1−7

 時間は明け方近くになっていた。

 アリーシアは立ち入ることを禁止されていた、一番高い塔に向かっていた。

 塔には簡単に入れた。

 アリーシアは上へ上へと目指して登っていく。

 裸足の足裏が冷たかったが、アリーシアはそれも忘れて登っていった。

(この先に、グレン様がいる……!)

 塔の頂上は、広い石造りの空中庭園になっていた。

 しかし、その手前には鉄格子がなされ、鍵がかかっている。

 アリーシアは鉄格子を掴んで広場を探した。

 広場の端に、空を見上げる騎士姿の青年が立っていた。

 風が彼の黒髪をなぶり、美しい褐色の肌を隠そうとしていた。

「グレン様!」

 アリーシアは叫んだ。

 青年、グレンが振り返り驚愕に目を見開く。

 一瞬グレンは、身を隠す場所を探したようだった。けれど広い広場には身を隠せるような場所はどこにもない。観念して、グレンはアリーシアを見つめた。

 ゆっくりと近寄ってくる。

「どうして、あんたがここにいる」

 第一声は低く、叱責を含んだものだった。

 鉄格子を握り、ガシャンとグレンは揺らす。

 アリーシアは臆せずにグレンを見上げた。

アンカーディアほどではないが、アリーシアが見上げなくてはならないほどグレンも背が高かった。こちらを見つめる瞳は、漆黒で、どこまでも闇を感じさせる深い色だ。

 アリーシアは広場に吹き荒れる風に負けないよう、大きな声でグレンを責めた。

「どうして、どうして教えてくださらなかったのですか? あのときの青年が、貴方様だと……っ! 知っていれば、私は!」

 聞きたいこと、言いたいことは山ほどあった。孤独が溢れ、涙が流れた。

 青年は気圧されたように黙って、苦々しい表情で首を振った。

 アリーシアはなおも言い募った。

「黙っていては、分かりません! 教えてください、なぜ、あなたは国を離れ、私と一緒に来たのですか? しかも、……それを黙って……っ」

 最後は涙で言えなかった。寝間着のままのアリーシアの細い肩が、風で嬲られていた。

 アンカーディア様には大切にされ、幸せを感じていた。

 けれど、今までは故国のことを思い出さないようにしていた。グレンに再び出会ったことで、最後に父母と別れたあの夜を思い出してしまった。

 気づいてしまった今は、故郷に繋がりのある青年が目の前にいるという事実だけが、アリーシアを支えていた。

 アリーシアは、鉄格子を掴み、震えた。

 俯いたアリーシアの上から声が届いた。

「あんたには関係ない。……俺は今、アンカーディアと契約をしている」

 グレンの声は冷徹で、静かだった。

 アリーシアはあまりのことに、見上げることが出来ない。魔法にかかったように、アリーシアはその場で固まった。

「だから、あんたの質問に答えることは出来ない。この姿も、見せるつもりはなかった」

 ぽたりと、アリーシアの涙が自身の手に落ちた。

 グレンの言葉と声は、アリーシアを拒絶するものだった。アリーシアはグレンを見上げ、震える声で訊ねた。

「故郷への……故郷への思いは何も無いと、おっしゃるのですか?」

「ない」

 グレンの返事は明瞭だった。

「俺の主はアンカーディアだ。……もうここへは来るな」

 グレンはマントを翻し、広場へと戻っていく。

「待って! せめて故国の話だけでも……!」

 アリーシアは叫んだ。

 しかしその声は届かず、グレンの姿は変化しようとしていた。

 グレンは漆黒のマントで自身の姿を覆い隠した。

 そこから、マントを引き裂くように尖った鉤爪が現れた。トゲの生えた尾が勢いよく、鞭打つように這い出す。竜の長い首が現れて、口は裂けて太い咆哮を上げる。

 今や黒い甲冑の騎士の姿はなく、漆黒竜が現れた。

 翼を広げて二度三度と風を巻き起こすと、ふわりと空へと飛び立った。

 アリーシアを鉄格子の向こうへ残して。

「グレン様……」

 アリーシアはその場に座り込み泣いた。

 思い返してみれば、この城に来てはじめての涙だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る