれば問題ないだろう。面倒みてやれという言葉だって、彼女は転校生であり、クラスに上手く馴染めるようにサポートしてやれということだと解釈できる。それなら、自分の義務を果たしてしまえさえすれば、あとは彼女が勝手にやることだ。

「よし。わかった。犬山、とりあえず帰るぞ。あと、ちゃんと道も覚えてくれよ」

「おっけー。私、超方向音痴だけど頑張る」

 方向音痴って頑張ってどうにかなるの?

 勇太はそう思ってみたが、その前に一つ聞きたいことがあった。

「ところで、犬山ってカルト宗教とか入ってないよな?」

「んん? 入ってないけど、どういうこと?」

「じゃあ宗教勧誘の女ってわけでもないんだな?」

「なに言ってるの鏡川。意味わかんない」

「気にするな。帰るぞ」

 一安心した勇太はそのまま駐輪場の中を進んでゆく。自分の相棒を駐車しているのは、駐輪場の端のほうだ。

 ところがそこで、勇太の背中にかおるの声が掛けた。

「あれ? どっち行くの? 校門は逆方向でしょ? もしかして鏡川も方向音痴?」

「通ってる学校で迷うとかスゴいな。じゃなくて、原付とってこないと」

「ん?」

 かおるが首を傾げる。

「原付? 原付って、原動機付き自転車?」

「ああ、そうだよ」

「50㏄以下、および定格出力0.60KW以下の二輪の原動機付き自転車?」

「詳しいな犬山。そうだよ。その原付だ」

「え? なんで原付乗るの?」

「は? そりゃ、原付で登校してるからだろ。犬山だってそうだろ?」

「は?」「え?」

 ……なんだろう。いま、すごい嫌な予感がした。

 勇太は、恐る恐る犬山に質問してみることにする。

「なあ、犬山。お前って今日、どうやって学校来たんだ?」

「お父さんに車で送ってきてもらったけど」

「へぇ。じゃあ今日の下校のときも、父さんが迎えにくるのか?」

「ううん。お父さん、夜から仕事だから今はお家で寝てると思う。だから迎えに来れないよ」

「……」

 勇太は頭を抱えそうになる。でも、もう少しだけ粘ってみよう。

「じゃあ犬山。今日、どうやって帰るつもりなんだ?」

「え? 電車とか?」

「この町に電車はない」

「じゃあバスとか?」

「この町にバスはない」

「じゃあなにがあるの?」

「なにもない。まあ、しいて言うなら『都会にはないものがある』それが田舎さ」

「カッコいい風に言わないでよ! てか、えええ?! 私、どうやって帰ったらいいの?! 帰れないじゃん! 助けてぇ鏡川!」

 状況を理解したかおるは「うわーん」と泣きだし、勇太は「やれやれ」と肩を竦めた。

 ド田舎である美星町にJRや私鉄なんてあるわがない。一応、町内循環バスという名のバスはあることにはあるが、病院やスーパーなどの町内主要施設を循環するだけであり、最寄りバス停は自宅から数キロ先なんてこともザラ。よって町民の間では町内不循環バスなどと呼ばれている。

 とにかく、そんな交通事情な田舎町なので、美星分校に通う生徒のほとんどが原付登校を強いられる。……てか、待て。

 勇太はハッと息を飲んだ。

 彼女は移動手段を持っていない。なら必然的に自分の足で自宅まで帰ることになる。そして彼女の面倒を見るように言いつけられている自分も……。

「冗談じゃねぇ!」

 瞬間、勇太は駆け出し、自分の原付に飛び乗った。エンジンを始動させ、ヘルメットを乱暴にかぶる。スロットル全力で急発進する原付。ところが、

「うぇ?!」

 なぜだか原付の前輪が上がり、ウィリーのようになる。焦った勇太が後ろを見てみれば、

「どんな力してんだ犬山!」

 かおるが原付の荷台部分をがっしり掴んでいた。

「やだやだ! 見捨てないで! 私、方向音痴なの! ここで置いて行かれたら、絶対道に迷っちゃう! 遭難しちゃう!」

「うるせぇ! 離しやがれ! 俺は嫌だ! 片道5kmの道とか歩いて帰りたくない!」

「ひどい! ひどい! あっ……」

 ふいに原付の前輪が地面に降り、車体が前進した。

 勇太が後ろを見てみれば、そこには尻餅をついた犬山かおるの姿。台車から手が離れた勢いで、そのまま後ろに倒れてしまったのだろう。

 勇太はこれ幸いとばかりに原付を走らせ始める。

 ところが、サイドミラーにかおるが映り込みついスロットルを緩めた。

 彼女はノロノロと立ち上がり、散乱した鞄を拾い上げて歩き出す。肩を落としてトボトボと歩く姿は、まるで主人に捨てられてしまった小犬のようだった。

 その光景を見て、チクリと胸が痛むのを感じた。

「……くっそ」

 その場で原付を小回りさせ、再び駐輪場に入ってゆく。

「あっ……」

 かおるは一瞬だけ驚いた顔をするが、頬っぺたを膨らませ拗ねた顔をして見せる。

「……その、なんだ。悪かった。俺も小学生の頃に引っ越して来た人間だからわかるんだよ。ド田舎の道ってわかりにくいよな」

 勇太は頭の後ろを掻いた。

「俺も小さい頃、このド田舎の道に迷って危うく遭難しかけことがあってだな……」

 勇太がかおるを見る。彼女は俯き、垂れ下がる髪によってその表情を知ることができない。ただ、その髪の切れ間からこちらを窺っていた。

「一緒に……帰ってくれるの?」

 かおるの声は震え、顎先から雫が流れ落ちた。

「ああ、帰ってやるよ」

「ありがと。でも酷いよ鏡川。ううっ」

「ごめんって。だから泣くのを止め――」

「――ふふっ」

 そのとき、かおるの口から噴き出すような笑い声が漏れた。すると次の瞬間、

「あはは! ぜ~んぶ演技でした。さすが私、名女優!」

 かおるはがばっと顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。そのとき、勇太は自分の中で何かが切れる音を聞いた。

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