霊能力者紅倉美姫18 つららの杭

岳石祭人

第1話 あらまし その1記事


 十二月の頭のことである。雪山で四人のパーティーが遭難し、若い女性一人だけが捜索隊によって保護された。中年の夫婦は各々山中で凍死しているのを発見された。

 問題は山小屋の入り口で発見された男性である。

 入り口は開いたままになっていた。宿泊施設ではなくほんの小さな休憩用の小屋だ。床高も地面に渡された横木に床板が載っているだけで、発見当時、内向きの扉は雪に埋もれて動かなくなっていた。

 死体にも雪が降り積もり、人型に丸く盛り上がっていた。

 そこに、軒から伸びていたのであろう、長い極太のつららが突き立っていた。

 雪をのけると、それは白い肌着を着ただけの男性の胸に深々と突き刺さっていた。

 仰向けの男性は苦悶の末にあきらめたといった顔をしていた。

 出血はほとんど無かった。この「つららのくい」が死因であろうが、男性の体は凍り、傷の割には痛みは感じなかったのかもしれない。

 しかし何故吹雪の極寒の中、男性は裸に近い格好でいたのか?

 保護された女性も薄着の上に防寒着を引っかけたかっこうで、手足がひどい凍傷にかかっていて病院に急送された。

 当時女性は意識を半分失った状態で、事情を説明できる状態ではなかった。女性の衣服は男性の死亡していた山小屋の中に置かれていた。

 一週間の入院で女性はようやく落ち着きを取り戻したが、男性といっしょにいたであろう山小屋で何が起こったのか? 何故衣服を着ずに防寒着を引っかけただけで吹雪の中に飛び出したのか? 記憶がすっぽり抜け落ちていた。

 事件は謎のまま、年を越した。



「この記事なんですがね、いかがでしょう?」

 三津木はページを開いた週刊誌を紅倉に差し出し、横から芙蓉にさらわれた。

 芙蓉はそれを先生に見せるに値する物かどうか冷たい目で検閲した。三津木は芙蓉の保護者ぶりに苦笑した。


 三津木俊作(みつぎしゅんさく)、三十八歳、中央テレビ「本当にあった恐怖心霊事件ファイル」のチーフディレクター。


 所は都内某高級住宅街に広大な土地を占有して建つ広壮な屋敷の応接間。霊能師紅倉美姫(べにくらみき)の住居である。芙蓉美貴(ふようみき)は彼女のアシスタントを勤める女子大生で、ここにいっしょに住んでいる。この広い屋敷に二人の他に住人はいない。

「見せてよ、美貴ちゃん」

 紅倉にねだられて芙蓉は三津木を冷たい目で一睨みして週刊誌を紅倉に渡した。芙蓉は先生に馴れ馴れしい三津木を嫌っている。芙蓉が先生のアシスタントになる以前からの付き合いなので嫉妬もある。もっとも三津木ばかりでなく紅倉に近づく男はみんな敵として見られる。

 週刊誌を受け取った紅倉は眉間にしわを寄せて本を顔に近づけたり離したり一生懸命読もうとしたが、紅倉の視力で白黒の印刷物は判読できまい。案の定紅倉は週刊誌をテーブルに放り投げた。


「で、何が書いてあるの?」

「先月初めに秋田県の取宇美(とうみ)山で遭難事故があったのをご記憶ですか?」

「うーん、あったの?」

「あったんです」

 ちなみに以下の地名、人名は仮名である。取宇美山を地図で捜しても無い。

「四人が遭難して、女性一人だけ保護、あとの三人は亡くなっています。

 内訳はこうです、


 保護された女性は常磐尚美(ときわなおみ)、二十一歳、都内の私立大の学生です。

 山小屋で死んでいるのが発見された男性は山崎忠男(やまざきただお)、二十四歳、都内の商社に勤めていました。

 山中で凍死していた二人は小田辺保幸(おだべやすゆき)三十五歳、小田辺恵美(おだべえみ)三十六歳、二人は夫婦です。夫の保幸は山崎忠男と同じ商社に勤務していました。二人は山形の大学のOBと後輩で、山崎忠男がこの会社に入社したのは小田辺を頼ったようです。二人とも出身は秋田です。妻の恵美は近所のスーパーでパートをしていました。二人には十歳になる息子が一人います。

 ああそれと、常盤尚美は小田辺恵美のめいです。恵美の歳の離れた兄の娘です。


 遭難事故については、ご存じない?」

 紅倉は首を振り、芙蓉も首を振った。三津木は得意げにニンマリして芙蓉にまた冷たい視線を突きつけられた。

「事故の起こったのは十二月一日、土曜日のことです。前日の内に山形のそれぞれの実家に到着し、翌日、日帰りの予定で山に入りました。

 天気は快晴でした。

 三日前に一度まとまった雪が降りましたが、まあ、地元の人間にしたらどうということのない積雪でした。

 取宇美山は横に長い……山形、秋田両県にまたがる山で、登山道もいくつもあります。標高二千メートルと高いですが、それも三つある頂(いただき)の一番高いところで、彼らが選んだのは秋田県側の初心者にも安全な一番緩やかなコースです。

 朝六時に待ち合わせて、七時に登頂開始、十一時三十分に目的の六合目の頂に到着しました。そこで休んで弁当を食べ、十二時十分、下山を開始したところ、天気が激変し、遭難しました。

 当時『冬山を舐めるな』と糾弾する声がありましたが、彼らには酷です。天気は快晴で、天気予報でも一日晴れの予報でした。しかも彼らは冬山登山の服装をしっかりし、ザイルに、念のためスノーフット……カンジキですね、それまで用意していた。常盤尚美が初心者でしたから、念を入れて準備万端整えていたわけです。山崎忠男と小田辺保幸は何十回と取宇美山に登っていますし、小田辺恵美も夫と一緒に数回登っています。それでも遭難して命を落としてしまったわけですから、天気の急変がいかに極端で、激しかったか。これも大げさでなく昨今の地球温暖化の影響でしょうね。地元の登山家たちもこんな天気の激変は記憶にないと言っていましたから。

 天気は吹雪になり、それは激しく三日間続いた。緩やかな登山道でありながらそれでも三日間救助隊が山に入ることが出来なかった。

 四日目の朝になってようやく吹雪が収まってきて捜索隊が登山を開始したところ、ほどなく二合目を過ぎた辺りで半狂乱のていの常盤尚美を発見、保護しました。

 常盤尚美はただちに病院に運ばれましたが、かろうじて気を失っていないだけで、むしろ目を開けながら悪夢にうなされている状態で、とても他の者がどうなったのか聞ける状態ではありませんでした。ひどい凍傷で、手足を切断しなければならない本当にギリギリのところでした。

 昼前には吹雪が止み、本格的な捜索が展開され、やがて四合目の山小屋で山崎忠男が死体で発見され、次いで五合目で小田辺恵美が凍死しているのが発見され、翌日小田辺保幸が登山道を大きく反れた斜面の下の方で凍死しているのが発見されました。

 死体発見の状況から想像されるのはこうです。

 下山を始めたところ急激な吹雪に見舞われた。あまりに激しい吹雪に常磐尚美、山崎忠男のペアと、小田辺夫妻のペアに分かれてしまった。常磐山崎ペアはなんとか四合目の山小屋にたどり着くことが出来たが、小田辺夫妻は吹雪の中立ち往生し、やがて保幸氏が強風に煽られるかなにかして登山道を反れ斜面を滑落、残された恵美さんは為す術もなく座り込み、やがて、残念ながら二人とも凍死した……」

 三津木は話をいったん切り、紅倉の表情をうかがった。

「どうです、先生?」

 紅倉は「ふうーん」と口の中で言った。

「問題になっているのは山小屋の男の人?」

 三津木は嬉しそうに「そうです」と言った。目が嫌らしく輝き、オカルトテレビ番組のディレクターの本性が現れている。

「どんな風に死んでいたか、分かりますか?」

「雪女にでも凍らされた?」

「いやあー、違うんですねえーー」

 嬉しそうに言ってまた芙蓉に睨まれた。

「たしかにね、あるんですよ、現地に雪女の伝説は。それを彷彿ほうふつとさせるような、とても事故とは思えない死に方をしていたんですよ。

 発見されたとき山崎は雪に埋もれていたんですが、その雪をどかすと、なんと、彼の胸にはまるでくいのように図太いつららがグサッと突き立っていたんです! 雪女じゃなくってドラキュラだったんですねえ!」

 調子に乗ってハハハと笑いそうになって慌てて引っ込めた。

「長さ六十センチ、太い部分の直径は十五センチもあったそうです。先端が十センチ、あばらの間から肺に突き刺さって、死因はこの傷に間違いないです。かなり大きな傷のはずですが、出血はそれほどではなかったそうです。傷口にピタッと栓がされていたせいでしょう。ですが肺に血が溢れて、ものすごく苦しかったと思うんですが、目撃者によるとそれほど苦しそうな死に顔ではなかったそうです。

 苦痛には違いないが、すっかりあきらめて死を受け入れたような、そんなわりとすっきりした顔をしていたそうです。

 おそらく低温のせいで感覚が鈍くなっていたんでしょう。不幸中の幸いといいましょうか。

 ところで低温といえば、そのつららですがね。

 つらら……って、ご存じですよね?」

 紅倉はこくんとうなずいたが、芙蓉の方は

「そりゃあ知ってますよ……」

 といささかヤケ気味にぎこちない返事をした。

「芙蓉さんは、実物は見たことがない?」

「あります。……ほんの小さなのだけど……」

 紅倉がちょっと驚いたように言った。

「ふうん、そっか、こっちの方ってつららができないんだ?」

 芙蓉は千葉の出身だ。芙蓉の方こそ驚いた。

「先生はご覧になったことがあるんですか?」

 質問してしまってから芙蓉は失礼を後悔したが、紅倉はあっさりうなずいた。

「覚えているわよ。子どもの頃、冬には新幹線の高架下にすっごい大きい……二メートルくらいもあるつららがにょきにょき生えていたわよ。ぶら下がっているのに生えてるとは言わないかしら?」

 と、紅倉は子どもみたいに笑った。芙蓉は心の中の「先生メモ」に「先生は子どもの頃は視力が良かったらしい」「先生は寒い地域の出身らしい」と書き込んだ。

「まさにそんな感じです」と三津木が言った。

「そんな巨大な……さすがに二メートルはありませんが、一メートルもあるつららが小屋の屋根から生えていたんです。これ、どう思います?」

 芙蓉にはさっぱり分からない。紅倉は

「火はどうだったの?」

 と訊いた。三津木は「さすが先生!」とおだてて芙蓉に説明してやった。

「つららってのは上からしたたってくる水が凍って下に伸びていった物なんです。だからつららができるっていうのは、それだけ上から水が滴ってこなければならないんです。屋根から伸びたつららはふつう屋根に降った雪が溶けて滴ってきた物なんです。これが十センチやそこらのつららなら自然に空気中の水分が固まった物といえるんですが、一メートルもの大きい物となると、それだけの大量の水が、どこから来たのかが問題になります。ちなみに小屋の周りに沢やまして滝なんてありません。

 で、先ほど先生の指摘された『火』ですが、ほんの休憩用の小屋でストーブなどの暖房機はありません。熱を発する物といって、携帯用のカイロしか持っていませんでした。そんな物しかなく凍える体温で屋根の雪を大量に溶かしたとは考えられません。

 これじゃあまるで……ねえ?」

 三津木は悪趣味な笑いを紅倉から芙蓉に向けた。芙蓉は答えたくない。

「やっぱり雪女?」

 紅倉が答えてしまった。

「ですよねー、やっぱり?」

 三津木は実に嬉しそうで腹立たしい。

「しかしこの雪女はバイオレントですねえ、男を凍らせるに飽きたらずつららの杭で突き殺しちまったんですから!」

 紅倉は愛想笑いを見せた後言った。

「で、犯人は雪女だったの?」

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