僕は普通に恋がしたい!

九十九(つくも)

第1話 土御門紬の日常

 朝五時起床。幼いころに母を亡くした僕ら一家では、朝食を作るのは僕の仕事だ。今日はワカメの味噌汁と焼き鮭。後は三つでひとまとめにされている納豆のパックをすべて開け、そこにネギと細かく切ったキュウリを混ぜて、僕、兄、父の三人分に分けて並べる。今日大学生の兄である蛍は、昨日らーめんを食べに行くだかなんだかで弁当はいらないといわれたので今日はなしだ。一人分だけ作るっていうのも面倒で手間がかかるので、僕も今日は学食で済ませてしまうことにする。


 ちょうど並べ終わったときに、青と白の神職が着る衣服をまとった父が外から現れた。優しい顔の四十台のおっさんである。うちは代々神主の家系で、今代で20代目だ。おそらく境内の掃除をしてきたのだろう。落ち葉を焼いたのか、少し体に煙の臭いがしみついている。


 「おはよう、つむぎ。今日もうまそうだな」

 「おはよう父さん。ちゃんと手は洗った?」

 「おっと、忘れるところだった」


 そのまま洗面所へと消えていく父。入れ替わりに入ってきたのは兄だった。

 

 「おはよう弟よ。きょうもかわいいな」

 「きもい。さっさと飯食って大学にいけ」


 今日も弟はツンデレ超可愛いとつぶやきながら座布団に胡坐をかく愚兄。どういう思考回路をしているんだろうか。


 手を洗ってきた父も合流して合掌、食事開始。うん、やはり塩こうじにつけた鮭は味が染みているうえに柔らかくてうまい。


 湯呑を片手に一口飲んでから一息つき、父さんが僕に話しかけてきた。我が家では食事の時は決まって熱い日本茶だ。春でも秋でも、もちろん夏でも。一年中。


 「紬、今日学校から帰ったらお守りの販売所で番をしててくれないか。父さんきょうは町内会があるんだ」

 「夏祭り近いもんね。いいよ。やったげる」

 「すまんな」


 そういって申し訳そうにする父と、味噌汁をすすってから目をかっぴらき、気持ちの悪い顔をする兄。

 

 「紬の巫女服か。興奮するな」

 「黙れ変態。夕飯抜きだ」


 そう罵りながら半分残っていた兄の鮭を奪い取る。そのままもぐもぐしながら父に助けを求めた。


 「というか父さんもなんか言ってよ。このままだと僕、変態に襲われそうなんだけど」

 「うーん。でも、紬が巫女服で店番するとその日の売り上げが伸びるしなぁ」

 「え゛、そうなの?」

 「どうだ弟よ、今度ミニスカ巫女服なんてどうだ。ニーソックスのオプション付きで」

 「死んだら? 今日の皿洗いは兄さんね」

 「うヴぇ! まってお兄ちゃん皿洗いしてたら大学遅れちゃう」


 つぶれたカエルのような悲鳴をあげる兄さんを無視して学校へ向かうことにした。


 普段から行動のおかしいうえに、思考回路に至っては頭のねじが足りないどころか、そもそもねじ穴がないんではないかと思うところであるが、変に律儀な兄だ。多分皿をすべて洗った上にきっちりシンクを綺麗に乾かした上で登校するであろう。


 「お願いだ紬ちゃん。ごしょうだからぁ」

 「気持ちが悪い」

 「我々の業界ではご褒美です」


 だから僕は足元に縋り付いて懇願してくる兄さんを足蹴にして登校することにした。




 天野高校旧校舎独特な古いスピーカーから流れるノイズの混じったチャイムの音。


 長い午前中の授業はこれで終了し、生徒諸君は昼休みというひと時の安らぎを得る。図書館に行くもよし、外で遊ぶもよし、食事もせずにすべてを睡眠に費やすもよしだ。


 当然僕は授業中の頭脳労働により、消費したカロリーを摂取せよと、腹が大ブーイングを起こしている。

 さぁ、ご飯の時間だ。


 「紬ぃ、飯にしようぜ」

 「いいよ、仁司(じんじ)」


 そういって寄ってくる悪友を横目に、机の横に下げているリュックの中から財布を取りだした。


 「紬は今日、弁当じゃないのか?」

 「今日は作ってきてないんだ。だから学食にしようと思って」

 「ええ、紬のだし巻き、期待してたのにな。五限目体育だろ? 着替えてからいかないか?」

 「うん、いいよ」


 そういってから制服を脱いで着替える。といっても短パンと半そでの体操服はもうすでに中に来て着てあるので長袖ジャージ一枚着るだけだけれど。

 着替えている最中は、なぜか僕から人が遠ざかる。特に男子がだ。別に僕は上半身を見られてもなんとも思わないけれど、前の昼休みにこれをやったらちらちらこっちを見る同級生男子と、それを冷たい目で眺める女子という非常に気まずい空間が出来上がったので、制服の中にあらかじめ着てくることにしたのだ。


 この容姿は難儀なもので、整っているといえば整っているのだが、あまりにも母方に似すぎているらしく、どうも一発で僕の性別を当てられたためしがない。

 物心つく前にはもういなかった写真でしか知らない母の面影を感じるこの容姿にはそれなりに愛着があるものの、男子からは割れ物のように扱われ、女子からは男としてみてもらえないのか、マスコットのように抱き着かれと、この美少女すぎる見た目も考え物だよなぁ、と思ってしまう。この間、クラスの女子に(いくら高身長の陸上部エースとはいえ)お姫様抱っこされて連行されたときは心にグサッときた。


 でもまぁ、男の着替えなんてものはすぐ終わる。ぱぱぱっと仁司も着替えて(こっちは上半身裸になっていた)すぐに廊下に出てしまう。


 「僕は学食にするけど、仁司はご飯どうするの?」

 「俺は、ほれ」


 そういって仁司が見せてきたのはでっかいタッパー飯。小食の僕なら半分でおなか一杯になりそうなものだけれど、現役野球部育ち盛りの仁司は足りないようで、たまに購買でパンを購入してかじっているところをよく見る。


 「仁司はよく食べるねぇ」

 「お前、ラグビー部の大将と比べたら、こんなのおやつだよ」

 「あれと比べるのはおかしい」


 学食の入り口でふと、人とすれ違った。


 ただの生徒や先生だったら印象に残らない。そもそも学食に来るまでで、何人ともすれ違っている。


 僕の意識に特別にその姿が強く残っていたのは、その女性ひとがとても、とってもきれいだったからだ。


 ネクタイの色は緑。二年生。先輩だ。


 すれ違いざまにその人は僕にウィンクをした……ような気がした。


 長髪の髪を春風でたなびかせ、角を曲がって視界から消えていく。


 見えなくなっても、僕はその場から動くことができなかった。


 「おーい紬、紬!」

 「え、ああ、何仁司」

 「だから注文、何くんだよお前」

 「あ、そうね、うーん、山菜うどんで」


 思えば、あれは初めての一目惚れだったかもしれない。

 

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