第一話 アリアドネ(13)

 亮介の指示に従い、アリアドネのコードネームで呼ばれている少女――小畑春花を半ば引きずるようにして病室を出た日野は、彼女の経歴を思い返した。

 事前に与えられた資料では、歳は十四。

 六年前に母親をビル爆破テロで亡くし、そして一週間前の暗殺で父親を失った。

 暗殺――そう、小畑史人はアステリオスによって暗殺された。

 だが、その暗殺は失敗に終わった。

 標的を抹消したという意味では成功だが、事後の状況はあまりにもお粗末で、誰が見ても他殺を断定させるものだった。

 当初の予定とは違う標的の死因。

 それもこれもすべて、第三者の介入が原因とされている。

 その原因こそが、あのとき死んだはずの男――相馬和弘なのだ。

 小畑史人暗殺のために送り込まれた土屋。

 その土屋が、事故を誘発させた小畑史人の車の傍で死んでいた。

 死因は絞殺。

 顔や胴体には殴られた痣が、腕には防御した痕も見られた。

 おそらくは、近接戦からの絞め技が決まったのだろう。

 その相手は正体不明だったが、アステリオスと互角、もしくはそれ以上に戦うことのできる相手など、同じアステリオス以外にいるはずもない。

 その人物は、土屋から奪ったシグ・ザウエルP230自動拳銃で、助けた小畑史人を撃った。

 最初は、その銃撃は土屋によるものだと思っていたが、事故で処理するはずの事案で拳銃を使う愚か者などいるはずもない。

 オートマチックを携帯していたのは、不測の事態に備えるため。

 使用することなど想像もしていない。

 そして死体となった土屋から、そのオートマチックが消えていた。

 これによって、奪われたオートマチックを正体不明の存在が小畑史人に向けて撃ったことが推定された。

 撃った理由も、これを事故ではなく、事件として警察――そしてSIAに向けさせるため。

 事故に見せかけていたとしても、小畑史人は生前に、大学時代からの親友である刑事の男――日下部糺に接触を図っていたようで、嗅ぎまわられることは必須だっただろう。

 だが、そのときは、上から圧力をかけて捜査から手を引かせるか、もしくは日下部糺もまた、事故に見せかけた何かしらの死を与えるか。

 しかし、小畑史人はSIAの内部監査室とも接触していた。

 アステリオス計画に関する情報の暴露を目的としていたらしいが、その行動の理由が分からなかった。

 正義感が、狭義心か――何にせよ、自ら死地に足を踏み入れたもの。

 目を瞑っていればいいものを、藪をつついて大蛇を呼び起こしたようなものだ。

 日野を含め、誰もがそんなことを望んでいないというのに。

 むしろ、これによって計画が凍結されれば、いったい自分たちはこれからどうすればいいというのか。

 やっと手に入れた居場所。

 どれだけ過酷な時を耐え、どれだけの血を見て、どれだけの死地を乗り越えてきたか。

 他に道などない。

 これが、自分で選んだ、勝ち取った道なのだ。

 ただ従えばいい。

 自分アステリオスというプログラムに実行を与える存在の命令に従う。

 それが、存在意義。

「歩け」

 引きずるの面倒だと思い、日野は少女へ声をかけた。

 病室のドアはスライド式で、手を離せば音もなく自動的に閉まる。

 亮介は状況報告をしており、目線で日野に先に行くよう促してきた。

 ふらふらと少女が立ち、緩慢な足取りで前へ進んでいく。

 その真後ろにつき、前へ促すように後頭部に銃口を突きつけた。

 まっすぐに伸びる通路の正面にはエレベーターがある。

 そのエレベーターが、動いていた。

(ん?)

 日野は眉を寄せ、警戒態勢に入る。

 半歩横にズレ、銃口を少女の後頭部からエレベーターのドアへ向けた。

 少女を盾にしつつ、狙いを定めることができる。

 やがてエレベーターが同じ階で止まると、ドアが静かに開いた。

「止まれ」

 少女の肩を掴み、足を止めさせる。

 少女はまるで意思を失っているかのように、何も言わず、ただ従っていた。

 顔が見えないため、どういう意図か分からないが、浅井美鶴を殺されたことによるショックが大きすぎたのだろう。

 死を悼むことなど、無意味だというのに。

 扉が開かれると、中は無人だった。

 だが、その代わりに、掃除用のモップが倒れ込んできた。

 カラン、と甲高い音を響かせながら倒れた柄が、自動で閉まるドアに対し、ストッパーの役割を果たし、ドアが再び開かれる。

 それを繰り返すエレベーターのドアに、日野は作為的なものを感じた。

(奴がいる)

 そう直感が告げた。

 やはり、小畑春花を救出に来たのだ。

 命を狙われていると知りながら、小畑春花という餌を助けるために。

 なぜそこまでするのか、日野には理解できない。

 命令されたわけでもない。

 だからと言って、自分たちのような存在が、自らの意思で動くこともない。

 ならば、奴はなんのために戦おうとしているのか。

 日野は少女の肩を押し、前へ歩くのを再開させた。

 開いては閉じてを繰り返すエレベーターのドアに近づいていく。

 エレベーターの箱の中には、死角がある。

 スイッチのパネルがある角だ。

 そこに身を隠せば、ここからでは見えない。

 警戒しながらも、箱の中を確認しようとしたところを狙うつもりだろうが、そこまで日野も愚かではない。

 おそらくは下の階でこの仕掛けを施した後、同時に階段を駆け上がり、エレベーター前のフロアの陰に隠れているに違いない。

 だから、奴は箱の中ではなく、日野が手前のフロアに出た瞬間を狙ってくる。

「そのまま歩け」

 耳元で呟き、少女の背中を押す。

 日野はそこで待機し、少し距離を空けてから前進した。

 少女がエレベーター前のフロアに出る。

 奴が少女を目にしたならば、そっちに目がいくはず。

 それを想像し、その隙を狙うように日野は一気に踏み出し、階段がある方のフロアの先へと銃口を向けた、が――

(いない……)

 そこには誰もいなかった。

 その間にも、少女はエレベーターの方へと近づいていく。

「止ま――」

 歩きを止めようと、日野は左手を伸ばした。

 その動きに合わせて、オートマチックを持つ右腕が下がる。

 そんな日野の視界に、人影が映った。

 よりにもよって、日野がありえないだろうと否定したエレベーターの箱の中から。

 奴――死んだはずの相馬和弘が、現れたのだ。

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