第30話 メイド少女と異形の神編

「そろそろかのぅ」


 都内上空。雲の合間に隠れて飛ぶ龍が健介に語りかける。


「ああ、何も起きなきゃいいんだけど……」


 眼下に煌めく東京の街並みを見下ろし、健介は不安気に龍に応えた。


 龍の周囲には鴉天狗が控えており、天狗たちが作り出した雲の結界が彼らの姿を地上の者たちの目から覆い隠していた。


 朱莉も知り合いの神父や自称魔術師の少年にそれぞれ声をかけ、彼らの伝手を通じて集まった関係者たちもまた、都会の雑踏に紛れ込むようにして来るかもしれないその時を待っていた。


 こうして大勢の人や妖怪が集まったのも、ひとえに健介と朱莉の人徳あってこそだ。


「五秒前か」


 秋葉原の細い路地の前で長身の神父が腕時計で時間を確認する。


 時刻は午前二時五九分。


 予言の時刻まで残り五秒。


 五、四、三、二、一……。



 ビキッ。


 ビキビキビキッ!



 ガラスに罅が入るような異音。


 街の明かりが作り出す濃い影の中から沸き出すように、大量の亡者の手が光を求めて溢れ出す。


 だが、亡者たちが街の明かりの下へ出てくる事はなかった。


「主よ、我らより邪悪を遠ざけたまえ」


 長身の神父が金のロザリオを握りしめ呟く。


 聖守護天使封陣サンクチュアリ


 街の各所に聖印を刻み、それらを結ぶことで巨大な守護封陣とする十字教の秘術てある。


 街の各所に刻んだ聖印が正常に作動した知らせをインカム越しに受け取り、神父は頭痛を堪えるようにため息をついた。


 べっとりと後ろに撫で付けられた髪と縁のない眼鏡が印象的な狐顔の男だ。

 いっそカソックよりもスーツの方が似合いそうな風貌だが、彼の纏う聖職者特有の厳格な雰囲気が、彼が本物の神父である事を静かに物語っている。


「まさか本当に起きるとはな……」

「はい。朱莉さん曰く、浄玻璃眼の保有者の予言だそうですから、情報の確度は高いだろうとは思ってましたけど」


 神父の隣に立つ金髪のシスターが頷く。

 年齢は高校生くらいだろうか。

 背中に背負った巨大な十字架を鎖で体に巻き付けており、鎖が食い込んで強調された胸がなんとも目の毒だった。


 如何にここが秋葉原とはいえ、夜中の三時とあっては周囲に人影は殆ど無く、二人の怪しさが際立っている。

 上空の雲の中で光が瞬いたのを見上げて、神父が呟く。


「上の方も動き出したようだな」

「いっそどちらも共倒れになってくれればいいのに」


 シスターが空を見上げて苦々しい顔で吐き捨てるように言った。


「気持ちは分かるが押さえろ。しくじれば人の世が終わるほどの大災厄だ。一般人に奴らの存在を気付かせるな」

「ぶぅー、分かってますよ」


 わざとらしくむくれてみせたシスターに神父はやれやれと溜息一つ、渋谷周辺で待機しているはずの銀髪糸目のエクソシストへ電話をかける。


『もしもーし。そっちはどないや神父サマ』

九十九つくもか。こちらはひとまず正常に発動した。そちらはどうだ」

『こっちもとりあえずは問題なしや。しっかしまあ、聖守護天使封陣の発動中に天使の降臨を防げなんて、無茶言うてくれはりましたなぁ』

「そんな無茶を頼めるのはお前くらいしかいないからな」

『はははっ、信頼されとるなぁ。まあ、すでに貰うモンもらったさかい、仕事はキッチリこなしまっせ』


 聖守護天使封陣は定めた範囲内を天界に満ちる天使の力テレズマで満たすことで邪悪なモノの侵入を阻み、その力を抑え込む術だ。


 それはつまり地上に疑似的な天界を創り出す事に他ならず、霊的異世界との境界が曖昧になりつつあるこの時にそれを使えば、人間にとって望ましくない天使の降臨を招く危険性があった。


 しかし九十九と呼ばれた男は、本来なら百人がかりで発動させる聖守護天使封陣の反転術式を、たった一人で組み上げた。


 しかも、お互いの効力が反発して術式同士が対消滅しないようにして、だ。

 

 九十九一二三つくもひふみ

 世界に三人しかいない特一級エクソシストの名は伊達ではなかった。


『せやけど、まさか魔術師嫌い、妖怪嫌いのあんさんが奴らと共同戦線張るとはなぁ。くくく、あの嬢ちゃんにどんな弱み握られたんや?』

「……減らず口は相変わらずだな」


 別に朱莉に弱みを握られた訳ではない。

 ただ単に、彼女には返しきれないほどの借りがあるだけだ。


「とかなんとか言って、ホンマは若い女の子に頼られるんが快感なんとちゃいますかぁ? え? このムッツリすけb」


 ブツッ!


 これ以上の会話はこちらが不愉快になるだけと判断し、通話を一方的に切る。


「……さあ、ここからが本番だぞ。揺らいだ境界を朝までに元に戻さなくては」

「うひー、骨が折れますねぇ」

「だか、やらねば人の世は終わりだ。まだ範囲が東京の中だけに留まっている内にどうにか押さえ込まねば」



 ◇



 東京西部、奥多摩山中。


「ししょー! 霊脈の封鎖術式の設置、完了しました!」


 中学生くらいの少年がカンテラを手に掲げこちらへ駆け寄ってくる。

 黒髪の、どこにでもいそうな凡庸な顔立ちの少年だ。


 学ランの上から黒いローブを纏っており、少年らしい活力に満ちた瞳は初めて大仕事を任された高揚感にキラキラと輝いていた。


「そ、そう。ご苦労様。制御はこっちで引き継ぐから、あ、後は、車で休んでていいよ」

「分かりました! あ、じゃあ朱莉さんに連絡してきますね!」

「う、うん。そうして」


 弟子の少年が近くに停めてある車の方へ駆けていくのを見届け、男が杖を構えて目を閉じる。


 三〇代くらいの冴えない男だ。

 髪はボサボサで目元がすっかり隠れてしまっており、酷い猫背もあって卑屈な印象を受ける。


 服装もヨレヨレの緑ジャージの上から金の刺繍が施された黒いローブを羽織っており、手に持つ宝玉の付いたロッドと合わせても、正直言ってかなりダサイ。

 ここが人気ひとけの無い山奥でなければ警察に声をかけられてもおかしくないほど不審な男である。


 だが、彼はこんなナリでも魔術の世界ではその名を知らぬほどの有名人だった。


 二階堂孝麿にかいどうたかまろ

 日本における魔術の名門、二階堂家の現当主であり、かの魔術師アレイスター・クロウリーが自ら編み出した秘術により転生した現在の姿でもある。


 しかし、転生の秘術で引き継いだのは魔術師アレイスター・クロウリーの持つ知識のみであり、その経験や人格は彼の死と共に完全に失われている。


 クロウリーがあえて転生の術を不完全なものにしたのは、本人曰く「折角生まれ変わったのにすでに女の味を知っていたら人生の楽しみが無くなってしまう」という、いかにも自由奔放な彼らしい理由からだ。


 だが、悲しい事に孝麿は今まで魔術の研鑽にその人生を捧げてきたため、友達はおろか女性と会話すらまともにできない奥手な人間になってしまった。


 無論、女性との一夜の経験などあるはずもなく、昨年めでたく都市伝説的な意味の「魔法使い」になってしまったのは笑い話である。


「ひ、ひひっ。東京の霊脈に触れられるなんて機会、滅多にない。存分に吸い取らせてもらいますよ!」


 普段であれば霊脈の管理者が黙っていないだろうが、今回は事態が事態だけに彼らも見逃さざるを得ない。

 滅多にない幸運に口の端を歪ませ、孝麿は術式を発動させた。



 ◇




「うん、ありがとう。……うん。……あ、うん、わかった。そっちも気をつけてね」


 知り合いの自称魔術師の少年からの電話を切り、朱莉は自分の部屋の窓から東の空を見上げる。

 自分にできる事はやりきった。後は全員の無事を信じて待つだけだ。


「みんな、無事に帰ってきてね……」



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