海豚の着物――参

 冷や汗をかいて言葉を選べないでいると、犬の若者が笑いかける。

「天災っすか? 大変っすね。ここ桐花の都っすけど、分かります? なんなら分かる場所まで案内いります?」

「ありがとうございます。いやぁ、本当に困ったものですよ。私はそこで灯屋をしている者なのですが、出先から飛ばされましてね」

「うわぁ、頑張ってくださいっす!」

 事なきを得て犬の若者と別れ、ふらふらと都を歩く。


「今のは驚いたな」

「そうだね。今度から橋の下は止めよう」

 そうして歩く都には布屋や着物屋が多い。

 尾人は不器用な奴が多く、たまに裁縫のできる奴がいるとやりたくなくても服とかそういう店を出さざるを得ない空気になるのだ。そいつらが辺りでも大きく、人の多いこの都に集まった。

 もちろん、この都にも海豚はいる。店先にイルカ除けの幕が張ってあったり、箒で追い払おうとする店主もいるけれど海豚は構わず中に入って行く。


「向こうの井戸の前に珈琲屋があるんだ。そこへ行こう」

「珈琲とはなんだ?」

「豆で作った苦い飲み物だよ」

 蕎麦屋の横の路地を抜け、大きな石灯篭の立つ階段を上ると井戸がある。ちょっとした広場になっているその井戸周りには目的の珈琲屋の他に腰巻屋、帽子屋と反物屋がある。

 たわわに実る稲穂のような色の布がはためく着物屋の隣、竹造りの珈琲屋に入る。


「いらっしゃいませ!」

 店内に入ると、すぐに長髪の青年が席に案内してくれる。体にしては小さすぎる、あの白熊の尾を生やした青年だ。僕は小声で青年に言う。

「新しい仲間だよ」

「俺はヤマトだ。よろしく」

 同じように小声で答えるヤマトに、何も伝えていなかったノウミが驚く。

「人なのか?」

 ヤマトはニコッと営業用の笑顔を向ける。

「珈琲二つ」

「かしこまりました」


 厨房へ去るヤマトの首筋から青磁色の蔦が伸びている。

「あの蔦は何だ?」

 ノウミが聞くので、僕はこの机の周りにだけ防音の魔法を張った。

「あれが彼の理由だよ。病なんだ。死ぬような病気じゃないのに治療法がなくてね」

「そうだったのか」


 お品書きを開いて見せると、分からないものばかりだと笑うノウミ。

 この店には天井まで届く大きな本棚が二つある。

 それから理科の実験のような形の、珈琲を沸かす硝子管。人の背丈くらいありそうなそれが三つほど並んでいる横が厨房への出入り口。


「ヤマトにはこの店を利用して仲介役をしてもらっているのと、灯屋で何かあった時のために近くで働いてもらってるんだ。ああ見えても三十四歳のおじさんだよ。だから彼の顔に皺を見つけても見つめない事。ちょっと怒りっぽいからね」

「あぁ。こんな風に仲間があちこちにいるのか」

「そう。みんなが集めた虫も灯屋へ送られてくるんだよ」


 店内で談笑したり本を読む人たちの尻からは、等しく尾が生えている。

 感情に合わせて動いてしまうらしい尾は時に、隣の人をパフっと叩いてしまったりする。

 お喋りに夢中になっている中年の猫の男女。女の長毛猫の尾が隣の人の腕に何度も当たっている。迷惑そうにしているのは緑の作業服を着た若い猿男の二人。

 店内にはもう一組いる。

 真っ白な狐の尾をピンと立たせて仁王立ちしている女性に怒られ、同じく狐らしいがこちらは茶色の尾を股の間にシュンとしまって頭を掻く男性だ。

 その人たちは僕たち人間と同じように話し、怒り、珈琲を飲む。

 尾人はどちらかと言うと珈琲の苦みは嫌いなはずなのだけれど、女の手前なのか眉間に皺を寄せながらも「うまい」と言って飲んでいる。


 僕たち人間の遺した物を基にして作られただろうこの世界。僕たちに合うという事は、尾人には合わないはずなのだ。合わない物の中で無理をして生きるのは何故だろう?

 そうヤマトに聞いた時、彼は違うと認める事が怖いのだろうと言った。


「ヤマトさんは灯屋で一緒に暮らさないのか?」

 ノウミが聞く。

「店員と客って思われていたいんだ。お互い便利に動けるようにね」

 僕が答えると丁度ヤマトが珈琲を運んで来た。ふわっと香る湯気の中でヤマトが頷く。

「種族が違うって、それだけで生きづらいんだよ。上手くやらなきゃ」

 言いながらヤマトは、ノウミの周りに吸い寄せられる魔力の流れを見る。

「すごいでしょ? いるだけで魔力を集めるんだよ」

「すごいな。海豚と遊び放題じゃないか」


 海豚が大好きなヤマトは幸せそうに頬を緩める。

「でもさ、厄介ごとも引き寄せられるだろうな」

 悪戯っぽく言って仕事に戻っていくヤマトを見ながら、申し訳なさそうな顔のノウミ。

「私は厄介ごとを引き寄せるのか?」

「どうだろうね。魔力に引き寄せられるのは海豚だけじゃないって事だと思うけど」

「海豚の他には何が来るんだ?」

「天災を起こす寸前の虫だね。爆発するために魔力が多い方へ、自然と向かうんだよ」


 こうして話している間にも、見ようと思わなければ気付けない蟻や蚊が店内に入っているかもしれない。

 もちろん店の入り口には虫よけの香がたかれ、窓ははめ殺し。

 それでも僕らの頭上に、一匹の玉虫が飛んで来た。玉虫は緑色の体にテラテラと光を反射させ、天井にとまる。

「こういう場所だと困るんだよね。人目があるから魔法は使えないし」

「ん? どうした?」

「そっと天井を見て」


 ノウミにそう言って、僕は耳に魔力を集中させて玉虫の声を聞く。しかし聞こえるのは『あぁ』とか『おぉ』とかばかりだ。

 虫は苛立つように羽を閉じたり開いたりしている。中から薄羽が飛び出している。

「気を付けて。来るよ」

「捕まえないのか?」

「もう手遅れだ」


 魔力の膨張する気配に気づいたヤマトが客、店長や従業員を「虫退治をする」と言って店の外に出し始める。

 天井の玉虫と厨房、入り口の三か所から強い光が走った。

 店内に残ったのはヤマトと僕とノウミ。それから逃げ遅れた狐のカップル、中年の猫男女だ。

 強い光に視界の全てが奪われ、荒々しい風に体を持ち上げられる。咄嗟に柔らかい物が思い浮かばなくて床を砂地に変えた。

 そして僕は背中から砂地に叩きつけられ、そのまま気を失ったのだ。


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