第二十話 社会のレールに一応乗ったフリをする

 意識が目覚めてからも、ほとんど意識がないような状態だった。

 もちろん、実際には、キヨトを取り巻く環境には大きな変化があった。

 未成年者が暴行事件に巻き込まれて、警察沙汰になれば、当然、両親が、社会が、介入してくる。


 そうなるのは、社会が健全に作用している良い証だ。

 キヨトの場合も、ご多分に漏れず、暴行事件は、社会の手続きの中に、組み込まれて、造作なく処理された。

 両親は事件の一報を聞いて、驚愕し、母が帰国した。


 母は、今回の件が、犯罪として成立しないこと、キヨトが被害者であることを知り、酷く安堵していた。

 キヨトの容態よりも、まず社会が息子に、つまり自分に、どういう判断を下すかに、彼女は興味があったようだ。


 それは、父も同様だった。

 今回の件は、未成年者の単なる喧嘩で、相手の両親もことを大きくはしたくなかったようだ。


 キヨトが仕掛けたとはいえ、相手の暴行が過剰だったこともあるだろう。

 結局、少なからずの話し合いが持たれて、示談になった。

 そして、この件が、キッカケとなり、キヨトが高校に行っていないことも両親に知られることになった。


 両親は、予想通り、怒った。

 だが、キヨトがそういう息子であることは、ある程度は既に両親も知っていた。

 つまるところ、両親は、そこまでの期待をもはや息子にかけていないのだ。


 だから、高校を辞めると言った時も、失望はしていたが、半ば諦めていたような顔をしていた。

「辞めてもいいけど、社会はそんなに甘いものじゃない。どうするんだ?」


 そう電話越しに、父に言われた。

 実にその通りだと思った。

 そして、それに対する答えをキヨトは今やはっきりと持っていたけれど、本心は言わなかった。


 ただ、彼にわかる言葉で、

 「高認試験を受けて、大学に行くよ。」

 と、返した。


 レールに戻ることを表明したキヨトに、父は渋々ながらその選択を認めてくれたようだ。

 かくして、キヨトは再び元の孤独な引きこもり生活に戻った。


 やはり、恵まれている・・のだろう。

 両親は、放任してくれていて、大学の学費も出してくれるだろう。

 ここまでの親はそう今の日本にはいない。


 これ以上、望むべくではない。

 ただ、両親の価値観も社会の規範と同じであるという事実にあらためて気付くと、少しだけ寂しくなるだけだ。


 それを責めることはできない。

 否が応でも日々接するあまりに分厚く、安定した社会の価値観がイコール自分のものになる。

 それは、当然のことだ。


 それが、大人になることであり、組織で生きることであり、社会をより良く生きる条件でもある。

 俺もそうなろうとしていた。

 いや、生きていく以上、そうなるしかないと思っていた。


 今もそれに変りはない。

 だが、今は少しだけ考えが変わった。

 この社会の外にいる人間、この社会の中でうまく適応できない人間、そんな人間は意外と多くいるのでは。


 むしろ適応できない人間の方がデフォルトなのではないだろうか。

 そう今では思っている。

 それは、救いであり、慰めだ。


 そういう人間たちが、社会の中で、一応正常なフリをしていて、社会は一見すればマトモに回っているフリをしている。

 だから、俺もそうなろうと思う。


 サエに執着していた理由・・・それは、別にサエのことが好きだとか、自尊心を満たすためではない。


 目の前から、いなくなり、もはやその足取りの手がかりすらつかめなくなった今、自分の気持ちが冷静に把握できるようになった。

 やはり、俺はこの社会の束縛から自由になりたかったのだ。


 サエと一緒にいれば、連れ出してくれると思っていた。

 だが、所詮はそんなのは幻想だったのだ。

 この社会で、生きていくしかない。


 当たり前のことだ。

 わかっていたことだ。

 そろそろ妄想から冷める時かもしれない。


 レールに戻るだけだ。

 それが、辛くても・・しかたがない。

 一番マシな選択なのだから。

 


 月日はあっけなく流れるものだ。

 キヨトはこの春、大学生になっていた。

 引きこもりでやることがないから、時間だけはたっぷりあった。


 だから、真面目に高校に行っているよりも、皮肉なことに、受験勉強をする環境としては有利だった。

 そして、キヨトはもともとこういう決められたルールに基づくゲーム、つまり、ペーパーテストは得意だった。


 世間では、その能力がイコール、頭の良さとみなされる。

 結果として、キヨトの大学受験は、成功した。

 キヨトは、世間一般で言う一流私立大学に合格することができた。


 それが、嬉しくなかったと言えば嘘になる。

 だが、それは結局社会のレールの中に戻ることを意味する。

 そして、後数年もすれば、よりウンザリするもの=つまり、就職や組織で働くこと、がやってくる。


 そう考えると、いつも濁った空気の中にいるようで、どうにも気分は晴れない。

 両親は、キヨトの合格をことさらに喜んでいた。

 おそらく、父の出身大学よりワンランク上の大学だったことが大きいのだろう。


 一夜にして、キヨトは、両親にとって、不可視な存在から、見える者になった。

 両親が、そういう価値観であることはわかっていたから、ある意味その反応は、予想通りだった。


 外観だけなく、中身を見てくれなんて、ナイーブなことを言う年齢でもない。

 実際、キヨトは恵まれている。

 結局のところ、両親は、大学の学費を惜しまず、出してくれたのだし、住んでいるところだって、首都圏なのだから。


 キヨトは、とりあえず、外見上はこの社会のマトモな成員になることができた。

 だが、所詮は、なりすましているだけだ。

 

 社会や人との関わり合いが上手くできるようになった訳ではない。

 そのことは、入学式の時点であらためて思い知ることになる。


 多くの人間たちの喧騒、サークルの勧誘、そのどれもが不快だった。

 中高6年間と、集団に馴染めなかった人間が、場所が変わったところで、その本質は変わりようがない。


 やる前から諦めてはしようがないと、適当なサークルに入ってはみたが、やはり人との関わり合いは面倒なもので、すぐに嫌になってしまう。

 結局、ゴールデンウィーク明けには、これまでの人生と同じ・・・一人での行動がデフォルトになっていた。


 ひとつだけよかったことは、大学は、小中高と違って、徹底的に一人でいても、特段目立つことはないということだ。

 誰からも、後ろ指を刺されることがなく、大学ではキヨトは完全に不可視の存在になれる。


 だが、それは大学という一種の特殊な空間の中だけの話しだ。

 いずれ、働くことになれば、嫌でも集団に混じらなれければならない。

 キヨトは既に、それが嫌というほどわかっていた。


 高校を辞めてから、何回かバイトをした。

 バイト先は、コンビニ、チェーンの飲食店、と言ったもので、誰でもできる仕事だった。

 実際、仕事自体はすぐに慣れる。


 だが、人間関係は、そうではなかった。

 一応、同僚とコミュニケーションを取ることはできるけれど、それはできれば避けたい嫌なことだった。

 

 経済的に親に頼ることができる単なるバイトの間はまだいい。

 いつでも、辞めることができるから、気楽だ。

 だが、職場から貰う金だけで生きるようになったら、そうはいかない。


 果たして、そうなった時、自分は、この閉鎖的で、長く続く人間関係に耐えられるだろうか。

 その答えは、もう既に中高時代に出ている。


 耐えられるわけがない。

 早晩逃げ出したくなる。

 そう思うと、暗鬱な気分になってしまう。


 現実が嫌なら、虚構に逃げたくなるのが、人間だ。

 封印していた記憶が蘇る。

 いや・・忘れようとしていただけで、その実、この2年間ずっと頭にこびりついて離れない記憶が・・


 学生たちが、広々としたカフェテリアの中で、和気あいあいと過ごしている中、キヨトは隅の席で、一人、買ってきた菓子パンを頬ぼる。

 スマホでSNSを見ると、最近ネット界隈で、話題の「若者の自殺が増加」がトレンドに入っていた。


 「すいません。ここいいですか?」


 唐突に横から、声をかけられた。

 顔を上げると、女が立っていた。


 「えっと・・・」

 「あ・・すんません。突然・・・隣いいですか?」


 女は、慣れた調子で、返事を待たずに横に座る。

 女の顔はそこそこ美人。

 だけど、服装は控え目。


 女慣れしていない男でも、安心して話しを聞いてしまいたくなりそうな女。

 そんな、女がキヨトに声をかけてくる理由。

 それは、十中八九・・


 「あの・・実は、ちょっとボランティア・・・といっても大げさなやつじゃなくて、どっちかっていうと勉強会的な・・まあ・・そんな固くもないんですけど・・とにかく、色々つながれるというか・・そういう感じのをやるんですよ。よかったら、どうですか?」


 女は、そう言うと、チラシを机に置く。

 確かに、チラシを見ても、女の説明同様に、いったい何のボランティアなのか、まるでわからない。

 とはいえ、そのボランティアの中身が本当は何なんのかは一目瞭然だ。


 「・・わかりました。実は、僕もボランティアに興味があって。」

 「本当ですか?それなら是非!あ・・そうだえっと・・・学年は?」

 

 「1年です。」

 「あ・そうなんだ。じゃあ、まだ慣れないでしょ。わたしは2年。えっと・・・ご飯ここで一緒にいい?」


 「はい。もちろん。」

 「わたしは、マリって言うんだけど。えっと・・」


 「松山です。」

 「松山くんか。ねえ・・この後時間あるかな?授業ある?」


 「大丈夫です。ちょうど次の授業なくて、暇してたんで・・・」

 「そうなんだ〜なら、ちょっと私達の集まりに顔だしてみない?一応大学の外だけど、こっからすぐ近くだから。」


 女の話しぶりは数十秒前とうってかわって、まるで10年来の友人のような口ぶりになっている。


 「・・・えっと・・はい。いいですよ。」


 女は少し苦笑しながら、

 「本当?よかった!こういうのってほら・・結構最近だと怪しむ人いるからさ。」

 と、声をひそめる。


 「ああ・・そうですね。」


 キヨトは、オウム返しでそれに返す。

 こうした一連の会話は、大学に入ってから、この2ヶ月もう何度もしている。


 まるで、マニュアルでもあるかのようにほとんど同じ内容だ。

 いや・・実際あるのだろう。

 話しかけてくる相手の雰囲気もほとんど同じ。


 まるで、機械のようだ。

 キヨトは、この後何が起きるのかも、もうあらかた想像がついてしまっている。

 

 それでも、キヨトにはついていく理由がある。

 過去の亡霊を払拭するという重要な理由が・・・

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