【爪】

 11人目に紹介するサイコパスは、鳥羽晃一とばこういち。齢40の男である。

 この男が犯した罪は、計6人の殺人である。

 6人という数字に拍子抜けしただろうか?実は・・と言いたいところだが、別に特筆するようなことはない。

 犯罪歴だけを見れば、鳥羽晃司はこの施設において、最も取るに足らないサイコパスだろう。

 起こした事件名は、入峪いりたに女性連続殺人事件。事件自体がそれほど大きく報道されなかった為、あまり有名ではないだろう。

 6人を殺した殺人犯など、世間にはザラにいる。では、なぜ鳥羽晃一がこの施設に収容されているのか?

 それはもちろん、鳥羽晃一がサイコパスだからである。その理由を、説明していこう。



 日本が自国で開催されていたオリンピックに湧いていた年。ひっそりとその事件は起きた。

 とあるアパートの一室で、一人の女性が殺された。女性の名は有尾南ありおみなみ。日本選手の金メダル獲得に湧いていた報道に、ほとんど相手にされなかったその殺人事件の遺体には、奇妙な痕跡が残されていた。

 殺害方法は絞殺だったが、被害者の首元に残されていた吉川線(犯人に抵抗しようとして、自分の首を爪で傷つけることにより出来る傷跡)とは別に、被害者の背中、頬、内腿、手の甲に爪を食い込ませたような跡が残されていたのである。

 抵抗の際にできた防御創とは明らかに違う不自然な傷に、警察は犯人が被害者を絞殺した後、故意に傷をつけていったのだろうと推測し、捜査を開始した。

 しかし、これといって目撃情報や物的証拠もなく、傷跡から犯人のDNAが検出できなかった為、事件は進展を見せないまま月日が経過し、風化していった。

 前述した通り、オリンピックに湧いていた日本の報道はこの殺人事件に対して興味を持たなかった為、世間的にも目立つことなく忘れられていったのである。

 その殺人事件から一年の月日が経った頃、再び殺人事件が起きた。

 被害者は軽部奈々子かるべななこ。夜間、会社からの帰り道に橋から落とされて殺害された。

 遺体に防御創がなかった為、当初は自殺かと思われたが、動機が見当たらなかったことと、遺体に残されていたとある痕跡により、殺人と断定された。

 一件目の被害者とまったく同じ位置に、似たような傷跡が残されていたのである。

 背中、頬、内腿、手の甲。身体を強く掴み、爪を食い込ませてつけられた傷の様だった。

 警察は最初の殺人事件と関連性を見出し、同一人物の犯行だとして捜査を開始したが、二件目の犯行も目撃情報はおろか被害者の悲鳴を聴いたという者すら現れず、進展を見せることはなかった。

 そのあまりの手際の良さに、警察は犯人像を犯行に手慣れた者だと推測していた。

 だが、その仮説は後に入峪警察署に届いた一通の手紙によって覆されることとなる。



 ”おれは あくまのこ だ。

 おれは あくまのこ おれはおんなをばっする あくまのこども だ。

 おれはあたまのなかにすまうあくまにめいじられるがまま さつじんをおこなう。

 つめあとをのこせ。

 あくまがおれにいうんだ。

 だからおれはいわれるがままに おんなにつめあとをのこすんだ。

 おれをとめたいかい。

 おれはじぶんじゃとめられない。

 あたまのなかにあくまがすんでいるから。

 おれをとめたいのなら おれのあたまのなかにすむあくまをころしてくれよ。

 それができるのは おまえらけいさつだけだ。

 だっておまえらは じゅうをもってるだろ。

 ばん ばん ばん ばん。

 そうやっておれのあたまをあくまごとうちぬいてころしてくれよ。”

  

 入峪警察署に届いたその手紙は、まごうことなく二件の殺人事件の犯人によるものだった。

 手紙はわざと筆跡を乱して書かれており、指紋も残されておらず、送り主の特定は不可能だった。

 警察は犯人による挑発だと受け取ったが、この手紙の存在を公表すれば反って次なる犯行を煽ることになると考え、メディアに公開せずにいた。

 すると、しびれを切らしたのか、犯人はとある新聞社に、再び手紙を送りつけた。


 ”ここはこえだめだ。

 ここはこえだめみたいなせかいだ。

 みんながへいきなかおしてあるいているが よおくじめんをみてみろ。

 おんなのくそに おんなのげろ おんなのはいたくさったわいん おんなのち おんなのしょうべん。

 せかいにはおんながみちあふれてる。

 おれはそれをほどうのわれめからのぞいてる。

 おれはわるくない。

 おれはあくまにいわれるがままに おれにそれらをはきかけたおんなたちにふくしゅうしてるんだ。

 わざわざおれはしんせつにそれをけいさつにおしえたのに あいつらはみむきもしてないみたいだった。

 とどいてなかったのか そんなわけないだろ。

 おれはつづけるよ。

 あくまにいわれるがままに。

 つめあとをのこすのさ。”

 

 新聞社はすぐさまその手紙を公開したが、警察が一切の情報をメディアに渡さなかった為、最初の手紙の内容が世間に知られることはなかった。

 肝心の反応はというと、またしてもタイミングが悪かったというべきなのか、”犯人から直々に送られてきた手紙”というニュースは、当時世間を騒がせていた田内戸たうちど発電所の爆発事故の報道によってかき消されてしまったのである。

 世間的には、連日報道される被害状況や大規模な停電復旧状況の方が、殺人事件の報道よりも大事だったのだろう。本来ならば取沙汰されるであろう過激なニュースは、あっという間に忘れ去られていった。

 こうして意図せず警察とメディアに反故にされてしまった犯人は焦ったのか、それとも激昂したのか、はたまた世間の目を引きたかったのか、三度目の殺人に至った。

 三人目の犠牲者は、出島奈美でしまなみ。真夜中の映画館の駐車場で、車に乗り込もうとしたところを押し込むように襲われた。

 車中にて絞殺された遺体は、やはり背中や内腿に爪の痕が残されていた。

 警察は決して犯人を甘く見ていたわけではなかった為、全力を挙げて捜査に当たったが、突発的な犯行の割には目撃情報や物的証拠が一切出なかった。

 難航する捜査に業を煮やし、警察は捜査人員を増やすなどして力を入れたが、目ぼしい成果は上げられなかった。

 捜査に当たっていた刑事の一人、小場圭三おばけいぞうは、当時の心境をこう語っている。

「一刻も早く証拠を見つけるべきだった。絶対に犯人は承認欲求の強い目立ちたがり屋だと確信していた。こちら側が何も掴めていないと悟られるわけにはいかなかった」

「とにかく焦っていた。どうにか糸口を掴もうと躍起になっていた」

 そして犯人が狙ったであろう大々的な報道は、結果として田内戸発電所の爆発事故による二次災害や、設備管理会社のずさんな対応の報道にまたしてもかき消されてしまった。

 ニュースにはなったのだが、次から次へと押し寄せる田内戸発電所の爆発事故による責任を問われた管理会社のスキャンダル報道に湧いていた世間は、殺人事件に見向きもしなかったのである。



 警察の捜査が膠着状態に陥っている最中、四度目の殺人が起こる。

 犠牲者は栗田桃子くりたとうこ。夜間のマンションの地下駐車場にて、壁に叩きつけられて殺害された。遺体には言わずもがな、爪の痕跡が残っていた。

 べっとりと壁に付着していた血から、マンションの裏口から入ろうとしていた栗田桃子を壁に突き飛ばして殺害したのだろうと推測された。

 ここで、ようやく犯人は証拠を残す。殺害後、死体の写真を撮影しているところを、帰宅途中のマンションの住民に目撃されたのである。

 この目撃情報から、犯人の体格、服装、そして足跡から靴の種類が特定された。警察が推定した犯人像は、フード付きの黒い雨合羽に黒いズボンを着込み、某スポーツメーカーの黒いスニーカーを履いて、白いマスクを着用しており、身長は165㎝から170㎝、20代から30代の中肉中背の男、というものだった。 

 また、写真を撮っていたという証言から、近隣の家電量販店やカメラ専門店などに聞き込みが行われ、捜査はようやく大きな進展を見せた。

 犯人は住民に目撃されるや否や、一目散にその場を離れた為、初めて犯行にボロを出して焦っているのだろうと思われた。警察はこの機に捜査線を犯行現場一帯に狭め、なんとか次なる犯行の前に犯人を挙げようと必死になった。

 ここで、ようやく世間は大々的に連続殺人鬼の存在を知ることとなる。手紙を送りつけられた新聞社を筆頭に、ありとあらゆるメディアがこぞってこの一件を報道したのである。

 世間もオリンピックや発電所の事故から落ち着きを取り戻し始めていた頃合いだった為、それは三件目の殺人の際の比ではなく、大きく新聞の一面に掲載されるほどの規模となった。

 どのメディアも、犯人を指してこう謳った。”女性だけを狙う卑劣な殺人鬼”。

 それが功を奏したのか、やはり犯人も犯行を目撃されたことに焦ったのか、ほぼ一年おきに行われていた殺人は、四件目以降静まり返ったように息をひそめた。

 ようやく掴んだ犯人像だったが、結果としてそれが犯人の逮捕につながらなかった為、警察は肩を落としていた。入峪警察署は全国に犯人の服装や背格好を流布し、目撃情報を募ったが、待てど暮らせど犯人は尻尾を見せなかった。

 やがて三年の月日が経ち、沈黙していた一連の事件は、犯人から入峪警察署に再び送られた一通の手紙によって、動きを見せる。

 

 ”やあ ひさしぶり。

 おれをおぼえてるかい。

 きみたちけいさつはとうとうぼくをつかまえられなかったね。

 あれだけひんとをあたえたのにほんとうにばかだね。

 あれからひまになったからおれはおとなしくしてたけど そろそろしたくなってきたからまたはじめるよ。

 だって。

 だって。

 そろそろおんなをころさないとおれのあたまのなかのあくまがあばれだしそうなんだ。

 あくまはまだおれのなかにいる。

 おんなをころせっていってる。

 つめあとをのこせっていってる。

 はやくとめてくれよおれを。

 むりかな。

 だってよにんもころしたのにきみたちはおれをみつけられなかったもんね。

 えへへ。

 じつははやくきみたちがこないから もうひとりころしちゃったんだ。

 うみにぷかぷかういてたけど あのままはわいまでいったらおもしろいね。

 がんばってみつけてみなよ。

 

 ついしん。


 はやくとめてよ さもないと。”


 明らかに逃げおおせた犯人による挑発だった。手紙を読んだ警察関係者の中には、激昂するあまりに拳を机に叩きつけた者もいたという。

 だが、それどころではなかった。手紙の内容が正しければ、犯人は既に五人目の犠牲者を出していることになる。

 警察は全国の海岸沿いに遺体が流れ着いていないか確認を行ったが、それらしき報はなかった。

 結局、その後もそれらしき遺体が海岸に漂着することはなく、行方不明者の中に犠牲者がいるのだろうと推測された。

 どちらにせよ、犯人が再び動き出したことは明らかだった。警察は四件目の殺人の際に得られた目撃情報から全身像のイラストを作成し、全国に手配して警戒を行った。

 また、世間に警戒態勢を取らせるという狙いもあり、今回は警察から新聞社を通じて手紙の内容を公表させた。

 警察の判断は功を奏し、世間はすっかり忘れ去っていた連続殺人事件を思い出した。メディアが女性だけを狙うと強調したせいか、夜間を歩く際には必ず一人にならないようにと、様々な場所で呼びかけが行われた。

 この年にだけ、なぜか目潰しスプレーやスタンガンなど、持ち歩きタイプの防犯グッズが売れ筋を伸ばしたというが、それがこの事件による影響なのかは定かではない。

 


 そして、とうとう犯人の逮捕につながる六人目の殺人が起きる。

 六人目の犠牲者、石田逸子いしだいつこが殺害された翌日、入峪警察署に犯人と思わしき人物の目撃情報が寄せられたのである。

 石田逸子は自宅アパートの一室にて殺害されたのだが、犯行を終え、その正面玄関から出てきたところを、同じアパートの住民にひっそりと目撃されていたのである。

 住民は見慣れない男に不信感を感じていた矢先に、自身の住むアパートで殺人が行われたと知り、すぐさま警察へと情報を届けた。

 その目撃情報からとうとう犯人の人相が割れ、警察はローラーのように近隣一帯の聞き込みを開始し、不審な人物がいなかったか捜査を始めた。

 すると、他にも似た背格好の人物を見たという目撃情報が複数寄せられたのである。その中に一件、決定打となる目撃情報があった。

 犯人と似た背格好をした人物が、車に乗り込む姿を目撃していた者がいたのである。その情報提供者は車両ナンバーまでは覚えていなかったものの、車種を記憶しており、犯人が利用している車を特定することに成功した。

 警察はすぐさま人員を挙げて車種から犯人を追った。すると、なんと殺害からわずか三日で犯人の逮捕に至ったのである。

 前から怪しいと思っていた。そんな証言をしたのは、鳥羽晃一の住んでいたアパートの大家だった。

 大家は、鳥羽晃一が夜な夜なエンジン音のうるさい車でどこかへと出かけていくのを快く思っておらず、時折注意を行っていた。

 三日前の夜、しびれを切らした大家が朝方帰ってきた鳥羽晃一を注意したところ、酷く狼狽えながら手荷物を抱えて部屋に消えていったという。

 その際、不意に妙な予感がしたという大家は、警察の目撃情報と同じ車種の住民に聞き込みを行いたいという要請を快く受け入れ、その情報を提供した。

 あの男は怪しい。その大家の言葉に根拠は得られなかったが、警官はともかく本人に話を聞こうと考え、部屋のドアを叩いた。

 ノックの後、部屋の中から現れたのは目が異様にギラついた中肉中背の男だった。

「少しお尋ねしたいことがあるのですが」

 警官が発した言葉はそれだけだった。だが、なぜか鳥羽晃一はそれを聞くなり、ニッコリと笑ってこう言った。

「やあ、遅かったね。ずっと待ってたんだよ。俺が連続殺人事件の犯人さ」

 入峪女性連続殺人事件が、ついに終焉を迎えた瞬間だった。

 あっさりと逮捕された鳥羽晃一は、警察の取り調べに対して終始ニヤニヤと笑いながら、意味不明な言葉を発するばかりだった。

 自分は頭の中の悪魔に言われただけだ。自分はそれに従っただけ。

 だが、警察はこれを心神喪失を狙った供述だと睨み、そんな証言では精神異常は狙えないと揺さぶりをかけ続けた。すると、あっさり鳥羽晃一は犯行を認めたのである。

 それにとどまらず、意味不明な供述から一転して、今度は犯行をまるで武勇伝のように自慢げに語りだした。

「殺す時は必ず相手の眼を見ながら殺したよ。今まで俺に見向きもしなかった奴が、俺の眼を見て無様に死んでいくんだ。たまらなかったね」

「爪痕を付けたのは俺の所有物って印だよ。肉食獣だってあちこちにマーキングするだろ。それと似たようなもんだよ。優れた狩人はみんなそうするさ」

「写真?そりゃ記念だよ。気に入った獲物は写真に収めておいて、あとでコレクションとして眺めるのさ」



 このサイコパスは一体どうやって誕生したのか?

 幼少期から・・・と言いたいところではあるが、その必要はない。

 一体何故か?それは、特筆するような経歴がないからである。

 別に過去が一切不明だとか、そういった理由があるわけではない。今までのサイコパス達のように凄惨な過去があるわけでもなく、幼少期から様子がおかしかったというわけでもなく、鳥羽晃一はどこにでもいるようなごくごく普通の人間だったからである。

 家庭環境に問題があるわけでもなく、何事もなく小学校を卒業し、中学校を卒業し、普通科高校を卒業し、平均学力の大学を卒業し、中小企業の一社員として就職していた。

 当時を知る人間達も、鳥羽晃一の印象は薄く、どこにでもいるような普通の人間だったと評している。なんの問題もなく青春を過ごし、仕事も平均的にそつなくこなしていたというのだ。

 その中のとある人物が、鳥羽晃一を指してこう言っていた。

「あいつは”ミスター平均”だったよ」

 そんなミスター平均に一体何があったのか?犯行の動機すら、明確には明かされていない。この施設にて、精神鑑定を担当した医師は、”突如として湧きあがった殺人衝動と強烈な承認欲求によるもの”と断定していたが、筆者はどうもそうは思えなかった。

 そこで、取材中にその疑問を投げかけてみることにした。幸いにも、鳥羽晃一は会話が可能な患者である。

 以下、筆者と鳥羽晃一による舌戦を記す。


「あなたはなぜ、突発的に連続殺人に手を染めたのですか?」

「なぜって、そりゃ、やってみたかったからだよ」

「それは不意に、思い立ったのですか?なんの前触れもなく突発的に?」 

「ああ、一生に一度は人を殺すってことを経験したかったのさ。あんたは考えたことないかい?自分の手で他人の命を奪うってのがどういう感触なのか。俺はやみつきになっちゃったね」

「・・・それはやはり、あまりに平均的でつまらない凡庸な自分の人生に絶望して思い立ったのですか?」

「へへっ、どういう意味だよ。キツイこと言う記者さんだな。まあそれも否めないよ。俺の人生はつまらなかった。何をやっても平均さ。可もなく不可もなく。それがあと何十年も続くのかと思ったら、気が狂いそうだったね。だから、俺は動き出すことにしたのさ。自分からな」

「なぜ犯行声明ともいえるような手紙を警察に送ったのですか?」

「二人目を殺した時に思いついたのさ。せっかくなら警察を手玉に取って遊んでみようと思ってな。あの手紙、意外と書くのに時間かかるんだぜ。ペンの先っぽをつまんで書くと、筆跡を誤魔化せるのさ。書き辛かったが、その分警察は完璧に騙せてたろ?」

「あなたは計三枚も幼稚な内容の手紙を警察や新聞社に送り付けている。その狙いはやはり、警察を挑発する為だったのですか?それとも、世間の気を引こうとしていたのですか?」

「もちろん警察をからかう為さ。いつまで経っても俺を捕まえてくれなかったからな」

「しかし、二枚目の手紙はわざわざ新聞社に送っている。それはやはり、一枚目の手紙を警察が公表しなかったことで、世間の注目を得られなかったからではないのですか?」

「へっ、何だ?俺がかまってちゃんだったって言いたいのか?」

「ええ、あなたの犯罪歴は実につまらない。正直、なぜこの施設に収容されているのか、疑問に感じます。あなたのような小物など、その辺の刑務所に入れられるべきだ」

「・・言ってくれるねえ」

「他にも、私には疑問に感じていることがある。あなたは大胆に、いや、ずさんに犯行を重ねていきましたが、運が良かったのか、物的証拠を現場に残すことはなかった。被害者の肌に爪を立てたにも関わらず、ひとつの指紋すら残っていなかった」

「ああ、そりゃそうさ。俺は爪痕しか残さない」

「手紙もそうでした。使われたのはどこにでもあるようなコピー用紙に封筒、有名メーカーのマジックペン。投函された場所もまばらで、誰も手掛かりを見つけられなかった」

「なんだい、今度は褒めてくれるのか?」

「殺人に関する証拠は一切なかった。あなたの部屋から見つかったデジタルカメラと被害者を写した写真、目撃情報通りの衣服だけが物的証拠でした。殺人を証明したのは、あなたの自供による証言のみです」

「何が言いたいんだ。さっきから」

「あなたは、本当に入峪女性連続殺人事件の犯人なのですか?」

「・・・どういうことだ」

「さっきも言った通りです。殺人に関する証拠は一切ない。唯一の証拠はあなたの自供による証言のみ。それはつまり、裏を返せばあなたが殺人をした証拠もないということです」

「何を言ってる。俺は6人を殺したんだ。写真も撮ったんだぞ」

「ええ、しかし、部屋から見つかった写真は4人目の犠牲者を写したもののみでした。それ以外の写真は見つからなかった」

「ああ、4人目の奴は中々好みだったからなあ」

「それは殺人の証拠にはならない。たまたま通りがかった所に遺体があった。あなたはそれを見つけて写真に収めただけ。その可能性もある」

「俺を疑ってるのか?」

「疑問は他にも。その4人目の被害者は壁に頭を叩きつけられ、派手に殺されています。しかし、あなたの部屋から押収された衣服からは、血痕は検出されなかったと聞いています。現場には派手に血が飛び散っていたというのに、あまりにも不自然です」

「・・・・」

「あなたが今も生き永らえているのは、5人目の犠牲者に関する証言を行っていないからです。正確に言うと証言を行わないんじゃない。証言を出来ないんだ。自分は実行犯ではないから」

「・・証拠はあるのか」

「もしかしたら、6人目の犠牲者はあなたによる犯行かもしれませんね。あなたはたった一人だけを殺し、入峪女性連続殺人事件の犯人にまんまと成り切ったのかもしれない」

「だから何だってんだ。犯人は俺だ。だから俺はここにいる」

「ええ、私が唱えているのはひとつの仮説です。入峪女性連続殺人事件の本当の犯人は別にいて、あなたはそれに成りすましただけ。所詮は偽物。本当のあなたは小物も小物。チンケな犯罪者に過ぎないかもしれないということを——」

「俺以外に誰が爪痕を残せる?」

「・・・はい?」

「俺以外に誰が爪痕を残せるって言うんだ。俺は殺した奴らに刻んでやったんだ。俺の証を。俺は世の中にはびこる糞共に俺の証を刻み込むために産まれてきたんだ。悪魔が俺に囁いたのさ。腐った息を吐き散らす女共をむごたらしく殺せってな。俺は脳みそに巣食う悪魔に生贄を捧げる為に殺したんだ。あいつらの眼を見て殺したのは俺の脳みその中に住んでる悪魔によく見てもらう為さ。ダイレクトに生中継で悪魔に見てもらえばあいつは満足した。その間は俺を殺そうとしないんだ。あいつは一年おきに起きてきて俺に囁いた。女を殺せって。俺が反発しようとしたら殺そうとするんだ。頭の前の方でジュクジュク暴れて俺を殺そうとするんだ。俺は殺されたくなくて女を殺したさ。俺だって自分の身が可愛いからな。でも、あいつは一人じゃ満足しなかったんだ。毎日毎日毎日毎日殺せって頭の中で喚くんだ。起きる時も食ってる時も用を足してる時も誰かと話してる時も寝る時も殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せって喚くんだ。俺はそれに従っただけだよ。俺が悪いっていうのか。じゃああんたが俺の中の悪魔を殺してくれよ。なあ殺してくれよ。銃がいい。頭が一発で吹っ飛ぶ。吹っ飛んだ瞬間に悪魔は俺の頭から出ていくだろうよ。それが無理なら真っ二つに割ってくれよ。切り口からあいつは出ていくだろ。それが無理なら粉々に壊してくれよ。ジュクジュクになった頭の中からあいつは笑顔で出ていくさ。さあ早く方法は何でもいいから俺の脳みその中から悪魔を取り出してくれよ。ほらほらほらほら。あんたが殺さないと俺はまた爪痕を残すことになる。そうすりゃあんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたのせいだ。あんたが俺に爪痕を残させることになる。あんたのせいで女が死ぬ。そうすりゃ俺は救われるかもしれない。俺があんたに言われた通りに爪痕を残せば脳みその中の悪魔はあんたの頭に引っ越すかもしれないな。そしてあんたの脳みそに住み着いてジュクジュクジュクジュク囁くんだ。殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ———」



 その後、取材は強制的に終了した。

 患者を刺激したことにより、施設側からは再び厳重注意を受けることとなった。

 取材中の録音は禁じられている為、上記のやり取りは筆者の手記と記憶を頼りに書き起こしたものである。

 だが、最後の発狂については異様に耳にこびりついた為、恐らくは一字一句間違っていないだろう。

 事の真相は分からないままであるが、筆者が述べた事柄は、きちんと当時の事件資料を基に綿密に調べ上げたものであり、決して虚偽の情報ではない。

 だが、どちらにせよ今回の取材で納得した。

 鳥羽晃一はまごうことなきサイコパスである。

 入峪女性連続殺人事件の犯人であればもちろんのこと、もし筆者の仮説通り、そうでなかったとしても、他人の犯した連続殺人という重罪をかぶってまで世界に爪痕を残そうとしたその精神は、確実に常軌を逸している。

 ミスター平均とまで言われた平々凡々な一人の男が、連続殺人犯という肩書に異様なまでに執着を見せたのは、一体どれほどの理由があったのだろうか。

 爪痕。

 警察や新聞社に向けた手紙でも、逮捕後の自供でも、取材中にも、鳥羽晃一は頻繁にその言葉を発していた。

 世界に爪痕を残そうとした。

 それが鳥羽晃一というサイコパスを突き動かした理念なのだろうか。ただ自身の自己顕示欲を満たす為だけに、承認欲求を満たす為だけに、狂ったというのだろうか。

 だが、筆者はそれを否定することはできない。こんな取材を敢行している筆者にも、思い当たる節があるからだ。

 もちろん、筆者は狂うつもりなどなかった。だが、この一連の取材を終えた後に、果たして筆者の精神が取材前と同じ状態に戻れるのか?

 それは筆者本人にも定かではなかったが、今回の取材で確信した。

 恐らく、筆者はもう元には戻れないだろう。いかに平凡な者であろうと、一度狂気の深淵に堕ちれば、その淵から這い上がることは不可能なのだから。

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