旅の終わり

 道の駅にて、朝5時半起床。昨夜はかなり気温が下がったようで、予想以上の寒さだった。フリースの上下にライトダウンといったフル装備で、シュラフにくるまっていた。地面からの冷え込みもきつく、面倒くさいからとグランドシートを敷かなかったことも後悔。しかし、この旅も今日で最後、明日からはこういう思いはしなくて良い。嬉しさとともに、少し寂しい思いも。


 あまりの寒さにテントの中で、ガスバーナーを使ってお湯を沸かす。普段バーナーを使うのは前室で、テントの中での使用は危険なのでしない。今回は暖房の替わりだ。テントの中が暖まり、凍えていた体も心も安まる。購入していた菓子パンと、スティックコーヒーで朝食。少しゆっくりした後、出発準備。7時すこし前に出発することに。


 本日訪れる高野山は、標高800mほど。距離は道の駅からは23kmほどなので、滅茶苦茶キツい上りではなさそう。ただ、ずっと上りが続くわけで、体力的に持つのか少し心配ではある。いきなり上りというわけで無く、最初は平坦な道から。少し上ったかなと思っても下りもあったり、意外とキツくない。


 それでも無理はせず、所々休憩をはさみながら進む。10kmほど進んだところで、GPSの表示では標高350mほど。道の駅の標高が80mほどだったので、まだ300mも上がっていない。残り13kmで450m上らなければならないということだ。ここからがキツくなるのか。坂道は少しずつキツくなってくる。ただ、標高500mあたりでは1度下りがあり、少し脚を休めることが出来た。その後はひたすら上り。高野山まであと7.5kmと書かれた看板の所まで来た。標高は650mくらい。


 このあとはずっと上りが続く。めちゃくちゃキツい上りではないが、ひたすら上る。しかも車の通行も多く、道幅が狭い場所では追い越されるときにも怖い思いをすることも。道幅が広くなったら、そこで休憩。ペダルがこげなくなるほどのキツい斜度がないのだけが救い。途中、天狗嶽遙拝所というのがあったが、特別見晴らしが良い訳でもなく、通り過ぎて行く。ここまで来たら、あと少し。大門まであと0.6kmの表示が見えた。あと少し、もう少し、頑張れ。


 木々の壁が途切れ、朱塗りの大きな門が見えた。高野山の入り口に到着。自転車を停めて、ひとまず休憩。なんとか自転車を押すこともなく、ここまで上りきることが出来た。汗はだらだらと流れているし、サイクルジャージもベトベト、気持ち悪い。しかし、気分は最高だ。ついに高野山への上りが終わったのだ。


 高野山にはたくさんのお寺があるが、目的は奥之院のみ。弘法大師の御廟があるところだ。そこがお遍路の最終地点。大門からは下り坂が続く。たくさんのお寺があり、たくさんの観光客がいる。通り沿いを歩いている人は、西洋からの観光客が多い印象だ。金峰山寺や他のお寺には目もくれず、ひたすら奥之院を目指した。


 奥之院一の橋近くの駐車場に自転車を停めさせていただく。御廟のあるところまでは2km、ここからは歩きだ。


 まずは合掌一礼して、一の橋を渡る。杉の木と墓石が立ち並ぶが、まだ空気は柔らかい。温かく迎えてくれている雰囲気。歩を進めると徐々に木々の密度が上がってくる。また、墓石の密度も上がってきた。このあたりから墓石にも、風格というか存在感というか、長くその場にあるという主張を感じる。


 墓石には戦国武将のものや有名企業のものなどあった。苔むした墓石や大木が並ぶ様子は、凜とした空気感に、少し潤いがくわわって、しっとりとした良い感じだ。外国人の目にどのように写るのだろう。これぞオリエンタルという感じなのか。


 中の橋を渡ると、汗かき地蔵があった。世の中の人々の苦しみを一身に受けているので、いつも汗をかいているそうだ。苦しみを受けること、イコール汗をかくと捉えているのが面白い。高野山を上るのにたっぷり汗をかいた身としては、たくさんの苦しみを受けたということか。


 最後の橋である御廟橋からは聖域。張り詰めた空気感。写真撮影も許されない場所だ。


 御廟橋を渡り石段を登ると、燈籠堂がある。建物は大きく、堂々としている。中に入ると法要が行われており、お坊さんの読経が響き渡っていた。お堂の中はたくさんの燈籠があり、神聖な雰囲気。こちらは拝殿にあたり、目的の御廟はこの奥だ。左手にお堂の裏へ回り込む道があるので、そこを進む。


 御廟の前は人であふれていた。しかし、ここでは読経する人は少ない。人の流れは早く団体がいなくなると、静かな瞬間が来た。最後のお参り。下手なりに大きな声で、般若心経を唱える。周りでは少し引いている人もいたが、そんなことは関係ない。最後のお参りは、心地よく読経出来た。


 願わくはこの功徳を以て 普く一切に及ぼし 我らと衆生と 皆ともに仏道を成ぜんことを


 最後の回向文を唱えたあと、ついに僕のお遍路も終わったなと、ここでやっと達成感を感じることになった。ほぼ最初の計画通り、やりきった感。充実感や幸福感といっても良い。満足。そんな思い。


 納経所では、結願したことを伝え、納経帳の1ページ目に御朱印をもらう。あとに残る形としての、お遍路はここで終わった。


 自転車置き場まで戻る途中、この1ヶ月の道中を思い起こし、感慨に浸りながら歩く。


 焼山寺への道、鶴林寺への道、最御崎寺への道、清瀧寺への道、横峰寺への道。なぜか自転車で上りきれず、自転車を置いて上った道ばかりを思い出した。自転車遍路といいつつも、自転車で上りきれなかった後悔。さっきはまでは幸福感に包まれていたのに、ちょっとした罪悪感が現れた。


 そして最後にたどり着いたのは、果たしてこの旅にどういった意味があったのだろうということ。信仰心もなく、ただ「お遍路」を、回ることだけを目的とした旅。特に救いも求めていない。心のない旅。


 お参りだけはきっちりした。心はなくとも、形はしっかりとした。そうすることで信仰心が湧いてくると思っていた。仏教への帰依というか。しかし、今もそれほど信仰心はない。お大師様にすがりつきたいとも思えない。多分明日から般若心経を唱えることもないだろう。


 お遍路のエッセイなどでよく語られる、「感謝」という言葉も思い浮かばなかった。もちろん他者への感謝の心はある。しかし、もう少し自分を褒めてあげたい。毎日毎日自転車を漕いだ。お寺の坂や標高の高い峠にいつもおびえていた。それを乗り越えてきたのだ。最後に自分にこういってやりたかった。


 よくやった。


 多分、この旅は自己を肯定したいがための旅だったのだろう。他者との関わりは求めていない。自己満足。所詮、僕はそんな人間だ。


 この2kmほどの道が、この旅で一番の充実した時間だったような気がする。


 後は家に帰るのみ。事故に遭わないようにだけ気をつけよう。高野山からの、23kmの下り坂。途中、少しだけ上りがあるが、ほとんどペダルを漕ぐことは無い。


 坂道を下っている途中、すこし涙が滲んできた。たぶん、下り坂で風を浴び続けているからだろう。風が目にしみる。



 おわり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る