アノマリア

螺鈿大地

 ビヨンド号のリビングに通されたアノマリア。


 彼女は初めこそ、きょときょと首を振って御上おのぼりさん風だったのだが、やがてすぐに落ち着きを取り戻して、促されるままソファーに腰を掛けた。


 ソファーの上で足を揃えて座り、珍しそうに座面を手で押したり撫でたりする彼女を見ながら、二階堂も少し距離を置いて座った。


 見た目は佳人かじんといった雰囲気のアノマリア。


 立てば芍薬しゃくやく、座れば牡丹ぼたん、歩く姿は百合ゆりの花――


「――それじゃあ、ニカイドウおじさまは、自分が囚われのお姫さまだと思い込んで命がけで助けに来てくれたッスか⁉ そりゃ傑作ッスよ! だっははははははっ‼」


 ――そして、ひとたび口を開けばはす。このギャップよ。残念すぎる。


 膝を叩きながら笑うアノマリアを眺め、眉間に手を当てた二階堂は、一瞬でも心を奪われた自分をわらった。あのときめきを返せ。


「――っつーことは、おじさまは自分の白馬の王子様ってことッスねっ⁉ ……おじさまだけに‼」


 そう言って、また腹を抱えたアノマリア。頭痛を深める二階堂。


「君が捕まってるって思い込んだのは俺じゃなくて、ロンロンな」


「いや、それは同罪だぞ。カオルも納得していたではないか」


 ひーひー涙を溜めて笑っていたアノマリアが、ふと顔を上げた。


「ロンロン、ロンロン……ああ、そういえばロンロンはどこにいるッスか? さっきからずっと声は聞こえるッスけど、姿は見えないッスね……。あ、分かった。恥ずかしがり屋さんッスね? 大丈夫だよ~、指環を付けてあげるだけッスから、出ておいで~」


 犬をおびき出すような仕草でパチパチ手を叩き始めたアノマリア。


 ――さて困ったぞ。


「ロンロンは、人工知能なんだ」


「じんこうちのう? なんスかそれ?」


 そういう難しいことはロンロンに説明させたかった二階堂だが、しかし未だにロンロンはアノマリアと直接会話ができない。自分がなんとか説明するしかない。


「つまり、なんだ。このビヨンド号がロンロンの身体みたいなものなんだが。実際はもっと小さな専用プロセッサで考えていて、でもそのプロセッサも交換可能だから……結局、ロンロンって……なんなんだ?」


「?」


 お互い顔を見合わせて、同時に首をひねった二人。


「……ロンローン、やっぱりヘールプ」


「カオル、翻訳にはそれなりに時間がかかる。カオルの話を聞けば、私がその吻合環という指環を装着できれば、彼女と話ができるようになるとのことだ。まったく荒唐無稽な話だが。まずはその吻合環を付けるのは、指でなければならないのかを聞いてくれ。私の本体は量子ドライブの中に記録されたデータだと言えるから、ドライブに接触させるだけで効果があるかどうかだ」


「アノマリア、その吻合環って、指じゃなきゃ駄目なのか? ロンロンの本体は人間の形をしていないんだ」


「……ああー、なるほど。そういうエントリオも、たまーにいるみたいッスね。うーん……そッスねぇ~……指じゃなくてもいいッスけど。できるだけこころに近い箇所がいいッス。人型の場合は何故か経験的に左手薬指ッスけど。中には頭に被ったり、首に巻いたり、ピアスにしてたのも、あったっけ?」


「指にはめなくても、心に近いところならいいってさ。ドライブの上にテープで貼っ付けてみるか?」


「綺麗に剥がせるタイプのテープで頼む。ベタベタになるのは嫌だ」


「アノマリア、指環をひとつ預かっていいか? 今からロンロンに付けてみる」


「お、いよいよロンロンの顔が見られるッスね。自分も見たいッス」


 二階堂が立ち上がると、アノマリアも立ち上がった。


 黙って部屋の奥に視線を送る二階堂。ドライブは、ロンロンのすべてだ。


「構わない。バックアップもある」


 それを聞いた二階堂がこっちへ来い、といった具合に小さく首を振って歩き出すと、アノマリアは目を輝かせながら彼の後を追った。






 マスキングテープで指環をくっつけただけだったが、効果はあった。


「初めまして、アノマリア。私がロンロンだ」


「お初ッス、ロンロン。アノマリアっす」


「うそ……」


 絶対失敗すると思っていた二階堂。茫然として立つ。


「いやぁ、ロンロンはニカイドウおじさまの妄想の産物じゃないかと思って、心配してたッスよ」


「ロンロンの声は聞こえてただろ」


 二階堂の指摘に、アノマリアは「だってだって」と言って、両手で四角い形を作りつつ、口を尖らせる。


「これがロンロンだーって、ただの黒い箱を見せられれば、ああこりゃ駄目だ。おじさまはやべー奴だ。って思うッスよ、普通」


「長く独りでいると、身近なものに話しかけ始め、やがてその妄想と現実が不可分なものになっていくという人間の思考過程は、実際にあるらしいぞ。無人島でヤシの実と友達になった男の映画を見たことがある。私が実在していて良かったな、カオル。こういうのは第三者がいなければ証明できない」


「怖いこと言うなって……」


 二階堂はそう言ってコップに水を注いで飲んだ。


 あの後、二階堂はアノマリアを背負って橋の上からワイヤー降下し、今度はその近くに落ちていたイノシシ風の異形を担いで、えっちらおっちら橋を渡り、彼女を連れてビヨンド号に帰還した。おかげで足がもうガクガクだ。


 肉はビヨンド号の分解炉に放り込まれた。今現在、その成分分析をロンロンが行っているが、感触として、今晩は何か食事が取れそうらしい。


 アノマリアに腹が減ってるなら琥珀アンバーを食えと言われ、透き通った琥珀こはく色の石を差し出されたのだが、言っている意味が分からなかった二階堂は「俺、お腹弱いから」と無難にやり過ごして今に至る。未だに二階堂の腹はスカスカだ。


 アノマリアの私物はほとんどなかった。言われた場所にあった琥珀色の石を全てと、本が数冊。あとは数珠じゅずだ。二階堂には数珠にしか見えないそれは〈風伯珠ふうはくじゅ〉――〈ロザリー・タービュレンス〉というらしい。オーパーツだと言っていたが、よく分からなかったのでその時は流した。


 それよりも驚いたのが水で、彼女の檻の中で水が湧いていた。綺麗な水で、飲めるらしく、二階堂は存分にその水を飲んで水筒に詰めた。


「これ、あの気持ち悪い異形の体液を飲んでるんだよな……」


 二階堂がコップを見ながら言った。中の水は完全に透明だ。二階堂が持ち帰った異形の体液も、浄水されて飲料用となっている。当然厳密な水質チェックはすんでいるが、気分的に良いものでもない。


「それ言ったらカオル、君は自分のおしっこを半年近く飲み続けた猛者もさだ。いまさらだろう」


 その通り。宇宙旅行において、リソースは基本的に循環式であり、排泄物も浄水の上で飲料として再利用だ。しかし、二階堂はロンロンのデリカシー不足を痛感した。アノマリアが「んおぉ……」と険しい表情になっていた。


 どうやってロンロンにデリカシーという言葉を覚えさせようかと思案していると、彼の背中にアノマリアの声が掛かった。


「ところで、ロンロンがニカイドウおじさまのことを、カオルって呼ぶのは何でなんスか?」


「それは……俺のフルネームが二階堂にかいどうかおるだからだ」


「ニカイドウカオル……長いッスね」


「いちおう、二階堂が姓、薫が名前だからな?」


「姓、名前……ああ、そっち系ッスね。エントリオはいろんな名前のルールがあってややこしいんスよ。じゃあ、自分もカオルって呼んだ方がいいッスか?」


「好きにしてくれよ……君は? アノマリアは――」


「ただのアノマリアっす。ママにもらった名前ッスよ」


 フフンッと得意げなアノマリア。


「家族がどこかにいるのか?」


「いるっすよ。ママは〈エヴァイア〉の近くにいるッス」


「エヴァイア、というのは?」


「この世界の中心ッス」


「中心……」


 二階堂が眉間にしわを寄せて、唸った。


「――アノマリア、俺達はこの地で目覚めてまだ二日しか経っていない。君が始めて出会った人間なんだ。だから、教えてくれないか。ここはどこなんだ?」


「ここはどこ」


 そうおうむ返しし、アノマリアはコックピットの窓に手を添えて外を眺めた。


「ここ……ここは、どこなんスかね?」


「君も知らないのか?」


 アノマリアの視線の先には、天を貫く柱があった。遠く、キラキラと色とりどりに光っている。


「自分はママに産んでもらった身なんで、ここがどこかとか気にしたことないッス。でも、エントリオはみんなそうやって、ここはどこかって聞くらしいッスね。そういうときは、自分らは大体、決まり文句でこう答えるんスよ」


 アノマリアは振り返って肩をすくめて見せ、言った。


「ここは忘却の間際まぎわ虚無きょむみぎわ。〈三巫薔薇トライローズ〉が支える星のしとねにして、〈大螺鈿だいらでん〉の光が照らす小さき桃源郷ザナドゥ。……意味は知らねーんスけどね。昔からの言い伝えなんス。自分らは簡単に〈螺鈿らでん大地〉って呼んでるッスよ」

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