夢の袖――参

 店に内側から鍵をかけ、引き出しのたくさん付いた行李を背負う。

 色々な鞄を使ってみたけれど石や虫、蛹なんかを採取する事の多い僕にはこれが一番使いやすい。

 それから目を閉じ、手を合わせて紅葉山を思い浮かべて祈る。


 水の香りがしてきて、足元から霧が立ち上るのを肌で感じる。

 これは魔力が水の底より生まれるからだ。正しく言うと鯨が魔力を生むのだ。それを海豚たちが運ぶ。

 とは言っても魔力を消費する人間がいなくなって、今ではどこでも魔力は空気中に濃く充満している。今なら砂漠ですら魔法が使えるだろう。


 考え事をしているうちに靴底の感覚が変わった。カサカサとした落ち葉だ。肌寒い風が足元を抜けた。鳥が鳴いて目を開けるともう紅葉山だ。

 川の音に混じって笑い合う声が耳に届いた。


 僕は赤ら顔の紅葉山を流れる川を背に立っている。しゃがんで水面のギリギリまで顔を近づけると、案の定あれらがいた。人ツムリだ。

 金柑の実くらいのが二匹だけ見える。

「今はお前たちに構っている暇がないんだ。二匹だけなら後回しだな」

 人ツムリの殻は硬い。それは金槌でも砕けないどころか、魔法をぶつけても壊すのが簡単ではないくらいに。

 そういう時は渦巻きの初め、殻の真ん中を狙うんだ。そうして中身を引きずり出すのがいい。


 立ち上がって笑い声の方に向かって行くと、尾人の一家が紅葉狩りをしているのを見つけた。

 ズボンのお尻から兎の尻尾のような物を生やす息子はやんちゃ盛りの悪ガキといった感じだ。僕が近づいて行くと、真っ赤な落ち葉を両手でバサバサと降り掛けながら笑う。


「こんにちわ。紅葉狩りですか?」

 挨拶をすると、ふくよかで品の良さそうな奥さんが頭を下げる。

「えぇ。この辺りは鉱山ですので作業員でなければ普段は近づけないのですけれど、紅葉が美しいと有名なのです。それが鉱山の中止になっている今でしたら山に入れると聞きまして。急いで三人で来てみたのですよ。本当に美しいですね」

 そこへ一家の旦那さんが被せる。

「もしかして調査か何かで?」

「いやいや。単なる物見遊山ですよ。虫たちの天災にも困ったものですねぇ。今回は何でしたっけ?」


 僕がとぼけて言うと、兎の旦那は得意げに身振りを交えて言う。

「角だよ」

「角とは、また滑稽な」

「そこの茂みの、ほらそこ。見えるだろ?」

 旦那が指さす茂みの中からは一見すると白い竹にでも思える角が生えていた。それだけが景色から浮いてしまっている。

 旦那が続ける。


「あそこには昔に潰された鉱山への出入り口があるんだが、どうもそこから出てきたらしい」

「へぇ、こんなのが鉱山の中にも?」

「そりゃあもう、歩くのがやっとなくらいひしめいてるって話さ。一本ずつ引っこ抜くにも骨が折れるし、役人はどうするつもりかねぇ」

「まったくですね」


 茂みをかき分けると、苔の生し始めた大きな重い石の蓋があった。それと大地の隙間を裂いて白い角が生えている。

 ぼんやりとした夢幻の記憶の中でそれが揺れる。角はかつて人間たちの敵であった魔物の角だ。

 息子と少し遊んでから、僕は兎の一家に別れを告げる。

「またね。灯屋のアメノさん!」

「どうぞご贔屓に」


 それから三十分ほど歩き回って川の東側に鉱山の入り口を見つけたが、まるで人の侵入を拒むように横や上下から角が生えている。色も形も様々な魔物の角だ。

 辺りには海豚も泳いでいる。

 水もない空中を、魔力の波の中をあたかも水の中であるように泳ぐ。

 可哀想な海豚は、空気中に魔力が溢れすぎて水との境目を見失ったようだった。最近ではよくある事だ。

 海豚はそのまま鉱山の中に入って行く。


「鉱山町へ行くか」

 山を下りる時に、掌ほどの雪雲を連れて飛ぶ蚕の成虫に会った。

 雪になにか思い入れがあるのか、冬を憎んでいるのかは分からない。けれど感情を爆発させ、制御の出来ない魔法を放ってしまうのが『虫の天災』だ。

 だから天災の有り様にはその人が虫になろうと思った心の塊が現れている。


「お前の話は後でちゃんと聞いてやるから。今は虫籠に入ってくれ」


 僕は腰にぶら下げた虫籠に、魔力の流れを遮断する魔法をかけてから蓋を開けた。もちろん、天災を防ぐためだ。

 しかし店に入って来た蜻蛉のようにはいかず、蚕は吹雪ながら威嚇して飛ぶ。

 こういう時は仕方がないので力づくで虫籠に入ってもらう。そして虫を灯屋の奥へ送る。

「ごめんね。また後で」

 虫たちはその過去を癒してやらない限りどんな魔法をかけても人の姿には戻らない。だから僕の仕事は虫たちの話を聞く事。

 塊になって消えてくれない過去を癒す事だ。

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