第一話 アリアドネ(17)

 夜の病院は、騒然となっていた。

 発電設備の爆発から始まり、病院全体での避難勧告、そして消防と警察の到着。

 それまでの間、状況を把握していた日下部が現場を仕切っていた。

 どうしてこんなところに刑事がいるのかと不審に思われたが、それは知人の娘が入院している見舞いに来ていたところに偶然居合わせただけだと言い、納得させた。

 そこから半ば強引に現場の引継ぎを終わらせると、日下部は爆発現場から離れるようにして走った。

 場所は、現場から最も離れた病棟――春花が入院している棟だ。

 もし奴らが春花を狙っているのならば、なるほど人払いをするのにこれ以上の演出はない。

 病棟は避難のために無人となっているはずだ。

 春花を助けに向かった青年はどうしているか。

 うまくやっていると祈るしかない。

「畜生、連絡先でも交換しておくんだった」

 ぼやいたところで仕方ない。

 自分の足で捜査をするなど日常茶飯事だ。

 まずは春花が入院している病室まで行く。

(無事でいてくれよ、春花ちゃん)

 病院の敷地は広く、日下部は現場から離れた場所にある駐車場に出ると、そこから春花が入院している病棟を見上げた。

 発電設備がやられたせいか、病棟の窓からは赤い照明が見える。

 赤い照明は、避難時というよりは停電などによる非常時の予備電源からの照明だったような気がする。

 なぜあの病棟だけ停電してしまっているのか。

(まさか……)

 これも奴らによる工作だとしたら、春花の身に何か起きていてもおかしくない。

 だが、それにしても静かだ。

 病院の敷地の向こう側では大騒ぎになっているのに、ここはまるで別世界――そう、つくられた静けさなのだ。

 罠を仕掛け、獲物自らがかかるのをじっと見届けているような……。

 日下部は、腰に差していた拳銃を取り出した。

 それは、日下部が持っていたリボルバーではなく、和泉から渡されたオートマチックだった。

 日下部のリボルバーよりも残弾数が多く、連射速度も勝る。

 それに、治療を受けたときにオートマチックを所持していたら、和泉自身が警察の世話になってしまう可能性もある。

 最悪の場合、和泉が発電設備の爆発に関与していた疑惑をかけられてしまうかもしれない。

 非公開組織に属していれば、拳銃を所持していてもおかしくはない警察などの公的機関の人間であることも証明できない。

 その判断を和泉はすぐに下し、オートマチックを日下部に託したのだ。

 無骨なリボルバーと違って、このオートマチックは洗練されている。

 日下部は、銃口を下げたままオートマチックを両手で保持し、ゆっくりと進んだ。

 駐車場には、何台か車が駐車されており、病棟から離れているところに並んでいるのを見るに、おそらくは夜勤の職員の車だろう。

 車をひと通り眺め、それから病棟の方へ顔を向けた日下部は、一階の窓が淡く光るのを見た。

 そこに注意を向け、じっと見つめていると、廊下を進む影が窓ガラスに映った。

(あれは……!)

 大きな影が、小さな影を引っ張るように動いている。

 それは、あの青年と春花だった。

 日下部は身振りで注意を引こうと手を挙げて左右に振り、

「お――」

 声を上げて呼びかけようとした瞬間、青年が急に立ち止まって振り返り、春花を押し倒し――そして、同時に廊下に面する窓ガラスが割れたのだった。


            ※


 ガラス窓ごしに人影――日下部を視界に捉えた和弘は、その視界の端に赤い光点を見た。

「――ッ!」

 それが何であるかを思い浮かべるよりも先に、体が動いていた。

 踵を返し、春花を視界におさめる。

 急に反転した和弘に、春花は驚いたような顔をして足を止めた。

 その春花の側頭部に赤い光点が映る。

 和弘は春花を抱きしめ、そのまま床に押し倒した。

 その直後、すぐ横の窓ガラスが砕け散ったのだ。

「きゃっ!」

 叫ぶ春花に割れたガラス片が当たらないよう、和弘は体全体を使って守った。

 四つん這いになって顔を離し、春花の状態を確認する。

「大丈夫か」

「は、はい……でも、何が……」

 戸惑う春花に、和弘は簡潔に答えた。

「狙撃だ」

「そ……」

 その意味くらいは知っているだろう春花が息を呑む。

 春花を捉えていた赤い光点は、銃に装着された照準器から放たれるレーザーサイトだった。

 そのレーザーサイトに狙われた相手は、赤い光点で捉えられた部分を貫かれ、確実に命を奪われる。

「窓から頭を出すな。窓の下の壁に背中を預けるんだ」

 和弘の指示に、春花が小さく何度も頷く。

 恐怖で言葉が出ず、動きもぎこちない。

 それでも、パニックになって叫ばないだけマシだ。

 まだ正気を保てている。

 和弘は春花から離れるようにして割れた窓の下に背中を預けるようにして座り込んだ。

 その横に、春花も座り込む。

 様子を見ようと顔を上げれば、その瞬間を狙われるだろう。

(どうする)

 和弘はオートマチックを手に持ったまま、思考を巡らせた。

 狙撃手は駐車場の車をカモフラージュにして狙っているだろう。

 この病棟から出るには、窓からにしても出入口からにしても、必ず駐車場に姿を見せなければならない。

 狙撃手は十中八九、アステリオスの空木だろう。

 空木なら、病棟から駐車場までの距離であれば外すことはない。

 さっきの一撃も、日下部が注意を引いてくれなければどうなっていたか。

(そういえば、日下部は……)

 状況を確認したいが、顔を出すわけにもいかない。

 膠着状態に陥った和弘は、この状況を好転させる方法を考えるのだった。

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