奥深き瞳

『カオル、こくだが――』


「分かってる!」


 二階堂は自分を縫い付けていたトロールの触手を力任せに引き抜いた。全身の神経が引きずり出されていくような、うすら寒い怖気おぞけが来た。


 数秒間、硬直してその不快感に耐えた後、すぐに身体を回してうつ伏せになる。片腕で身体を引きずって進み、中庭に顔を出した。


 直後、爆音を上げて手をかけた床の縁が弾け飛ぶ。


「――くっ!」


 慌てて頭を引っ込めた二階堂。


「駄目だ! 頭を出せない!」


『隠れながら移動して、射撃位置を変えてから一発お見舞いするんだ』


 二階堂は床の縁から十分下がり、姿勢を低くしてウニから見つからないように中腰で移動した。アノマリアの塔の方角だ、あの辺りは遮蔽物が多い。


「うぅぅ……」


 この時になって初めて、二階堂は肩に熱を感じた。唐突にやって来たそれは激烈な痛みを伴っていた。歩みに合わせて傷口が弾け飛びそうなほど痛み、目がチカチカする。


「――ロンロン、痛み止めなんてないか?」


『すまないカオル。薬品の類いは皆無だ。ビヨンド号のメディカルポッドは使えるから、なんとか持ちこたえてくれ』


 二階堂はやっとのことで新たな腰壁の裏に辿り着くと、こっそり頭を出した。


「――大丈夫そうだ」


『重ねて謝るが、ここにきて、あのウニのどこを攻撃するべきか、まだ見当が付いていない』


「なーに、とりあず一発ぶち込んでから考えよう」


 そう言って二階堂はガウスライフルを腰壁の上に置き、床にひざを突く膝射しっしゃの姿勢を取った。片腕が上がらない二階堂の工夫だった。


 スコープを覗き込んで狙いをつける。四角いスコープの中にズーム映像が出たが、それは真っ黒なうごめきだけだった。ウニが大きすぎてスコープの意味がなかった。


まとがでかくて助かる――っ!」


 とりあえずの、ど真ん中を狙った一発が、山のように大きなウニの巨体に吸い込まれていった。


 ガウスライフルの弾が残した細い光跡は、アリが象に挑むような頼りなさだった。しかし直後にウニの身体の一部が大きく膨らんで破裂し、大量の黒い肉片と半透明の体液を周囲にまき散らしたのを見て、当の二階堂が少し驚いた。


『急ブレーキがかかった弾の運動エネルギーが熱に変換され、あのウニの体内で水蒸気爆発を起こして内部から爆散せしめたのだ』


「なるほど」と素直に頷いた二階堂。


 様子見の一撃は予想外の効果を上げたが、しかしそこから激しい応射が来た。あっという間に二階堂が身を隠していた腰壁が粉々に吹き飛ばされる。


 二階堂は顔を引きつらせながら仰向けになって、ビュンビュン高速で飛んでいく矢の雨を見送りながら、身体をズリズリと床に這わせてその場を離れた。


「反撃の勢いがすごいな……怒らせたかな?」


『カオル、肩の出血が酷い。時間をかけている暇はない。がむしゃらに撃ちまくるしかない』


 二階堂が身体を這わせた跡に、鮮血の筋が引かれていた。


 しかしこの、まるで20mm機関砲で狙い撃ちされているかのようなプレッシャーを受けている中、しかも片腕も封じられた今、打ち返す隙がほとんどない。


 先ほど与えたダメージも、ウニの巨体と比べてみれば、ほんの一部分に過ぎなかった。ガウスライフルの弾はまだ残っているが、あの肉を全部削り取るには、どう考えても弾が足りない。


 ――弱点はないのか?


 ――ウニの弾切れを誘おうか。


 矢が飛んで来なければ、とりあえずビヨンド号には帰れるよな。そんな事を考えながら空を見ていた二階堂の視界の端で、黒い影がモゾモゾと動いた。


「――おいおい」


 アノマリアが塔の上から出てきたのだ。彼女はずるずると足から檻の外に出てくると、二階堂が残したロープを掴み、運動音痴丸出しの動きで下に降りてくる。


「おいおいおい」


 二階堂が慌てて下に滑り込むと、案の定というか、彼女は途中で手を滑らせた。


 立ち上がって身体に十分なクッション性を持たせ、片腕でアノマリアを受け止める二階堂。彼はそのまま自分を下敷きにして一緒に床に倒れ込んだ。フレキスケルトンがなければ二人とも骨が折れていただろう。


「ぐぇ……」


「ニカイドウ」


 二階堂の腕に収まった女は華奢きゃしゃだった。


「――なんなんだ、どうしたんだ? なにかあったのか?」


 なにかを、身振り手振りで伝えようとするアノマリア。でも分からない。二階堂は首をかしげた。


「なんだと思う、ロンロン」


『彼女の視線はガウスライフルに注がれているようだ』


 ロンロンに言われ、ガウスライフルを持ち上げて見せた二階堂。するとアノマリアはそれを指差してうなずき、下手くそな射撃姿勢をとって見せ、ウニの方を向いた。


「……これを撃たせろって? いやいや、そりゃ無理だ」


 首を横に振った二階堂。それを見たアノマリアはぷんすか。


 頬を膨らませてお怒りの表情を浮かべ、今度は地面から何かをつまみ上げるような仕草をし、そこに狙いを定めて見せた。


「何かを……狙ってほしいのか?」


『私もそのように解釈する』


 アノマリアが二階堂の背後を指差した。それを追って彼が振り返った時、肩に激痛が来た。


「かぁ……いっっって……」


 肩に手を当てて顔をしかめ、うずくまった二階堂。それを見たアノマリアは「アッ」と声を上げて二階堂の横に膝立ちで移動した。


 彼女は手が血で汚れるのにも構わず、その傷口を、二階堂の手の上からそっと押さえた。


 繊細で柔らかく、温かい手だった。


 二階堂は困惑し、次に驚愕した。


 突如として地面から七色の粒子が大量に湧いたと思ったら、それが液体のように自分の身体にまとわり付きながら上ってくる。全身がその光に包まれた直後、その光は肩の傷口に収束し、そして痛みが消えた。


 二階堂はその間、アノマリアの瞳に釘付けになっていた。


 彼女の真剣な眼差まなざし。その濡れた瞳に七色の光が写り込み、キラキラと光が舞い踊る。まるで宝石が彼女の目から湧き出しているようだった。


 光は収まった。


 二階堂はまさかと思い、恐る恐る肩を小さく回してみたが、動きを妨げる痛みは来なかった。


「なお……った?」


『出血は止まった。おったまげだ』


 らしからぬ感想を漏らしたロンロン。


 ちょんちょんと肩をつつかれて二階堂が顔を上げると、アノマリアが手招きをしながら、こそこそと向こうに歩いて行く姿が見えた。


 二階堂が素直に彼女の後ろについて行くと、やがてアノマリアは中庭が見える場所で伏せた。二階堂もその隣で伏せる。


 アノマリアは伏せったまま床の縁から中庭を覗き込んで、あっちあっちと何かを指差した。二階堂がその視線を追ってみるものの、巨大なウニしか見えない。


 二階堂は眉根を寄せてアノマリアを見た。すると彼女は、もーっとでも言い出しそうな顔になって、身体を二階堂に寄せ付け、頬がくっつかんばかりに顔を近づけると、もう一度、指差して見せた。


 指先を追って視線を飛ばした。やっと、言わんとすることが分かった気がした。


「あの……青い柱か?」


 ウニの身体から無数に生えたとげの矢。そこに混じって、明らかに異質な、太くて青い、キラキラ金色の光の粒を含んだ、角ばった柱が垂直に飛び出していることに気が付いた。


「どう思う、ロンロン」


『あれが急所だというのが都合のいいストーリーだが、一方であれがウニを拘束するかなめで、破壊した途端に自由に動き回り始めて収拾がつかなくなる、という線もある』


「そういう線もあるのか……」


 ロンロンの披露した推理に素直に感心した二階堂。ふと隣を見ると、ぐっと親指を立てて笑顔のアノマリア。


『牢屋に入れられていた、とも取れる人物だ。あとは君次第だ、カオル』


「残り時間は?」


『残り二十秒』


 二階堂は黙考する。


 しかし考えに足る材料はなかった。


 そこでもう一度だけ、アノマリアを見る。


 彼女の無邪気な笑顔には、これっぽっちの悪意も見て取れない。


 二階堂は、そんな彼女の瞳に、夫と死別した寡婦かふ物寂ものさびしさと、少女の爛漫らんまんが同居しているような、そんな女の奥深きを垣間見た。


 伏射ふくしゃ姿勢を取ってスコープを覗き込む。


 二階堂の意思に従ってズーム倍率が調整される。


 スコープのど真ん中に青い柱を捉えた。


 耳をつんざく射撃音と共に弾丸は飛んだ。


 ピシィッと音を残し、青い柱の表面に針ほどの穴が開いた。そこから走ったヒビが柱全体に伝搬すると、直後、青い柱は内部から粉々にぜた。


 その破片を、追って吹き付けた衝撃波が散らしていった。


 するとほとんど同時に、金魚鉢を銃で撃ち抜いたように、ウニの全身が砕けた。黒い肉と半透明の体液を盛大に中庭にまき散らし、沈んでいく。


 瞬時に出来上がった黒い池。それは激しくかき混ぜられて高い波が立っていた。酷いヘドロと有機溶剤の匂いが漂ってきて、二階堂は顔をしかめた。


「――やっ、たか」


 二階堂の全身から緊張が抜けた。


 ほっと溜息をつきながら隣を見ると、アノマリアが耳を押さえて、いーっと顔を歪めていた。


 目に飛び込んできた思わぬ光景に、二階堂は小さく吹き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る