第二十七話 美しき虚構と野蛮な現実

 自殺を考えている少女が高層ビルの屋上に行くなんて、嫌な予感しかしない。

 キヨトの、心臓はますます早鐘を鳴らす。

 既に、キヨトは、トオリが指し示した方向へと走り出していた。


 非常階段への入り口の扉を開けて、階段を全速力で駆け上がる。

 3階分ほど登ると、階段の先はもうなかった。

 全力疾走したために、運動不足の体は悲鳴を上げている。


 ゼエゼエと息を鳴らして、階段の手すりを支えにして、なんとか前を向く。

 行き止まりの階段の先にある鋼鉄製の扉は分厚く、一見すると、厳重にロックされているように見えた。


 しかし、ノブに手をかけると、かなりの重さを感じはしたが、扉はあっけなく開いた。

 こんな高級ホテルでも、客から見えない裏側の部分は意外に適当なのかもしれない。


 屋上への扉がロックもされずに、開け離れているのだから。

 扉を開けた瞬間、外から風が入ってくる。

 屋上は、コンクリートで塗り固められた平坦な地面が続いている殺風景な光景だった。


 高級ホテルの屋上とはいえ、今キヨトがいる場所は、完全にメンテナンス用の空間であり、客向けのそれではない。

 左右を見渡すと、高い柵のようなものに囲まれた部分が目についた。


 おそらく、この中が、本来の客向けの屋上なのだろう。

 柵の向こうには、簡易なバーのような洒落た設備があり、そこでくつろぐ人の姿が見えた。


 キヨトは、屋上を歩き回り、サエの姿を探した。

 屋上自体はそんなに広い空間ではない。

 ましてや、今キヨトがいる客向けではない空間はなおさら狭い。


 すぐに、あらたかた探し尽くしたが、それでも、サエの姿はなかった。

 ここじゃないのか、そう諦めて、非常階段へと戻ろうとした時、キヨトの目の端に何かが映った。


 屋上の端、そう文字通り端っこに人がいた。

 端っこにある柵を超えた更に外側、あと一步進めば、そこは空中というところに人が突っ立っていた。


 その姿を、捉えた瞬間、キヨトは思わず叫んでいた。


 「サエさん!」


 この二年間決して忘れることができなかった少女が・・探し求めていた人間が・・いままさにキヨトの目の前に突如として飛び込んできたのだ。



 目の前に映っている光景は、あまりにも非現実的で危うい状況だった。

 サエは、散歩をするかのように、気軽に屋上の端の縁・・それは人一人がかろうじて通れるような狭い空間だ・・を歩いている。


 キヨトは、サエとの再開を喜んでいる余裕など微塵もなかった。

  ゴクリと息を呑み、「・・・サエさん・・・何をしているんですか・・・危ないですよ・・」と、努めて冷静な口調で話しかける。


 一瞬でも目をそらしたら、次の瞬間には、彼女の姿は消えてしまいそうなそんな危うさをキヨトは感じていた。


 「・・・キヨトさん。お久しぶりです。トオリが呼んでくれたんですよね。よかったです。元の世界に帰る前にあなたとまた会えて・・・」


 サエは、キヨトの問いかけには答えなかった。

 その口調は、まるで故郷に帰る前に空港で友達に会うような自然な語り口だった。


 そして、サエは、キヨトの方を一度見た後、また地面の端をいったりきたりと歩き回っている。

 サエが歩く度にキヨトは思わず目をそらしたくなるような恐怖感に襲われる。

 少しでもバランスを崩せば、サエは地面に真っ逆さまに墜落してしまう。


 「サエさん・・・その・・・とりあえず、こっちに来てください・・そこは・・危ないですから・・」

 「・・・キヨトさん。トオリから、私達がいた元の世界のことは聞いたんですよね?」

 「・・・は、はい。でも・・トオリさんが言ったことはあくまで妄想・・・いや単なる仮説です。真実だという証拠はない・・・だから・・」


 キヨトは、なるべくサエを刺激せずに、取り返しのつかない選択をさせないように彼女を説得しようとする。


 「キヨトさん。あなたは、どちらの世界が良いと思いましたか?」


 サエは、歩き回るのを辞めて、キヨトの方を振り返る。

 そして、真剣な眼差しで、キヨトの方を見据える。

 その時、実に二年ぶりに、キヨトはサエの姿を真正面から見据えることができた。


 彼女は、相変わらず美しかった。

 だけど、彼女が全身に纏う空気は大きく変わっていた。

 掴みどころのない幻想的な雰囲気は鳴りを潜めて、現実的な空気を身にまとっていた。


 それは、トオリを見た時と同じ種類の感覚だった。

 一見すると、今のサエはどこにでもいる美しい女性、ありふれた人間のように見えてしまう。

 その事実は、キヨトの心を幾分か動揺させた。


 その動揺と心の内に生じている疑念を払拭しようと、キヨトは、強い口調で返す。

 

 「・・・どちらが良いも何もない。トオリさんが何を言おうと、世界は一つしか・・・今ここにある世界しかありませんよ。」


 サエは無言のまま、その大きな丸い目でキヨトを見つめる。

 なにもかも見透かしたようなその目で・・・


 「今のわたしを見て、ショックを受けましたよね?」

 「え・・なにを・・・」


 突然何の脈絡もなく話しを変えられて、しかもまさに思っていたことを言い当てられたキヨトは、感情を取り繕うことができなかった。

 キヨトのその反応は、「そのとおりです」と正直に言っているようなものだった。


 「皮肉ですよね。この世界は、私達が作り出したいわば虚構の世界なのに、あまりにも精巧に旧世代の人間社会を再現しすぎてしまった。

 現に、この世界は、私達が望んでいた人間本来の自然な感情に満ち満ちた生々しく、活気ある世界になっています。

 だけど・・・この世界はあまりにも私達にとっては残酷です。

 私達は単に、わかっていなかっただけ・・・

 人々が、数万年の歴史の中で、そんな現実が・・あまりにも残酷で容赦のない社会が嫌で嫌で・・・たまらなくて、なんとかこの現実世界から逃げだそうともがき苦しんできたという事実に・・・

 少しでもまわりを見渡せば、気づけたはずだった。

 宗教も、人が作り出すあるゆる芸術作品だって、そうした逃避の現れとして、長年人々に熱狂的に支持されてきたのに。

 そして、人々はその執念を実らせて、ようやくに現実そのものから抜け出される技術を実現した。

 それが、私達が生きていた世界。

 だから、世界の大半の人間は、現実世界を捨てて、それぞれの仮想世界に閉じこもり、意識も感情もない、だけど人間と見分けがつかない自分の理想のAIと日々過ごしている。

 家族がいようが、いまいがそんなことは関係なしに。

 私達は、そんな人々が嫌でたまらなかった。

 人は、現実世界で生きるべきだと・・・本物の人間と触れ合い、感情をぶつけ合うのが自然な姿だと思った。

 だから、この世界を作った。

 でも・・・間違っていました。

 あの世界こそ人の本来の欲望の行き着く終着点。

 ある意味の理想郷であり、自然な世界だと。

 こんな残酷で、何が起こるかわからない、予測もつかない世界にとどまりたいとは思えない。

 本当の人の感情だって、素晴らしいものでもなんでもない。

 愚かで、野蛮で、非論理的で、会話をするたびにどうしようもないストレスがたまるだけ。

 認めたくはないけれど、旧世代の人々が特に本物の人ではなくあのマガイモノ・・AIと触れ合うのを楽しんでいるのが今ではよくわかってしまう。

 私達は、生まれた時から、そんな世界にいたから、そのことが見えていなかっただけ・・・

 キヨトさんも、わたしを見て、ショックを受けたのでしょう?それは、わたしがこの世界に染まってきたから・・

 この世界の大半の人間のように余裕がなく自分のことしか考えられない野蛮な人々のようになっただけ

 キヨトさん・・・あなたは、それでも、この世界にとどまりたいと本気で思っているんですか?」


 初めて、サエの本心に触れた気がした。

 とめどない想いを吐き出した今のサエには、かつての幻想的な雰囲気など微塵もない。

 どこにでもいるこの社会に疲れ果てた悩み多き一人の少女だ。


 だが、一つだけ違うとすれば、サエは、この世界から逃げられると思っている。

 そして、逃げた先は理想郷だと思っている。

 

 サエをこの現実に踏みとどまらせるためには・・・・

 彼女の投げかけた問いかけに、何と答えるべきか・・・・


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