【肌】

 10人目に紹介するサイコパスは、安藤近治郎あんどうきんじろう。齢48の男である。

 彼の名は世間にあまり知られていない。このコラムをここまで読み込んでいる者ならば、その理由に察しが付くだろう。

 つまり、メディアが避けて通るほどの危険人物ということである。

 実際に、安藤近治郎がこの施設に収容されてからも、関わった者の中から幾人かの死者が出ているという。

 彼の犯した罪は・・と説明したいところだが、その必要はない。

 明確に言うと、安藤近治郎は事件を起こして逮捕されたからではない。うえに、その殺人が長期間に渡って無差別に、不規則に行われた為、一括りの事件としては扱えないからである。

 この経歴に既視感を覚えた読者も多いのではないだろうか。つまり、あの有馬富士夫や辺見瑠香と同等の大量殺人者ということである。

 だが、安藤近治郎は二人とは決定的に違う点がある。それは、その大量殺人に”協力者”が存在した、というものである。

 二人はおろか、今までに紹介してきたサイコパスの中にも、そういった者はいなかった。

 なぜ、安藤近治郎がその”協力者”と共に、大量殺人を引き起こすこととなったのか。それを説明していこう。



 安藤近治郎は、とある組織の組員を勤める男の一人息子として生を受けた。

 とある組織?と疑問に思う者が多いだろう。つまり、名前の出せない組織ということである。オブラートに包んで表現するならば、東日本のとある地方で幅を利かせているヤのつく自由業を営むグループ、といったところであろうか。

 組織名称を出せない理由はお察し頂こう。

 母親は父親が目をかけていた水商売を営む女であり、両親ともに裏社会寄りの人間であった(両親の名を出せない理由もお察し頂こう)。

 裏社会の人間というと風格のある響きだが、父親はそのグループの中でも末端の末端の一構成員にしか過ぎなかった。つまり、所詮はケチな小悪党ということである。

 そんな両親の元に産まれ落ちた安藤近治郎の生活は、決して穏便なものではなかった。両親はしょっちゅう些細なことで口喧嘩をしていたし、口論の末に父親が母親に対して暴力を振るうことは珍しくなかった。

 母親は優しかったが、酒に酔うと人が変わったように罵声を浴びせてきた。お前なんか産むんじゃなかった。私はお前のせいでまともな人生を歩めなくなった。お前なんかさっさと捨ててしまいたい。

 安藤近治郎が5歳になる頃、母親はその言葉通りに姿を消した。荒れる父親に理由を尋ねると、”お前のせいであいつは消えた”と怒鳴られた。

 安藤近治郎はたった一人、小さな安アパートで孤独な幼少期を過ごした。父親は”仕事”で忙しそうにしていた為、しょっちゅう家を空けていた。時折、母親とは違う女を連れて帰ってきたが、まともに相手をされたことはなかった。父親の入れ墨が入った背中が女の上で蠢くのを、じっと見ているだけだった。

 安藤近治郎の親代わりになっていたのは、隣室に住まう老婆だった。老婆はたった一人で部屋にいる安藤近治郎を気にかけ、食事を届けたり駄菓子を買ってくれたりした。幼少期、安藤近治郎に対して優しくしてくれたのはこの老婆のみだった。

 やがて小学校に進学する年齢になると、安藤近治郎は自身の境遇を理解し始めていた。同級生から一線を引かれるような扱いを受け、後ろ指を指されて嘲笑されることが多かった。

 あいつには近づくな。あいつの親はろくでなしだ。一緒に遊ぶな。

 だが、そんな安藤近治郎にも、仲良く接してくれる者が一人いた。誰に対しても分け隔てなく接するそのクラスメートは、内気な安藤近治郎ともすぐに打ち解けて仲良くなった。

 僕に近付いてもいいの?安藤近治郎は心配そうに尋ねたが、友人は朗らかな笑みを浮かべてこう言った。

 よく知らないけど、お前は普通の人じゃん。

 安藤近治郎にとって、初めて出来た友人だった。

 だが、その関係も長くは続かなかった。”一緒に遊ぼう”、そう言われて友人の家に招かれ、楽しんだ翌日、友人は神妙な顔をして安藤近治郎に近付いてきた。

 父さんと母さんが、”もうお前と遊ぶな”って。

 それだけ言うと、友人は自分の席に戻ってしまった。その後もよそよそしい態度を取られ、安藤近治郎は初めて出来た友人を失った。

 落ち込んでアパートに帰ると、珍しく父親が帰ってきていた。父親に”どうして父さんはヤ○〇なの?”と問うと、罵声を浴びせられた。

 お前、ヤ○〇が恥ずかしいってのか。お前もいずれそうなるんだ。お前は俺の子だ。まともな人生なんて歩めると思うな。

 半裸で喚き散らす父親の入れ墨が、まるで嘲笑っているように見えた。



 中学生になった安藤近治郎の生活は、変わらず晴れやかなものではなかった。同級生からは避けられ、教師からも一線を引かれたような扱いを受けていた。多感な時期を孤独に過ごす安藤近治郎の唯一の楽しみは、勉強に打ち込むことだけだった。

 成績優秀になれば、父親のような人間にならずに済む。そう考えてのことだった。実際に安藤近治郎の成績は良く、クラスの中では常に上位だった。

 本にも興味を持ち、図書室に入り浸っては読書に耽った。好んで読んでいたのは、歴史的に著名な小説家の名作文学と、人生において役立つ作法が記されていたマナー本や学術書だった。

 進路相談の時期が来ると、安藤近治郎は父親に将来の展望を打ち明けた。進学校へと進学した後に、名門大学に入りたいと言う安藤近治郎に、父親は激昂した。

 お前、俺より偉くなろうってのか。馬鹿にしやがって。お前なんかがカタギになれると思うな。

 進路希望は無慈悲にも却下された。安藤近治郎は結局、ごく普通の高校へと進学した。その学校は、お世辞にも高水準な偏差値を保有しているとは言えず、生徒の治安もあまり良いものではなかった。

 この頃より、安藤近治郎の生活は荒れ始める。将来の展望を閉ざされ、自暴自棄になり、成績優秀で物静かだった頃とは打って変わって、周囲の環境に染まっていくように、素行の悪い不良少年となっていった。酒を飲み、煙草を吸い、揉め事を起こし、軽犯罪にも手を染めた。

 だが、つまらない犯罪に手を染める度に、心のどこかで自身に嫌悪感を抱いていた。まるで、自分が父親のような小悪党になっていくようで、腹が立った。

 そう考える度に、安藤近治郎は全裸になって鏡の前に立ち、自分に言い聞かせていた。

 俺はあいつとは違う。俺の肌はまっさらなままだ。あいつらのような入れ墨だらけの小悪党とは違う。俺は——。

 そんな荒れた日々を過ごしていたある日、安藤近治郎は取り返しのつかない過ちを犯してしまう。

 深夜の歓楽街をふらついていたところ、客引きの男に因縁を付けられた安藤近治郎は、反射的に殴り返してしまったのである。男が路上に倒れこんで騒ぎになっていると、周囲の店から、一目でその筋の人間だと分かるスーツ姿の男たちが出てきて取り囲まれてしまった。

 大人数の圧力に気圧され、とあるビル内にある事務所に連れていかれた安藤近治郎は、そこで壮絶なリンチを受けた。殴られながら、痛感していた。まずいことになった、本職の奴らの縄張りで騒ぎを起こしてしまったと。

 やがて、口から血が出るほど腹部を殴られた辺りで気を失った。目覚めると、事務所の冷たい床の上で半裸のまま転がされていた。起き上がると、そこに父親の姿があった。

 安藤近治郎が騒ぎを起こしたのは、父親の所属していた組織の縄張りだったのである。父親は自分を殴っていた男となにやら話をしている様だった。顔色を見るに、どうやら話し合いは穏便に進んでいる風ではなさそうだった。

 しばらくすると、父親が男に深々と頭を下げた。そのまま、父親に首根っこを摑まえられて事務所を後にした。

 助けてくれたのだろうか。そう思っていたが、父親は事務所を出るなり、殴りつけてきた。

 お前は、とんでもないことをやらかしやがって。おかげで俺は尻拭いする羽目になった。

 怒鳴る父親に殴られ続け、安藤近治郎は再び気を失った。

 


 目覚めると、和室のような場所で布団の上に寝かせられていた。うつぶせの状態でなぜか身動きが取れず、手首に布の感触があり、拘束されているのだと理解した。

 このまま殺されてしまうのではないかと思い、声を上げて助けを求めていると、老齢の男が襖を開けて現れた。

 目覚めたか。お前さんも運が悪いな。

 そう吐き捨てると、老齢の男は安藤近治郎の拘束を解いた。

 立ち上がると、クラクラと立ち眩みがした。どのくらい時間が経ったのか分からなかったが、身体が衰弱しきっているのを見るに、随分と長い時間意識を失っていたようだった。

 倒れこみそうになり、慌てて襖に手をつくと、腕に違和感を感じた。

 腕全体に奇妙な線が走っている。服を着させられているのかと思ったが、肌に触れると生の感触があった。何も身に着けてはいない。それなのに、腕に模様が走っている。

 ほれ、こっちだ。ご対面といこう。

 老齢の男が一つ奥の襖を開いた。言われるがままに付いて行くと、部屋の一角に大きな姿見が置かれていた。

 お前さん、何をしたのか知らねえが、今日からまともな人生とはおさらばだぞ。

 老齢の男が無表情で吐き捨てた。姿見の前に立ち、安藤近治郎はようやく自身に施された処置を理解した。

 手首から肩、腹部に背中、首、腿に、びっしりと隙間なく入れ墨が彫られていたのである。

 安藤近治郎は発狂した。入れられていたのは下書き線、いわゆる筋彫りだったが、それでも入れ墨には変わりがなかった。自身が最も忌み嫌っていた人種と同じ肌になってしまったことに、精神は崩壊寸前だった。

 どうしてこんなことになった。半狂乱の状態で老齢の男に食って掛かったが、男はヘラヘラとするばかりだった。

 あんた、○○組のシマでやらかしたんだろう?○○組はな、そういう奴を拾って”こっち側”に引き込むんだ。

 要するにカタギの連中を雑兵にしちまうんだよ。そのまま、いい様にこき使われるのさ。大方、あんたは鉄砲玉にでもされるんじゃねえのか?ハッハッハ!

 このおぞましいやり口は、○○組の常套手段であったという。

 日本には古くから入れ墨の文化が存在し、その歴史は縄文時代にまで遡る。実際に、江戸時代には罪人への刑罰として”入墨刑”なるものが存在し、窃盗などの軽い罪を犯した者の腕に犯罪者の印として入れ墨を入れていたというが、○○組がその文化に倣ってそのような制裁を施していたのかは、定かではない。

 安藤近治郎は、変貌した自身の姿に絶望した。何度も肌を掻き毟ったが、くっきりと彫られた入れ墨は消えはしなかった。

 狼狽えていると、老齢の男が服を投げてよこした。

 これを着てさっさと帰れ。いずれお呼びがかかるからな。逃げようなんて思うんじゃねえぞ。お前のその入れ墨は、”○○組の所有物”って証だからな。

 外へと放り出された安藤近治郎は、猛烈な肌の痛みと痒みに襲われながら、逃げるように自宅へと戻った。玄関に父親の靴を発見し、怒りが込み上げた。土足のまま上がりこむと、父親が見知らぬ女と事を致している最中だった。

 おう、もう帰って来たのか。それで、どこまで彫られたんだ。

 ヘラヘラと笑う父親に食って掛かり、俺になんてことをしてくれたと怒鳴りつけたが、反対に殴り返されてしまった。

 お前、命の恩人に逆らおうってのか。俺が○○に話を付けて、お前を○○組の一員にすることで話を収めたんだぞ。俺がお前の父親じゃなかったら、お前は今頃土の中だ。

 いいか、俺がいなけりゃお前はボロ雑巾みてえに死んでるところだ。俺のおかげでお前は死なずに済んだんだぞ。有難く思え。

 その傍らで、同じく汚らしい入れ墨を入れた女がニヤニヤと笑っていた。



 その夜、安藤近治郎は浴室で自身の姿を見ながら、父親の殺害を決意した。

 無駄だと分かっていたが、何度も何度も身体を洗い、身体中をこすった。当然、入れ墨は消えないままだった。

 もうまともな人生は歩めない。自分はこの肌のせいで堕ちるところまで堕ちるだろう。ならば、せめて——。

 何も身に着けずに台所へ向かうと、包丁を握りしめた。父親は酒を飲んで寝入っている様だった。布団に転がり、仰向けで寝ている父親に向かって、何度も何度も包丁を突き立てた。

 執拗に刺したのは、入れ墨の入った部分だった。憎かった入れ墨をかき消してやるように、包丁で切りつけた。

 父親がこと切れた後、安藤近治郎は部屋を出た。その後12年間、安藤近治郎の消息は世間から一切断たれた。

 一体どういうことなのか?それは、実際に取材した筆者も分からない。安藤近治郎本人の口から語られることもなければ、長く裏社会に身を置く者達ですら、その空白の12年間、安藤近治郎がどこで何をしていたのか、誰も知り得ないのである。

 一つだけ分かることがあるとするならば、安藤近治郎はその12年の間に、裏社会で暗躍する殺人マシンへと変貌を遂げていた。それだけの事であろうか。



 安藤近治郎の名が裏社会の人間たちに知れ渡りだしたのは、とある事件がきっかけだった。それは連続殺人のような世間の目を引く事件ではなく、犠牲者が一人だけの小さな事件であった。

 犠牲者の殿田礼二とのだれいじは覚醒剤の売人を営んでいた人間だった。とあるグループを破門されて以来、違法薬物の売人稼業に精を出していた殿田礼二はある日、自宅の一室で異様な死体となって発見された。

 クローゼットの中に死体が吊るされていたのである。だが、首吊りではなかった。

 殿田礼二は足首をクローゼットのハンガーパイプに括り付けられ、逆さまの状態で吊るされていた。そして、上半身の皮膚がほとんど剥ぎ取られていたのである。まるで解体途中の鹿のように。

 殿田礼二が殺された理由は、元締めに対して”不始末”をしでかしたというものであり、見せしめとして殺されたのだろうという説が有力だった。

 それ自体は特段珍しくもないことである。だが、問題はその殺害方法だった。

 見せしめとして殺される場合、確かに派手に殺されることは多いが、それにしても殺害方法が常軌を逸していた。そのおぞましいやり口に、警察関係者は悪寒を感じていた。

 もしや、裏社会の人間が、プロの殺し屋を雇ったのではないかと。

 予感は的中していた。東日本を取り巻く裏社会のあちこちで、次々と似たような方法で殺された死体が発見されたのである。

 ほとんどの死体は吊るされるか、ベッドやテーブルに固定されていた。そしてやはり、皮膚が切り取られるか、剥ぎ取られていた。

 殺害された者たちは皆一様に、元ヤ○○や売人、それに近しい者など、裏社会の人間だった。警察は一連の殺人を行ったであろう殺し屋の通り名を聞きつけ、それを呼称して事件を追った。

 その通り名とは、裏社会の人間達に囁かれていた”赤い皮剥ぎ魔”というものだった。

 ”赤い皮剥ぎ魔”こと安藤近治郎は、無作為に”仕事”をこなしていただけだったが、その通り名は一人歩きしており、裏社会のあちこちで噂されていた。

 なぜ、安藤近治郎が裏社会御用達の殺し屋となったのか?その経緯は誰も知り得ない。

 だが、その疑問に対する唯一の手掛かりがある。それは、安藤近治郎に仕事を斡旋していた”協力者”の存在である。

 その”協力者”の名は、今も分かってはいない。名前どころか、性別も、年齢も、容姿も、経歴も、所在も、一切が分かっていない。

 唯一分かっているのは、”存在していた”ということだけである。

 その”協力者”は、安藤近治郎にコンタクトを取りつつ、様々な方面から仕事を引き受け、”処理”を斡旋していた。

 安藤近治郎はその”協力者”に逆らうことは一切なく、ただ粛々と仕事をしていた。まるで人間としての自我を失った殺人マシンのように。

 なぜ”協力者”は安藤近治郎に裏社会の”処理”を依頼していたのか?その理由は分からないが、推測するにその”協力者”は、安藤近治郎の”習性”を利用していたのではないだろうか?

 その”習性”とは、病的なほどに入れ墨を入れた人間を憎んでいたというものである。

 実際に、犠牲者の全員が身体に入れ墨を入れている。皮膚を剥ぐという異様な殺害方法にも、納得がいく。安藤近治郎は裏社会の人間の、入れ墨だらけの肌を憎んでいたのだろう。

 過去を考えれば、そう推測するのは難しいことではない。無論、空白の12年間に、一体何がどうなって入れ墨を入れた人間を狙う殺し屋となったのかは分からないが。

 


 主に東日本の裏社会にて、殺し屋稼業に精を出していた安藤近治郎は、次第に名を上げていったが、その一方で敵を作ることも多かった。

 当然と言えば当然である。裏社会の人間模様は主に縄張り意識を主軸としている為、ある方面の人間を”処理”すれば違う方面から恨みを買うことなど、必然だったのだろう。

 だが、安藤近治郎は実に15年もの間、殺し屋稼業を続けていた。一介の精神病質者に過ぎない安藤近治郎が、なぜ長期間に渡って裏社会で暗躍できたのか。それはやはり”協力者”あってのものだったのだろう。

 ”協力者”は、15年もの間、安藤近治郎という怪物を飼いならしながら、暗躍を続けていた。その間、安藤近治郎によって”処理”された人間は、実に57人に及ぶ。

 裏社会だけでなく、警察関係者も”赤い皮剥ぎ魔”の正体どころか、尻尾さえ掴めていなかった。その存在は、半ば伝説と化していたという。

 だが、その殺戮に終止符を打ったのは、意外な出来事だった。

 安藤近治郎は、いつものように”協力者”から依頼を受け、とある人間の”処理”を命ぜられた。標的は一人の老女であり、とある一件に対しての口封じをする為と聞いていた。

 標的が粗末なアパートの一室に入っていったのを見計らい、速やかに”赤い皮剥ぎ魔”は予め鍵を外していた窓から侵入した。背後に忍び寄り、首を捻ろうと掴んだ瞬間に、安藤近治郎は手を止めた。

 老女の首筋に、バラの花の入れ墨を発見したのである。その瞬間、安藤近治郎は幼少期の記憶が鮮明に蘇った。

 なんと標的は、失踪していた自分の母親だったのである。かつて自分を父親の元に置き去りにして失踪していた母親が、目の前に現れた。それは、安藤近治郎という冷酷な殺人マシンに、初めて動揺を与えた。

 思わず首を掴んでいた手を放すと、母親は叫びながら狼狽えた。助けを求めて叫び続ける母親に、安藤近治郎は一言、”母さん”と声をかけた。

 だが、その声は母親には届かなかった。母親は悲鳴を上げるばかりで、話を聞こうともしなかった。

 その姿に辟易し、安藤近治郎はあっさりと母親を。その後、足早にその場から逃走したが、母親を殺したという動揺からか、安藤近治郎は初めて殺害現場に自身の痕跡を残してしまう。

 それは、床に残った数滴の涙だった。



 警察は初めて掴んだ”赤い皮剥ぎ魔”の物的証拠に湧いていた。DNAを手に入れた警察は、すぐさま過去の犯罪者との照合を行った。すると、ある一人の犯罪者のDNAが一致した。

 それは、はるか昔に暴力事件を起こしていた安藤近治郎のものだった。安藤近治郎が裏社会へと足を踏み入れる以前、些細な喧嘩から引き起こされたその暴力事件は、加害者の血を複数の被害者が浴びており、それによって当時の捜査の際に血液情報が記録されていたのである。

 警察は困惑していた。ようやく掴んだ”赤い皮剥ぎ魔”の正体が、こんなちっぽけな罪を犯した小悪党だとは、とても信じられなかった。

 だが、”赤い皮剥ぎ魔”本人ではなかったとしても、重要参考人に変わりはなかった。警察は安藤近治郎の足取りを公共交通機関の監視映像から追い、周辺に聞き込みを行うなどして潜伏場所を掴もうと躍起になっていた。

 一方で、当の”赤い皮剥ぎ魔”は、潜伏場所のホテルの一室にて、”協力者”の連絡を待っていた。だが、一体どういう経路で情報が回ったのか、”協力者”は既に安藤近治郎の痕跡が犯行現場に残されていたことを知っており、していた。

 見限る。つまり、トカゲが尻尾を切るように、”協力者”側は安藤近治郎を用済みとして廃棄したのである。

 安藤近治郎はひたすら連絡が来るのを待っていたが、手渡されていた携帯端末はいつまでも鳴らなかった。

 やがて、警察は潜伏場所のホテルを突き止め、部屋へと踏み込んだ。

 そこで警察が見たのは、全裸で床に正座し、ベッドの上に置かれた携帯端末を眺め続ける安藤近治郎の姿だった。

 ここで、恐らく日本史上最も血に塗れたであろう逮捕劇が幕を開ける。

 警官の一人が手錠をかけようと、安藤近治郎の肩に手を置いた瞬間である。警官の身体が、突如宙を舞った。

 驚くことに、安藤近治郎は座ったまま、体重が70㎏ほどもある成人男性を片手で投げ飛ばしたのである。そのまま、警官は壁に叩きつけられ、伸びてしまった。

 慌てて他の警官が背後から取り押さえにかかったが、安藤近治郎は体に触れられた途端に、反撃を繰り出した。手首を捻り、関節を捻じ曲げ、二人の警官を再起不能にしてしまったのである。

 一人の警官は片目をえぐられ、もう一人は手首を捻じ切られてしまった。

 この時点で安藤近治郎は、まだ立ち上がっただけであった。

 その後、応援を呼んだ警官によって複数名で複数回に渡り、取り押さえが行われたが、安藤近治郎はその都度警官たちを返り討ちにした。襲われた警官の中には、腕と足の腱を切られた者や、首から多量の流血をした者、指の骨を粉々に砕かれた者、脳に記憶障害が残るほどの怪我を負わされた者などがおり、たった一人の犯罪者の逮捕に多くの犠牲を払うこととなった。

 その逮捕劇に終止符を打ったのは、慌てふためいた一人の警官が放った三発の銃弾だった。

 内一発が肺に命中し、昏倒した安藤近治郎は手錠をかけられることなく、病院に搬送されるという形で逮捕された。



 逮捕後、安藤近治郎は取り調べに対して徹底的に黙秘を決め込んだ。身体に触れた途端に暴れ出す為、取り調べは搬送された病院にて、拘束衣を着用させて行われたという。

 取り調べは長期間に渡ったが、安藤近治郎はまるで電池の切れてしまった機械のように、黙りこくったままだった。自我と感情を失ってしまったかのように。

 だが、殺人マシンとしての感覚が残っていたせいなのか、それともそれが安藤近治郎の自我というべきだったのか、

 ここで留意してほしいのは、安藤近治郎は有馬富士夫や辺見瑠香のように自身の持つ話術や魅力?によって間接的に殺人を行ったわけではないということである。

 安藤近治郎は、隙あらば

 逮捕後の最初の犠牲者は、搬送先の病院の医師と看護師だった。医師が治療の経過を診察していた時の事である。ベッドに寝ていた安藤近治郎が、突如拘束衣を破り、医師が持っていたボールペンを奪って、首筋に突き立てたのである。

 看護師の悲鳴を聞きつけ、待機していた警官が駆け付けた時にはすべてが終わっていた。立ち尽くしていた安藤近治郎の足元に、首から大量の出血をしながら藻掻く医師と、首をあらぬ方向に捻じられた看護師が転がっていた。

 その後も、移送させようとした警官や、部屋の清掃に当たっていた警官など、安藤近治郎はまるで可能だったから殺したとでも言わんばかりに、犠牲者を出し続けた。中には拘束されていたにもかかわらず、手首を噛みちぎられて殺された者もいた。

 警察は今までにない危険すぎる犯罪者に恐怖し、この施設へと身柄を引き渡した。もちろん主だった理由は精神治療によって自供を引き出す為だったのだろうが、恐らく本心としてはこれ以上犠牲者を出さない為に、安藤近治郎を”特別な檻”に入れたかったのだろう。

 だが、前述した通り、安藤近治郎はこの施設に収容されてからも、直接的に殺人を起こしている。

 なぜ有馬富士夫や辺見瑠香のように、危険人物として扱われているのか?それは、あまりにも危険すぎて直接的に命を奪われかねない為なのだろう。世間にあまり知られていないのは、裏社会の事情も絡んでいるのだろうが、存在が流布されれば必然的に犠牲者を増やすことになる。

 例え特別な檻に入れられようとも、”赤い皮剥ぎ魔”は殺人マシンとしての衝動を抑えられなかったのである。

 結果として、施設側は長い時間をかけてある程度”会話”を引き出すことには成功したが、”自供”を引き出すには至らなかった。

 生い立ちや幼少期の記憶、なぜ裏社会に足を踏み入れることになったのか、母親を殺す際に動揺してしまった自身の心境など、それらを供述することはあったが、空白の12年間と、”協力者”の依頼で殺し屋として暗躍していた期間については、一切の供述を得られなかったのである。

 供述を得られなかったというと、誤りがあるかもしれない。安藤近治郎は、まるでハサミで切り取られたかのように、殺人マシンとして暗躍していた頃の記憶がないという。

 真偽はさておき、その証言に真実味を持たせているのは、安藤近治郎の精神治療に当たった医師の言葉である。

 恐らくは洗脳のような処置を施されたままであり、それが解けることは今後無いだろう。

 まるでスパイ映画のような話だが、安藤近治郎は殺し屋として暗躍していた期間の記憶に鍵をかけられており、自身の意思では一切の証言が出来ない状況にあるというのである。

 一体誰がそのような処置を施したのか、それは恐らく”協力者”なのだろう。だが、ここで疑問が湧く。

 ”協力者”とは、一体何者なのだろうか?一介の小悪党に過ぎなかった安藤近治郎を殺人マシンとして仕立て上げ、裏社会にて暗躍し、挙句の果てには洗脳という高度な技術を用いて切り捨てる。

 ”協力者”とは、もしや裏社会という枠組みにすら収まらない、真に次元の違う別の世界の人間だったのではないだろうか?それは日本のヤ○○など比較にならないほどの———。

 陰謀論めいた話をするつもりはないので、ここで”協力者”のことを書くのはやめておく。この記事自体がかなりの情報制限を設けられている為、描写できないことも多々あるが、恐らくこれ以上”協力者”のことについて踏み込めば、筆者は無事では済まないのだろう。

 


 今回の記事を読むにあたって、取材中の描写が一切なかったと疑問に思う読者もいたのではないだろうか。

 端的に言うと、安藤近治郎は粛々と過去の事を述べるだけで、取材にはならなかったのである。

 取材が始まるなり、自身の過去について一方的に語りだし、一切の質問を受け付けることはなかった。それは、まるで機械が文章を読み上げているかのような印象を受けた。

 語るだけ語り切った後、安藤近治郎は沈黙してしまい、微動だにしなかった。これでは取材にならないと思い、筆者はとある物を懐から取り出した。

 それは、一枚の写真だった。入れ墨の入った背中を写したもの。インターネットで容易く手に入れたなんてことのない写真である。

 ところが、見せるなり安藤近治郎は拘束衣のまま激しく暴れ出した。面会設備のアクリル板に何度も額を打ちつけては、破ろうと試みていた。

 当然大事になり、どこからか現れた職員たちに取り押さえられ、安藤近治郎は自身の病室へと消えていった。その後、施設側からきついお咎めを受ける羽目になったが、得られるものはあった。

 やはり、今でも安藤近治郎は入れ墨を入れた肌を憎んでいるのである。それは恐らく、洗脳すらも及ばないほどの強烈な感情なのだろう。

 安藤近治郎という殺人者を産み出したのは、果たして生い立ちなのだろうか?それとも、その生い立ちを利用して殺人衝動を肥大させた”協力者”なのだろうか?

 どちらにせよ、安藤近治郎がサイコパスであることに変わりはないが。

 最後に、安藤近治郎がなぜ”赤い皮剥ぎ魔”と呼ばれていたのか、それを記そうと思う。暗躍していた頃に付けられたその通り名は、恐らく安藤近治郎の姿を見た者から発信されていったのだろう。

 安藤近治郎は、ほぼ全身の皮膚をのである。

 無論、人体模型のように筋繊維が剥き出しになっていたわけではない。自身に入れられた入れ墨を憎んでか、安藤近治郎は自ら皮膚という皮膚を剥ぎ取り、焼き潰したのである。

 その後、再生した皮膚は、重度の火傷をした患者のように爛れた。体毛はなくなり、ケロイド状になった皮膚は、赤黒く染まっていた。

 ”赤い皮剥ぎ魔”は、こうして誕生したのである。

 誕生というと語弊があるだろう。それに立ち会ったのは、恐らくはサイコパスとはまた違った深淵に蠢く、”協力者”という闇の存在だったのだから。

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