第17話 後輩ちゃんは、時々信じられないうっかりをする
西暦2134年、6月17日。午後0時13分。
2限の民法物権が終わり、俺は南キャンパスの学食に居た。今日頼んだメニューは、とろーりチーズのオムライスに、わかめサラダ。
ほかほかと湯気を立てる卵はとろーり半熟で、スプーンを入れて持ち上げれば入っているチーズが伸びる伸びる。
卵の布団に潜り込んでいるバターの風味が漂うチキンライスも、単体で行けるほど美味い。しかもこのチキンライス、家で食べるものと作り方が違うらしい。玉ねぎとひき肉を炒めて、ご飯を入れる前にケチャップを投入するのだとか。こうすることで、ご飯がべちゃつかずにぱらぱらの美味しいチキンライスになるのだという。
オムライスを半分ほど平らげたら、次はわかめサラダ。
以前は早坂に野菜を摂れと言われてしぶしぶ取っていたのだが、最近は野菜の美味しさに目覚めつつある。
お椀の中に入っているのは、東京湾で獲れたというわかめと、おおきく千切ったレタスと千切りにした大根と人参。たったこれだけなのに、レタスは瑞々しいし、大根と人参は甘みを感じる。そこにわかめの食感も加わると面白い。
サラダに掛かっているのは和風ドレッシングだが、これなら中華風ドレッシングも美味しいかもしれない。そんな事を考えていたら、あっという間にサラダを食べ終えてしまった。
名残惜しいが、致し方ない。
俺は半分だけ残しておいたオムライスにスプーンを伸ばす。実は、半分残しておいたのには訳がある。それは、ソースだ。
この食堂、オムライスの時はソースが自由にかけられるのだ。つまり、半分ケチャップ、もう半分をデミグラスソースにすることも可能。
味が混ざり合ってしまうのは何となく避けたい派なので、最初にケチャップを半分に掛けて、食べ終わったらデミグラスソースを掛けて食すと決めていた。
厨房にいるお兄さんに声を掛け、ソースを掛けてもらう。
いざ、実食。
結論。オムライスにおけるソースの互換性と、味の変化における幸福度の上昇値と持続時間は、論文を書けるレベル。誰か書いて、ホントに。待ってるから。
# # #
至福の時を終えて、次の授業がある5階の教室に入ると、同じクラスの小田が既に座っていた。特に声を掛けることも無く、隣に座って教科書とノートを広げる。
3限の授業は、日本政治学A。
「努、今日の授業の予習してきた?」
「おう。ノート見るか?」
「いや、俺も予習はして来たから。ただ、第3章~第5章までしかしてこなかったから、その次まで行ったら頼む」
「まかせたまえ」
この講義を受け持っている
全ては、生徒に知識を与えるために。
かっこいいが、授業スピードについていけない新入生には敬遠されている。
小田が教科書にマーカーを引いているのを見て、俺も予習した範囲を確認しようとしたら、腕のプトレマイオスが震えた。
「ん、なんだ?」
「あ、どしたん?」
「トレミーが震えた。多分メールかなんかじゃね」
「かもな。お前と仲がいい後輩ちゃんからだったりして」
にやりと笑ってからかう友人を肘で黙らせ、メール内容を確認する。あて先は、全く知らないアドレスからだった。この時代において、なにかの勧誘は無いだろうと思いながら、一応中身を確認する。
なになに?
《せんぱーい。財布とコペルニクス落としちゃいました。へるぷみー》
《はい?》
はい?
誰だコイツ。いや、この大学内で俺の事を先輩だなんていうのは、後にも先にも早坂しかいない。サークル活動の告知やメルマガ以外で、こんなメールを送って来るのも、早坂しかいない。
だがしかし、だ。早坂はコペルニクスを落としたという。それならば、俺とメールは出来ないはず。なのにも関わらず、俺とメールしているのは早坂だ。なら、コペルニクスを落としたというこいつは一体誰なんだ?
《人違いです》
《ちょっ!? 先輩、本物ですって。あなたの後輩、早坂です。信じて!》
《……俺の好きなアニメは》
《美少女戦記VRの、太ももが眩しいヒロインのフレイアちゃん》
《本物じゃん》
というか、なぜ知っている? 誰にも、親や友人にも明かしてなかったはずなのに。
まさか、ストーカーか。
という冗談はさて置き、メールの内容はあまりにも深刻だ。一旦教室から出て、早坂のメールアドレスと電話番号をアドレス帳から呼び出し、広域量子通信で電話をかけてみることにする。
広域量子通信というのは、一世代前の携帯端末であるアルキメデスから搭載されている通話機能の事だ。ある一定領域内に居る複数の人に同時に電話やメールをしたいときに用いられるが、効果範囲を生かして相手方の端末を探知するという使い方もできる。
これを利用したストーカーまがいの行為も問題になっているから、使いどころが難しいんだけど。
……20メートル圏内に反応なし。
《おい早坂、探ってみたけど、反応ないぞ。お前今どこにいるんだ》
《ぴゃあっ!? あのあの、私、早坂じゃなくて、美来の友達の榊原です》
《ああ、これは失礼しました。申し訳ないんですけれど、早坂に代わってもらえます?》
《はい。――もしもし、早坂です。広域量子通信回線を使ったんですか? それ、逆探知でもされたらどうするんですか?》
え、嘘だろ。なんで怒られているんですかね、俺。非常識だってのは甘んじて受け入れるけれども、だって個人情報の塊を落としたんでしょ?
問題解決の為に、迅速に情報を共有した方が良いんじゃないですかね?
という不満は飲み込み、愚痴をあーだこーだと漏らす後輩を遮る。
《不満は後で。探ってみたけど、範囲内に反応は無かったぞ》
《はぁ、駄目でしたか。私も、交番とか駅に行ってみたんですけど、落とし物は来てないそうです》
《そうか。あれ、じゃあ早坂、校舎に入れないのか?》
《ええ、その通りです。授業に出られなかったし、ホントどうしましょう?》
メールの文面では分かり辛いが、絵文字を一切入れないあたり相当焦ってるな。当然と言えば当然なんだけれども。
よし。ここは、先輩として一肌脱ぎますか。
教室に戻ると、小田が何事かと問いかけてきた。手短に事情を説明して、バッグを手に取る。
「授業は? 欠席扱いにするのか?」
「いや。さっき端末にトレミー翳してきたから、出席にはなってるはず」
「なら安心だな。ノートとレジュメは取っておいてやるから、とっとと行ってこい」
「助かる」
話の分かる友人に背中を押され、俺は教室を後にした。
待ってろ、後輩ちゃん。
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