6 お前が退治すればよい

 旦那様と凱は一瞬動きを止めた後、顔を見合わせた。あたしも退室するのも忘れ、動きを止める。


 ええと、長様は何が言いたいのだろう。

 旦那様が探るような口調で言った。


「それはもう、村の皆の問題ですから。別に凱も長様に全てを負担していただくなどとは言ってお」

「皆の問題だろ。そうだな。なのに何故儂ばかりに問題を投げてくる」

「長様はこの村の長でいらっしゃいますから、私どものような者で勝手にことを進めるわけにはいき」

「都合のよい時ばかり持ち上げて。どうせ旗振りをさせたり、金や労力を出させたりしようとしているのだろう。なぜ儂だけがそんな負担を強いられねばならないのだ」


 その言葉を聞いて出水家の二人は口を開きかけたが、何も言わずに黙ってしまった。


 なんの光も見えない沈黙が室内に満ちる。

 障子の向こうから、春の日差しが無邪気なぬくもりを届けてくる。


 長様、さっきから何度も「儂だけが」「儂ばかり」と言っている。

 でも、長様の言葉に悪意はない、はずだ。きっと本当に「儂だけが」苦労を背負い込んで可哀そう、と思っているのだろう。そして「儂」が何もしなければ、他の人が苦労する、ということは、思いつきもしないのではないか。

 なんだかんだ言っても、あたしは長様を悪人ではないと信じている。だってこんなあたしを雇ってくれるような人なのだから。


 にしても。

 長様と出水家のやりとりを間近で聞いたのは初めてだが、なるほど、この調子ではいつまでたっても何も進まないわけだ。


 ……って、やだあたし、なんでこんな村の偉い人たちの話し合いに紛れ込んでいるんだろう。なんだかよく分かんないけれど村のために頑張ってくださいね、と心の中で呟き、気配を消しながらそろそろと部屋の隅に移動する。


「儂は常に、この村の平和を願っておる」


 長様は腕を組み、声を落とした。


「この村が豊かで平和であるように、と。そして幸いここのところ不作の年もないし、近隣の町や村に比べて鬼の被害も少ない。そうだよなあ、小夜」


 いきなり話をふられた。なぜだと少し思った後、頷く。

 確かに長様の言う通りなのだ。その事実を他の土地の人から直接聞いたことがあるのは、この場であたししかいない。


「えっと、はい。今までいろんな場所に行きましたけれど、って言ってもほとんど小屋か檻の中だったんで詳しくは知りませんが、他の町や村では、結構不作だーとか鬼がー、って話を聞きましたね。ただ、鬼はうちにも」

「そらみろ。この村は平和なほうなんだ。それなのに貢物を減らせだの鬼が入り込むのを減らす対策をしろだの。儂に頼る前に自分たちでできる対策があるだろうに、まったく」


 人の話の途中で喋りだすのは長様のお家芸だから今更何かを言うつもりはないが、それにしてもさあ、と思う。

 つい先日、自分の子供が鬼の被害に遭いかけたばかりなのに、不安はないんだろうか。


 確かにこの村は平和だ。あたしが見世物として回った土地の中には、作物が全く育たなくなってしまった所とか、連日のように鬼の被害に遭っている所なんかもあった。でも、よそと比べて平和だから何もしなくていい、というものでもないだろう。

 たとえ被害の数は少なくても、攫われたり、作物を奪われたりした人からすれば。


 凱が静かな口調で話し始めた。


「皆、戸締りを厳重にしたり、気をつけるべきことはしています。ですが夕方以降、村の出入りを制限したり、鬼払いの人を雇ったりといったことは個人ではできません。それに」


 前かがみになって長様を見据える。


「鬼の被害は、まったくないわけではないのです。私の身近にも、大切な人を鬼に奪われた者がおります。彼の悲しみや怒りは」

「ああ、えんの女のことか」


 長様は汚いものを避けるように、しっしっと手を振った。


「あのエテこう女め、どうせ焔との逢引目的で夜中に出歩いて攫われたんだろ。嫁入り前の娘が夜中に男と逢うなど、これだから亜人は。お前たちも使用人の行動はきちんと管理せねばならんぞ。もっとも、後継ぎからしてこれでは無理かもしれんが」


 険しい表情をした旦那様をちらりと見てから、凱を見て嗤う。


「いい歳をして嫁を貰う話もなく、供を引き連れてあっちをふらふら、こっちをふらふら。よその町まで行って、一体何をして遊んでいるのやら。出水の爺よ、大層な後継ぎを拾ったもんだな。こんな『ソトの者』になんか嫁は来ないかもしれんが、せめて人さまの役にたつことはしなければ、この村でめしを食う価値はないぞ」


 長様が話の矛先を急に変える。出水家のふたりは戸惑ったような表情をして長様を見ているが、あたしはこの話の流れに、なぜか胸がざわざわと騒いだ。


 なんだろう。今は鬼対策の話をしていて、出水家はなんとかしてくれと言い、長様はなんで自分がと言う。それを繰り返していたはずなのに。


「小夜、どこだよお。八郎がもらしたよう」


 縁側から声がする。坊ちゃんの一人が走りながら叫んでいた。

 そうだ、仕事。あたしはここにいてはいけない存在なんだ。突如訪れた胸のざわざわが気になるが、一番下の坊ちゃんの着物を取り換え、粗相の始末をしなければ。


 障子に手をかけ、声を出そうと口を開く。

 そこに長様の声が被さった。


「凱。お前は独り身だし、どうせろくに家業もやっとらんのだろう。だったらお前が鬼を退治したらどうだ」




 ――お前が鬼を退治したらどうだ。


 長様の言葉の意味を頭が理解するのに、少しの時間を要した。

 言葉は頭の中をゆっくりと巡り、心の中に鈍く刺さる。


 凱は首をかしげ、おずおずと声を出した。


「私が、ですか。鬼を、退治、と」


 長様は腕を組み、大きく頷いた。


「そうだ。さっきからそれが言いたかったのだ。それをお前たちはごちゃごちゃと。だってそうだろう。自分たちで何もせず、儂に押しつけようとする対策といえば、貢物を減らすだの、鬼払いを雇うだのといった、その場限りのものばかり。確かにそういった対策をしている所はあるが、それで鬼がいなくなるわけではないだろう。もっと根本的なところ、鬼を根こそぎ退治しなければ、なにをやっても焼け石に水だ。ああ、もちろん、供は連れて行けよ。出水家のな」


 そこまで一気に喋り、ふんと鼻を一つ鳴らした。


 この人、何考えているんだろう。


 確かに鬼は決まった道から走ってくる。他の町では「空から飛んできた」みたいな話を聞いたこともあるが、あたしは走っているのしか見たことないし、村の他の人もそうだ。

 だから少なくともこの村を襲う鬼は、どこか特定の住みかか何かから走ってくるのだろう。

 だが、それがどこからなのか、そして鬼がどれだけいるのかは、誰も知らない。


 もし鬼の被害がこの村だけで起きている、というのなら、長様の策もありだ。なんで凱が、というのはあるが、屈強な男を集めて、鬼の住みかを探し、「鬼一族」みたいなのを退治すればいい。だが鬼の被害というのは、そんな狭い範囲の問題ではないのだ。


 つまり、一言で言えば、話にならない。


 旦那様もさすがに今の話は本気でないと思ったのか、軽く笑って膝を叩いた。


「いやいや長様、いくらなんでもそれはない。凱にそんな村全体にかかわる大層なお役目」

「どこの馬の骨とも知れぬ『ソトの者』の、ろくに働きもしない、屁理屈こねるしか能のない小倅に、大役をつかわすと言っておるのだ。よもや断ったりなどするまいな」


 その言葉に、旦那様が息を飲む。

 凱が目を見開く。


 心に刺さった言葉が、ゆっくりと臓腑ににじみ出す。


 長様はもう一度頷いた。


「お前は生きるはずのない命だった。それなのにこの村のうまいめしを食って十八年も遊び呆けていたんじゃないか。ここいらで少しは村に恩返しをしたらどうだ。なに、鬼の住みかの方向はわかっておる。今まで大挙して押し寄せたことはない。だから案外簡単かも知れんぞ」


 腕を組んだまま、凱の方に身を乗り出す。

 旦那様が膝を立てて長様に詰め寄る。

 凱は表情を動かさず、ただ、座っている。


 障子の向こうの光が揺れる。


「……よぉ」


 坊っちゃんの声が近づいてくる。


「小夜お。ここかあ。八郎があ」


 長様はあたしに目を向けて舌打ちをした。


「小夜、いつまでここにいるつもりだ。早く行け。八郎の尻がかぶれたらどうする」


 長様の言葉を受け、あたしは額をこすりつけて詫び、部屋を後にした。

 障子を閉めるとき、凱と目が合った。


 彼はあたしに、いつものあたたかい笑みを向けてくれた。


 春の風が、そっと背中を撫でた。




 あたしは長様を信じている。

 あの人は悪い人ではない。ただちょっと、自分が大好きすぎて他人に気を回せないだけだ。


 今のだって、たちの悪い冗談だ。そうでなければ、出水家との交渉で、自分の負担を減らすためのなんらかの作戦か。

 だって、いくらお供をつけたって、凱がそんなこと、できるわけがない。それは長様だってわかっているはずだもの。


 それにしても、いくら長様が凱や「ソトの者」を毛嫌いしているからって、あれはない。


 だって、もし本気なら、凱に死を命じているようなものだ。

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