Responsorium 4

 埃っぽい空気にも、ほとんど物の形が分からない暗がりにも慣れた。複雑に曲がりくねった換気孔は、詰所ステーションの住民の生命を影から支える重要な構築物インフラであるが、今のハルカにとっては出口の決まっている迷路でしかなかった。

 時折起きる振動で、彼女が攻撃を仕掛けていることは明白だった。そして、遠くに聞こえるかけ声や悲鳴は、残っている「V」のものだろう。

 ハルカは音が大きくなる方に向けてゆっくりと歩いていく。不用意に走って体力を消耗させたくなかった。

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 できることなら、フミコと共に「零式」に立ち向かいたかった。

 ふと後ろを振り返りそうになって、セリナを失ったことを今更実感する。

「確かに僕は薄情だったね——セリナ」

 嘲るような口調で、ハルカはひとり呟く。ハルカが「V」になってから、いつもセリナは隣にいた。それが特殊なことであることを感じさせないくらいに。

 僕にはアヤノの身体を引き受ける資格がないのかもしれない。

 鱗が剥がれて素肌とも組織とも言えない何かが露出している太股を見ながら、ハルカは一旦座り込んだ。

 ここまでほとんど休んでいなかった。止まってしまえば再び動けなくなりそうな気がしたが、長い経験上それが気の迷いであることも知っていた。

 すっ、とゆっくり息を吐く。対竜装フォースが傷をどれだけの速度で癒すのか、ハルカには見当がつかなかったが、少なくともこれだけの傷を癒すほどの時間は残されていないことはわかっていた。

 ふと足元に目を向けると、名も知らない虫たちが辺りをちょろちょろと這い回っている。ハルカは何となく鱗の剥がれている部分を隠した。

 と、その虫たちがゆっくりとハルカの来た方へぞろぞろと向かっていく。虫たちを追いかけて、彼らを餌にしているであろう、やや大きめの蜘蛛も、せかせかとハルカの足もとを這っていった。

 ハルカの行く先で、少し大きなどよめきが起き、どん、と深い衝撃音が後に続いた。「零式」とは別の甲高い咆哮が聞こえた。

 もしや。

 ハルカは立ち上がり、再び換気孔を歩き出す。歩調はいやがうえにも速くなり、外から伸びた梯子を見つけて駆けだすほどだった。既に夜を迎えた外界は冷え切っていた。ハルカは辺りを見回して、ここが東京詰所トウキョウ・ステーションだった空洞だと一目で確認した。

 無数の瓦礫は、不気味な静寂を保っている。さっきまで聞こえたどよめきや悲鳴が嘘のようだ。どうやら走っているうちに出る道を間違えてしまったようだ。月明かりに照らされた長剣が、ハルカを迎えるように静立している。ハルカはゆっくりと、導かれるように、アヤノの墓標に近づいた。

 自分の記憶をたぐり寄せて、ハルカはアヤノの顔を想起する。合成された表情はしかし、ハルカにとってはアヤノそのものなのだ。

「やっと、あいつを追いつめられるんだ」

 根拠のない言葉を口にすることで、確信へとつなげられるような、そんな気がして思わず口にした。

 低い咆哮が、それに答えるように空洞に響いた。

 振り向くと、ハルカの背後に灰色の大きなドラゴンが現れた。一度見失った敵をようやく見つけたような視線を向ける、元はハギワラ・ミツキだったそのドラゴンに、ハルカは容赦なく剣を抜く。鈍い光を放つ剣からは綻びが消えていた。

 ミツキはもう一度、低い咆哮を威嚇するように放つと、直線的に飛びかかってきた。ハルカは身を翻してかわし、背後から長剣で切りつける。鱗はばっさりと縦に裂けるような傷を作ったが、やはりその先には届かず、ミツキに打撃を与えることは出来なかった。

 怒り狂ったミツキはすぐに身を翻し、ハルカを爪で両断しようとする。

 速い。

 とっさに受け流そうと剣を爪に当てる。


 ぎいん。


 高い金属音がして、ハルカの剣は根本からばっきりと折れた。

 対竜装フォースが新たな剣を生み出すのは、先ほどの回復力を見るに絶望的である。かといって、当然ながら素手ではミツキに対抗する術はない。

「そんな……」

 絶望の影が視界の端に見えたところで、ハルカの耳は不可思議なものを捉えた。

「ハルカ!」


 がきん。


 鈍い金属音がして、ミツキの首に短い鉈が突き刺さった。彼女も、ハルカも思わずその方向を見つめた。

 オノ・セリナ軍曹が、ぼろぼろの対竜装フォースを着てハルカに手を振っていた。

 ミツキは低い、悲痛な咆哮をあげる。

「——悪りいな、お前にとってあたしが何なのかわかんないけど、ハルカを襲う時点であたしにとっては敵なんだわ」

 凍り付くような冷たい声で、消えるようなあり得ない速度で、セリナはミツキの首を両断した。


 ばたああああああん。


 仰々しい音を立ててミツキの躯は瓦礫の中に投げ出された。

「セリナ!」

「ハルカ」

 ハルカは思わず彼女を抱きしめる。

 セリナはどうしていいのかわからず、困ったような顔をした。

「どうして、戻ってきたの?」

「偶然、あたしは戻れたんだ、この姿に」

 セリナの全身はほとんどが緑色の鱗に覆われていて、頬の一部にまでそれは浸食してきていた。

「何でかはわからないよ。ただ、『零式』が詰所ステーションに向かってるのはわかったんだ。ここに来たのはたまたま。——でも、ハルカを見つけられてよかった」

 予感が的中して、セリナはほっとした表情を浮かべる。

 ハルカは、セリナに今までの顛末を語ろうと思ったが、何から語ればいいのか全く判らなかった。

「エレナから聞いたよ。中央東京詰所セントラル・トウキョウ・ステーションが壊滅、第二部隊とホウリュウ大佐は行方不明だって」

 セリナは元の厳しい表情に戻る。仕事の話をすることで、意識が元に戻ったのだろう。

「そうだ、ホウリュウ大佐と第二部隊は全滅した。僕は——ドラゴンになったコギソさんを殺した」

 場にしばしの静寂が流れる。

「そうか。仕方がない。ドラゴンになってしまったのだから。ハルカは間違ってない」

「そうかなあ……」

「あたしは、そう思う」

 奇跡的に人としての形をとどめたセリナは、強くハルカの手を握りしめた。

「行こう。——エレナが竜化トランスして『零式』と戦ってる。もうこの詰所ステーションも長くは持たないから、エレナと共謀して、他の『V』は住民の救助に向かわせて、一緒に逃がしたんだ」

 セリナはハルカの手を引いて、飛び上がろうとした。

「待って」

 ハルカは、セリナから手を離すと、アヤノの剣に近づき、それを抜いた。

「よし、行こう」

 アヤノの剣を数回振って手応えを確かめると、ハルカは空洞から空へと向かった。

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