6-1 ラストデイ

 グリーンは眉根を寄せる。

 その視線の先には皆月の姿があった。


 最近の皆月は機嫌が良い。

 ここ数日、地獄のような特訓を受けていたにも関わらず、だ。


 彼女は急速に地力を上げている。格闘能力も、異能も、出会ったころとは比べ物にならない。

だがそのことは、グリーンに一抹の不安を与えていた。


 格闘については天賦のものがあったのだろう。納得ができる。

 しかし、異能については分からない。経験を積んだからでもなく、なにかの切っ掛けがあったからでもなく、漠然と皆月の力が強くなっているように、グリーンには見えていた。


 人は急激な環境の変化に弱い。

 例えば大金を手にしたとき、例えば武器を手に入れたとき。必ずしもとは言わないが、大抵の場合は気が強くなるなどの変化を見せるだろう。いつ皆月にもその兆候が現れるかは分からず、思い浮かべるだけで眉間の皺が深くなっていった。


 別に、グリーンには面倒を見てやろうなどという気持ちはない。彼女がだと言われているから、仕方なく一緒にいるだけだと思っていた。

 だが実際は、そう言われればグリーンは簡単に見捨てられないということを見越しての命である。自分のことを完全に理解している人間は少ない。グリーンもそれは同じで、彼女は自分のことを酷薄な人間だと信じていたが、そう成り切れない情を持ち合わせていることを見抜かれていた。


 皆月の成長は喜ばしい。だが危険でもある。

 グリーンは皆月に対し目を光らせていたが、不思議とそんな素振りは一向に見えない。彼女はいつもと変わらぬ休日を過ごしており、溜まった家事を片付けていた。


 時折、皆月はグリーンを見る。手伝ってくれないのかな? という意味合いでだ。

 しかし、グリーンはへらへらと軽く手を振るだけで立ち上がろうともしない。

 完全に、不満を口に出せない妻と、休日は寝てばかりいるダメ亭主の図式だ。


 だがそれでも皆月は休日を謳歌していた。普段が殺伐としているだけに、こういった休みには、たまらない幸せを感じている。両親が殺害されて以降、元々の友人たちとは疎遠となっていたが、今はグリーンもいる。なにもしてくれないが、誰かが一緒にいてくれるということの大切さを、皆月は噛みしめていた。


 しかし、幸福な時間とは突然にして奪われるものである。

 これがマーダーとしての最後の休日だと、彼女は知らなかった。



 ――翌日の夕方前。

 慌ただしい本部を抜け、お約束と言わんばかりに、彼女たちは牢の前へ集まっていた。

 だが、呼び出した当の本人である上杉の姿が無く、皆月は肩を竦める。


「任務ですか? それとも訓練ですかね? レッドさんはなにか聞いています?」

「……」


 答えることなく、目を閉じ、静かに煙草を吸っているレッド。普段ならばなにかしらの返事をするか、罵倒の一つでも飛んでくるところなのに、珍しいなと二人は思う。

 なにか妙な空気を感じていると、いつも通りに胡散臭い笑顔を浮かべた上杉がようやく姿を見せた。


「お集まりですね」

「上杉さん遅いですよー」

「すみません」


 謝罪を口にしているが、声色も変わらず、頭を下げる素振りも無い。まるで悪いと思っていないことは、誰から見ても明らかだった。

 皆月は口を尖らせながら、不平を告げる。


「三十分も待ったんですよ? 連絡くらい――」

「――本日の深夜、夜の国とホーリーセイバーの兵がこちらを襲撃します。目的はマーダー・マーダーです」

「してくれても……ふぇ?」


 皆月は目を瞬かせ、グリーンは目を僅かに細める。

 数日前から聞かされていたレッドは、片目だけを薄く開いた。


 今日、上杉はこうなることが分かっていたからこそ、皆月の育成を急いでいた。

 それこそ、耐えられぬのならば死んでも良いとすら思っていた。


 しかし、予想より遥かに皆月が強くなっていたこともあり、この数日で彼女は目覚ましい成長を遂げている。今の皆月ならば、三大派閥の幹部にでも簡単に殺されたりはしないだろう。

 それらのことを加味した上で、どう動くかを決めていた上杉は笑顔のまま言った。


「皆月さんの有用性に気付き、こちらを襲撃することは分かっていたことですが……。想定より早いこともあり、時間が足りませんでしたね。しかし、彼女には可能性があります。逃走経路を確保しましたので移動しましょう」


 皆月の成長は、上杉の想像より上だった。だが、想像を絶するほどでは無く、最強理想には程遠い。時間さえあれば至れるかもしれないが、今はまだ足りないと言わざるを得なかった。

 ここを放棄するという意見をようやく理解したのだろう。皆月はハッとした顔で口を開いた。


「な、なにを言っているんですか!? わたしたちは異能殺人対策課の人間です。人々のために、マーダーと戦う使命があります!」


 勝てないにしても、市民が避難する時間くらいは稼げるだろう。いや、稼がねばならない。皆月は自分の正義を信じ、胸元へ強く手を当てる。

 だがそのとても綺麗な言葉へ、上杉は微笑を返した。


「ふふっ」

「上杉さん……?」


 普段と同じだがどこか違う。そんな上杉の様子に、皆月は戸惑いを隠せない。

 彼は笑みを浮かべたまま歩を進ませる。皆月との距離は見る見る内に狭まり、息が届くほどの距離で足を止めた。


「あ、の?」

 いまだ混乱の渦中にある皆月へ、上杉は静かに手を伸ばす。

 グリーンは口を出さず、だがどこか気まずいものを感じ、目を僅かに逸らしていた。


 ――まさか、攻撃しようとしている?


 皆月がその考えに辿り着いたのは、すでに上杉の手が自分の首元へ触れる直前だった。


「やめろ」


 ピタリと手が止まる。

 声の主を見て、上杉は眉根を寄せた。


「レッド……?」

時間切れ・・・・だ」


 その言葉の意味へ最初に気付いたのはグリーンだった。顔が一気に青ざめ、フラリと体が揺れる。皆月は、慌てて彼女を支えた。

 ダンッと強い音が鳴る。目を向けると、なにごとにも動揺しない上杉が、両膝を着いていた。


「嘘、ですよね?」

「自分を曲げ、お前たちの頼みを聞いた。だが、叶わなかった。約束通りに、後は好きにさせてもらう。いいな?」


 二人はなにかショックを受けているが、その理由が分からず皆月は目を瞬かせている。ただ、腕の中でグリーンが震えており、ただ事では無いことは理解していた。

 俯いたまま上杉が聞く。


「……まだ時間が有ったはずです」

「そうだな、そのはずだった。ままならないもんだ」


 レッドの言葉に抑揚は無い。二人は慌てているが、本人はそうなると思っていたとばかりに平然としていた。

 皆月の腕を払い、グリーンが牢へ触れる。


「ボクは、どうすれば……?」


 初めて見せるグリーンの弱気な言葉に、皆月だけが狼狽する。


「先んじてサラマンダーが来るのを感じる。チンチクリンに手を貸してやれ。オレも、話が終わったら上に行く」


 グリーンの目は訴えている。ここから離れたくない、と。

 しかし、レッドの態度が変わらないのを見て、小さく頷いた。


「……分かった」

「分かりません!」


 ここだと思ったのか、皆月は手を上げ話へ割って入る。

 説明をする義務は無いのだが、義理はあると思ったのだろう。レッドはこの部外者へ、淡々と告げた。


「とある事情でオレたちはお前を利用していた。だが失敗したので、最後に借りを返すことにした。てめぇの仇討ちを手伝ってやる。以上だ」

「とある事情ってなんですか!?」

「これだ」


 皆月は隠されると思っていたのだが、レッドは躊躇うことなく服を押し上げ、理由を曝した。

 よく鍛えられているが傷だらけの腹部が露わになる。……傷跡は、戦闘によるものだけでなく、手術跡も多く見られて痛ましいものだった。


 しかし、それ以上に目を奪ったものがある。二人はすぐに理解し、下唇を噛む。

 最初は気付かなかった皆月も、その違和感に気付いて目を凝らし、ようやく異常を把握した。


「体が……」

「アッシュロードってマーダー名を、”灰の王”だと思っているやつが多い。だが実際に付けたクソ研究者の話では、”灰の道”って意味らしい。敵も味方も灰と化し、いずれは自身も灰となる道。こうなることは、すでに分かっていたことだったってわけだ」


 レッドの体が少しずつ灰となっていくのを見て、そのあり得ない現象に、皆月は身を震わせた。


 ◇


 最強のマーダーであったアッシュロードは自身の能力へ苛まれており、その体は耐えうることができなかった。


 灰化現象。


 この問題を解決する方法を常々探していたが、結果は芳しくない。このままでは、レッドが灰となるほうが早く、焦りだけが募っていた。


 そう思われていたときだ。とある新たな能力を持ったマーダーが出現した。

 あまりにも都合の良い存在に、彼は暗闇の中に一筋の光が差したよう感じた。

 調べてみれば、まだ実力は未熟。到底、アッシュロード最強を無力化することなどはできない。しかし、これまでで一番可能性があることも間違いなかった。


 時間が無い。彼は、すぐに行動を開始した。


 元々、彼は情報源だけでなく伝手を大量に有している。特に、ネット上には数えきれないほどの味方がいた。データの改竄は簡単に行え、上杉 鳴という名を手に入れた。

 あらゆる手練手管を使い、金に糸目をつけず、異能殺人対策課へ入り込む。ウォッチマンの数が足りていなかったこともあり、皆月を下に付けることも難しく無かった。


 しかし、最後に大きな問題とぶち当たる。

 レッドの説得だ。

 レッドは自分を曲げることが無い。それは彼も、グリーンも知っている。


 だがそれでも、二人は必死で頼んだ。一度だけでいい。機会をくれ。死んでほしくない、と。

 この頼みを、レッドは渋々ながら受けた。どうせ助からないと思っていた命だ。一度だけ、二人のために曲げてやってもいい。そう思ったからだった。


 そしてお膳立てした通りに、レッドと皆月は戦うことになる。結果は、予定通りにレッドの敗北だ。

 黒星をつけることを望まず、相手を殺すのではと危惧していたが、レッドはちゃんと負けてくれた。違和感はあったが、彼は胸を撫で下ろした。


 後は、最強とその仲間である二人の手で、仮の最強を真の最強へ届くように鍛えればいい。

 残る問題は……やはり時間だった。


 ◇


 上杉と皆月の通信機へ連絡が入る。だが、上杉は微動だにしなかった。


「はい、こちら――分かりました」


 代わりに通信を受けた皆月が、残りの面々へ伝える。


「サラマンダーが現れました。同じく、アンデッドと鎧を着た兵が向かっているとの報告です」


 まだ直接見たわけではないからだろう。胸の内に身を焦がすような黒い炎を感じながらも、皆月は抑えながら話を続けた。


「わたしはサラマンダーを倒しに行きます」


 これは助力を求める言葉では無い。彼女自身が、まずそうしなければこの先の人生を歩めぬから、その意思を宣言していた。

 レッドたちの考えは理解したが、それは置いておき、自分の成さねばならぬことをする。皆月は、そう決めて駆け出した。


「……」


 少し遅れて、無言のままグリーンも後を追う。

 残されたのは、動くのを待っている者と、動くことができない者だった。


 普段のレッドならば、解放しろと言うだろう。

 しかし、今は静かに上杉の事を見ていた。

 その視線に気付いたからか、これ以上情けないところを見せたくないからか。上杉は壁を支えに、どうにか立ち上がる。


「本当に……っ」


 本当に無理なのか。

 本当に終わりなのか。


 先を口に仕掛けていたが、上杉はギリギリのところで留まる。言葉にしてしまえば、また立ち上がれなくなる気がしていた。


 細く、長く息を吐く。

 永遠にも感じられる数十秒の後、上杉は背筋を伸ばした。


「解放します」

「あぁ」


 今までは、少しでも灰化を遅らせるために、首輪なども使用して能力を制限していた。僅かな効果ではあったが、それが無ければもっと早くに死へ至っていただろう。ただ、想定していなかった事象で、早まってしまっただけだ。


 能力の制限が解除されたレッドは、もう二度と入らない牢を炎で破壊する。水の中で炎は出せない。そういった設計思想で作られていたが、真の力を発揮しているレッドの体へ触れると、水は蒸発していった。


 上杉はやれることをやった。だが、悔いは消えないのだろう。顔の笑みは張りついているようだった。

 そんな彼の肩へ、ポンッと手が置かれる。


「予想より早まったが、お前はよくやっていた」


 本当に聞きたかった言葉は違う。だが、恐らく朝は越えられないであろう兄貴分に言われれば、首を横に振ることはできなかった。

 皆月たちが出て行ってから約十分。すでに雌雄は決しているかもしれない。

 煙草を咥え、悠々と歩を進めながらレッドは言う。


「下のやつらと、他を片付けてから来い」

「分かりました」


 上杉が脱出に使おうと思っていたルートからは、事前に得た情報通りに敵が向かって来ている。

 そこには、「自分はアッシュロードの天敵である」と自負している、アッシュロードと何度か戦ったことがあるホーリーセイバーの幹部がいることは知っていた。


 ――これは、自分の役目だ。……いや、ただの腹いせ、か。


 そんな自分の情けなさへ苦笑いを浮かべつつも、上杉は銃火器を手に、地下通路へと向かった。

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