第4話 公共交通機関という概念

「乗合馬車、ですか…?」

 ロイゼンの元を訪れ、構想を話した際の第一声がそれだった。


「そうです。この街は歩くには分かりにくいですし、かと言って放置していたらいつか観光客にも愛想を尽かされかねません。ですから、先程話した乗合馬車を整備しようというのです」

 ラエルスが説明しても、ロイゼンや他の街の責任者たちは首を傾げるばかり。


 当然ではあるのだ。そもそも公共交通機関が無いこの世界で、まずそれを理解してもらう方が難しい。馬車でさえ縁が無いのに、金さえ払えば誰でも乗れる馬車というのは、あまりに斬新すぎるのだろう。


「話は分かりましたが、しかしそれではいろんな人たちの職を取ってしまいませんか」

「案内人や貸し馬車屋ですか」

「それだけではなく、露店をはじめとした飲食店や雑貨店は歩く人たちを目当てに店を出してますし、宿屋も案内人の紹介によるところが大きいのです」


 何かズレてるなと思いつつ、ラエルスはその人たちの救済案も提案する。

 案内人はそのまま観光案内に、そもそも乗合馬車には馬車が必要なわけで、それは貸し馬車屋の物をリースしてもらえば良い。貸し馬車屋が運行してもいい。行政のコミュニティバスをバス会社に委託して運行しているようなものだ。


 飲食店や雑貨店、そして宿屋は、乗合馬車の中にチラシを置けばいい。最初は売り上げが落ちるかも分からないが、そもそもどこに何の店があるかわかっていて利便性が高まるのならば客は増える筈だ。


「収益は見込めるのですか?話を聞いた限り、大きい宿屋や飲食店に出資してもらうような雰囲気でしたが」

「それについてはこちらを…」

 そう言ってラエルスは、昨夜のうちに簡素ながら作っておいた表を差し出す。


 この国の一般的な通貨はルーク硬貨と呼ばれるもので、安い方から石貨、銅貨、銀貨、金貨、白銀貨が存在する。それぞれ100枚ずつで繰り上がっていき、日当は銀貨8枚前後が妥当だという。石貨80000枚相当と考えると、概ね日本円の10倍と考えれば覚えやすい。石貨10枚で1円だ。


 なお硬貨の上にはルーク紙幣が存在するが、こちらは額が大きすぎる為にあまり一般的ではない。


 馬車は12人乗りの大きい物を用意し、取り敢えず運賃は1回の乗車辺り銅貨20枚200円とする。


 ルートは2つ。リフテラートの入口となる街道の門の前を起点に、宿屋街と港で陸揚げされた魚を売る市場、夏は海水浴場にもなる海岸に商店の集まる中心街を通る環状線。

 もう1つは、外郭の方に集中している家々を起点に中心街を通って市場やリフテラート漁港へと至る通勤線だ。


 環状線は日中を中心に運行し、通勤線は朝夕をメインとする。

 その他にも定期券や一日乗車券、街の飲食店と連携した企画乗車券など半ば暴走気味に色々考えてはいたが、今言っても理解してもらえないだろうしそれは上手く行ってからの話だ。


 買い付ける馬車は6人ずつ向かい合わせで乗れる12人乗りのものを2台、それぞれの路線に1台で予備は運行を委託する貸し馬車屋の大きい馬車で代用する。商人の使う大きな馬車が1台辺り金貨50枚500万円程度だそうなので、馬車の調達に白銀貨1枚1000万円


 御者は6人を雇い、それぞれの路線に2人で1日4人。週休2日ならこれで足りる。ちなみに週休2日だと言ったらまた全員に驚かれた。ブラック労働ダメ、ぜったい。


 とまぁ人件費やら維持費、馬車の耐用年数や税金やら何やらを加味して、1日辺り260人程度が利用するとして20年もあれば十分元が取れるという計算になった。一般的な事業としては平凡的な所ではないだろうか。


 もっとも経理には疎いので、あくまで素人計算。経理担当を雇う必要もありそうだ。


「20年とは…ずいぶん先の長い話ですな」

「博打的すぎませんかねぇ」

「リフテラートの人口は大体2万少しぐらいなので、利用人数だけで見れば現実味はありますがなぁ」


 計画を話すと概ねこんな感じの否定的な意見が返ってきた。それも道理だ、この世界に初めて持ち込む公共交通という概念なのだ。受け入れるのに時間がかかる事ぐらい想定済みである。


「面白そうではないですか。世界を救った勇者ラエルス様が持ち込む企画と聞いて内心で期待はしていましたが、そんな大層な事を考えていらしたとは」

 そんな声を上げたのは、リフテラート観光協会の理事長であるカルマンだ。


「しかしカルマン殿、国の公共事業でも初期投資を回収するまでに20年というのは聞いた事がありません」

「ロイゼン殿、それを言い出したら乗合馬車自体、世界の何処の国でも聞いた事がありませんぞ」

「それはそうだが…」

「前例の無い事なら試してみれば良い。ダメならこれが間違いだったと知る事が出来るわけだ」

「む…」


 カルマンがそう言って丸め込むと、今度はラエルスの方を向いた。

「ラエルス殿、1日260人程度の想定と言いましたな」

「はい」

「もし良ければ、その根拠をお聞かせ願いたい。私が思うに、かなり低く見積もっているように見えるが」


 まさにその通りなのでラエルスは驚いた。

 本格的な時刻表は組めないので暫定的な時刻表を作ったところ、環状線は9時から19時まで1時間間隔で1日に11便、通勤線は市場関係者の利用も想定して朝6時から30分〜1時間間隔で、1日に34便、17往復を考えていた。

 すると計45本走るのに対して想定は260人、単純計算では1便平均5.8人だ。


 その数字だけ見ると定員の半分弱を見込んでいるので妥当な線だが、この馬車は街と街の間を結ぶ駅馬車のような2点間輸送では無い。

 1回の運行で5.8人乗車ならかなり少ない方なのだ。停留所を幾つか設け乗客が乗り降りする度に石貨20枚を払うのだから、常に半分の乗車率で回るのならば1運行あたり10人は乗ってもおかしくはないのだ。


 しかしこの世界に初めて持ち込む公共交通という概念が定着するかが不安だったので、ラエルスはあえてかなり少ない数字で試算した。

 それをこうもあっさり見抜かれるのだから、このカルマンという男はなかなかのものだ。


「いや全く、その慧眼には恐れ入りました」

「はっはっは。ラエルス殿の戦いぶりはこのリフテラートにも聞こえてきておりましたが、あなたは知将と聞いております。ならばこの計画とて、無鉄砲なものではありますまいとは思いましたよ」

「ではカルマンさんは…」

「えぇ、私は賛成です。この乗合馬車が、新たな街の発展に繋がる事を期待しております」


 ありがとうございますと頭を下げながら、ラエルスは計画が確かに一歩前進したのを感じた。

 だが街の重役が納得しても次は飲食店や宿屋の代表を説き伏せ、更には出資も募らねばならない。まだまだやる事は盛り沢山だ。


 *


「後は案内人とその大元の宿と交渉しなきゃなんだよなぁ」

「案内人は何人いればいいの?」

「環状線の方だけいればいいから3人でいいんだけど、どうせなら全員に許可をもらいたいんだよね」

「一部だけだと後で揉めそうだしね」


 ラエルスは街の大衆食堂でグリフィアと狼兄妹と作戦会議をしながら、次の予定について話していた。

 一応与えられた爵位は侯爵でも、気分は冒険者のそれと変わらない。国中の美味を厳選し美しく彩られた料理よりも、街の銅貨50枚500円も出せば腹の膨れる量だけは多い料理を食べている方が性に合っている。


 どの街にもある大衆食堂は、確実な情報を提供してくれる冒険ギルドと違って、市井に流れる噂話や未確認情報に接するいい場所だ。そして時に噂話ほど、真相に近い事もある。

 その辺を分かっているベテランの冒険者ほど、ギルドより大衆食堂の情報に重きを置くのだ。


 そんな訳で出てきた魚料理をみんなで突っつきながら話していると、1人の女性がおもむろにラエルス達のテーブルの空いている椅子に座った。


「ジークにルファじゃないの。何やってるんさこんな所で」

「ミノさん!」


 話しかけてきたのは狼兄妹と同じ獣人の女性で、2人の知り合いのようだ。


「どちら様?」

「小さい頃から良くしてくれた近所のお姉さんで、今は街で旅館をやってるんです」

「その人がルファ達の言ってた"御主人様"かい」


 ミノと呼ばれた人は品定めをするかのごとく、ラエルスとグリフィアを上から下まで見回す。


「私はミノ、この2人とは昔馴染みで色々と世話した間柄さ。さて、あんたらは?」

「あの、はじめまして。グリフィアと言います」

「同じくラエルスと申します」

 魔王やその配下なんかが放つような覇気とはまた違う何かになんとなく気圧されて、2人はおずおずと自己紹介をした。


「ふーん、グリフィアとラエルスねぇ…」

 ミノはそう言うと、次に何かを思い出したかのように目を見開いた。


「ん?ラエルス?とグリフィア?ってもしかして…」

 そう言うなりガタッと席を立つ。周りで食事をしている客の目線を一斉に集めたが、ミノはそんな事を気にしてる余裕は無かった。


「勇者ラエルスに魔弓使いのグリフィアかい!?」

 絶叫にも似たその声に、周りからもガタガタっと音が聞こえてきた。そんな反応に2人は思わず苦笑する。

 このぐらいの事なら旅先でもいくらでもあった。名前が知れてきてからは特にだ。電信技術や写真が発達してないこの世界では、どれだけ有名人だったとしても名前だけが知れ渡っていき顔は分からないという事が結構多いのだ。


「し、失礼しました。まさか魔王を討伐したって人がこんな所にいるとは思わず…」

「いえいえ、畏まらないでください。一応このリフテラートを含めた一帯の領主という事で赴任しましたが、だからどうってわけではないので…」


 ラエルスが領主という単語を口にした瞬間、再び食堂内の空気が変わった。

「ラエルス、様、が、ここの領主なんですか?」

 ミノが何か含みのあるような声でそう聞いた。そうだと答えると、大きくため息を吐いた。

「ラエルス様がここの領主かぁ、良かった。前のような事は無さそうだ。そうだろみんな!」

 ミノが周りの客に言うと、客達もそうだ!これで安心だ!と口々に叫ぶ。


「あの、前の領主の時代に何があったんですか?」

「先代の領主がなんでここを追放されたか知ってるか」

 ミノの言葉に国王から領地を拝領した時の事を思い出す。確か、魔王軍側に内通したとかいう話だ。


 その話をミノにすると、おもむろに首を振った。

「確かに追放の決め手になったのは内通だが、それだけじゃない。炭鉱があるって話は聞いたか?」

「石炭の炭鉱があるとか」

「そうだ。産出された石炭を軍に売り利益を全て自分の懐に入れたりとか、その一方で私たちにかける税金を高くしたりとかな。言い出せばキリがない」


 これは思った以上に闇が深そうな場所だぞと考えていると、今度はグリフィアが声を上げた。


「それでよくこれまで、国から問題視されませんでしたね」

「領地を振り分けるような担当官に賄賂を渡してたってもっぱらの噂さ。本当かどうかわからんが、まぁ大方本当なんだろうな」


 周りの客もそうだぞとばかりに頷いている。他の客の話もやれ前の領主は税金をむしり取るプロだったとか、自分の屋敷に女を侍らせてたとか、代官のロイゼンさんがあまりに可哀そうだったとか。そんな話ばっかりだ。


 思い返してみればリフテラート自体が王国の中では南の端、最初は港町で貿易港として街が出来たらしいが、あとは景観のみで発展したと言ってもいいぐらいらしい。

 目立つ産業は観光のみ、場所は国の端で街道筋という訳でも無い。石炭鉱山が普通なら主要産業となりえるが、魔法が発達したこの世界では脇役もいい所だ。


 ラエルスとてリフテラートへ行く事を命じられた時点で何となくは分かってはいた。何せ転生する前の趣味が趣味なだけにこの国の都市や交通網は色々と調べてはいたが、その中でもリフテラートは観光業が無ければまさに僻地。

 自分もグリフィアも魔王討伐が出来るだけの実力があるという事は、逆に言えば容易に危険因子にもなりえるという事だ。


 そんな自分がそんな場所に行けと言われたとなれば、これは事実上の左遷なのでは?

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