第五話 明らかにオカシイ

 この女の挙動がおかしかったり、外見もボロボロだったり、そんな明らかな兆候があったら、まだこんなに驚かなかっただろうし、恐怖も感じなかっただろう。


 だが、今にしたって、言っている内容は別として、話しぶりは流暢だし、格好も小奇麗で、顔だって可愛いらしい。


 だからこそ、女がイカれているとわかった時の落差が凄まじい。

 それに・・この女は、本気で信じ込んでいるのだ。

 いま言っていた内容を。

 今こちらを捉えている目には、一点の曇りもない。


 そして、こんな深夜に他人の男の家に無断侵入しても何とも思っていない。

 まさに狂気だ。

 

 いったいどうすればいい?


 相手は自分よりも背の低い華奢な女だ。

 万一、暴れだしたり、殴りかかってきても、なんとかなるだろう。

 だが、それはたいした問題ではない。


 問題なのは、外部の介入があった際に、社会は今の状況をどう判断するかだ。

 相手は、一見すればマトモに見えるし、少女で・・もっと言えば美人だ。

 

 そんなうら若き少女が、一人暮らしの他人の男の部屋で、大声を上げたりして、あまつさえ助けを求めたら・・・

 何も知らぬ他人からすれば、イカれているのは俺ということになるかもしれない。


 いや知っている人間でも、俺が犯人にされるかもしれない。

 精神的病を抱えている16歳の引きこもりが、同じマンションに住んでいる女を部屋に連れ込んだ・・・


 日本の社会は日に日に物騒になっているという妄想を信じている世間がみな納得するストーリーだ。

 少なくとも、妄想を抱いている美少女が、16歳の引きこもりの男の部屋に夜中に侵入して、奇声を上げたというストーリーよりは腑に落ちる。


 それに・・・相手は俺と同じ未成年だ。

 となれば、当然保護者・・両親がいるはずだ。

 彼らは、もちろんこの女の病気のことは知っているはずだ。


 だが、事実を知っているからと言って、納得して受け入れるとは限らない。

 自分の可愛らしい娘が心底イカれていると思うより、見知らぬ他人の男がイカれているとした方が精神的に楽ではないか・・・


 どう行動するべきかという答えは出た。

 穏便にこの場をやり過ごして、この女には部屋から退散してもらう。

 そして、その時間はできるだけ早い方がいい。


 いつ娘がいないと気付いた両親が警察に通報するかわかったものではないからだ。

 キヨトは、自分の手を握っている少女の手をゆっくりと話して、心の動揺をさとられないように、何食わぬ顔を浮かべる。


 それにしても、こんなに頭を使ったのは久しぶりだった。

 そして、我ながらその回転力に少し驚いていた。

 数秒にも満たない時間で、よくぞここまで計算できたものだ。


 やはり、人間は追い詰められると、力が出るものなのだ。

 実際のところ、今までの人生で一番の危機と言ってもいい。

 不登校だろうが、引きこもりだろうが、それは後の結果で挽回できる。


 だが・・・性犯罪者という汚名は拭えない。


 それに、社会は疑いだけで人を断罪する。

 仮に、捕まって、その後の裁判で、無罪になっても、捕まった事実だけが人々の記憶に残る。


 痴漢で捕まった男がその一年後に、無罪判決が確定したとしても、前者は報道されるが、後者は報道されないのと同じことだ。

 

 こんなイカれた女に俺の人生を台無しにされて、たまるか・・


 キヨトは、頭の中に浮かぶ恐ろしいシナリオを振り払い、目の前のことに意識を集中させる。


「その・・えっと・・セカイの話はとりあえず、置いときませんか。まずは、お互い自己紹介というか・・名前を聞いていいですか。僕は、松山と言います」


 早く出ていってもらいたいが、なにがこの女の頭にとって地雷になるかわからない。

 とりあえず、無難な会話をして、情報を引き出そう。

 そして・・・やんわりと部屋から退散するよう促そう。


「名前ですか?それはこちらの世界のという意味ですか?それとも元いた世界の名前ですか?」


 キヨトは、思わず頭を抱えたくなってしまった。

 自己紹介すらマトモにできない。

 この女は、完全に妄想の世界の住民になりきっている。

 だが・・今は合わせるしかない。


「あ、あの・・・こちらのセカイ・・・いやこの国、日本での名前を聞いてもいいですか?」

「ごめんなさい。こちらの世界での・・・この人間の名前はまだよく覚えていないんです。どうしても違和感があって・・・あ・・でも、元いた世界でもわたしは日本人でしたよ。わたしの名前は、サエです。あなたもそうでしょう?」

「え・・あ・・日本人・・です。えっと・・その・・・下の名前で言うのも失礼ですから・・・名字を聞いても・・」


 女は、キヨトのその言葉がよほど変に聞こえたのか、やや戸惑い気味に、


「え・・名字?名字はあるけど2つありますから・・ふつう話す時は、下の名前で言いませんか?」


 と、首をかしげる。

 キヨトは、たった数回女と言葉をかわしただけなのに、早くも頭が痛くなってきた。


 名字が2つ?日本人?この人間?なんだよ・・それは・・・


 ちょっと話をしただけで、このありさまだ。

 無難な会話すらできない。

 

 それにしても、別の世界の人間という割には、日本人だというし、名前もひどく普通だ。

 この女の妄想の世界はいったいどうなっているのか・・・


「そ、そうですね・・じゃ・・えっとサエさん・・・あのサエさんはこのマンションに住んでいるんですよね?夜も遅いですし・・ご両親も心配しているかもしれないですし、話はまた明日にしませんか?ほ、ほら・・互いに家も近いですし・・別に明日でも・・・」


 このまま煙に巻いて、おとなしく女を退散させようと想ったが、残念ながらそう都合よくは運んでくれなかった。

 その言葉がよほど勘に触ったのか、女は、顔を豹変させて、吐き捨てるように言う。


「絶対に嫌です!あの家に戻るなんて!あんな見知らぬ・・野蛮な人達と一緒に過ごすなんて・・ウンザリなんです。」


 どうやら、女が、両親とうまくいっていないことだけはわかった。

 この女が、無断で頻繁に外泊しているのなら、両親からは見放されているのかもしれない。


 だったら、この女の両親が警察に通報するという最悪な事態は避けられるかもしれない・・・


「あの・・こんな深夜にサエさんが・・・いなくなったりしたら・・その・・ご両親は、警察に通報したりはしないんですか?ほ、ほら・・サエさん未成年ですよね・・女性が夜中に一人出歩くなんて、ご両親は心配するんじゃないですか・・」


「それ・・はないですね。あの人たちは、わたしが夜中に抜け出さないように見張っているし、抜け出しても、連れ戻そうとしつこく追ってきます。今だって、きっと近くを探しています。」


 女の話は、キヨトにとってあまり良い話とはいえなかった。

 警察の介入はなさそうだが、それでも娘を想う両親が、血眼になってここらをうろついていると想うと心中穏やかではいられなくなる。


 それにしても、女の両親に同情してしまう。

 精神的病を患っていて、妄想を抱いている娘が夜な夜な家を抜け出して、どこかを放浪するなど、気が気でないだろう。

 

 そして、そのとうの娘からは、病気が原因とはいえ、「見知らぬ人」「野蛮」などと言われる始末だ。


 この女に比べれば、俺はまだマシだな・・・

 

 キヨトは、こんな時でも、自分と他人を比較して、社会に対して感じている言いようのない不安感を和らげようとする。

 この女のように「自分より下の人間」を見ると、いつもは心が落ち着く。

 もっとも、今はとてもそれどころではないため、ただ焦りだけ募ってくるが。

 

 キヨトは、女に恐る恐る、

「あの・・・サエさんは、いつまで・・ここに・・その・・・朝までいるつもりですか・・」

 と、一番避けたいことを聞く。


「そのつもりです。いつもは公園で過ごすことが多いんですけど・・本当は家の中にいたいんです。だから、あなたのような仲間の家なら、安心です。」


 いったいどうなっているんだ。この女の思考回路は・・・

 見知らぬ他人の男である俺の家に一晩中一緒にいることを、どう解釈したら安全になるんだ・・・

 そもそも、この女は何故、俺を別世界とやらの仲間だと勝手に思い込んでいるのだ。


「その・・・サエさん・・・なぜ仲間だと思ったんです?」


 女は何を当たり前のことを聞くんだといったそぶりで、


「あなたの様子を見たら明らかじゃないですか。家にこもって、たまに外に出るのは夜だけですよね。それに・・・精神科に通院している。そして、極めつけは、あなたの食べ物です。いつもパンばかりですよね。わたしの・・この世界の仲間・・が言っていた転移者の特徴にぴったり当たっているんです。」


 と、自身満々にひとりウンウン・・と頷いている。

 どう返せばいいんだ・・・

 女の言葉は理解できるが、その意味するところはまるで理解できない。

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