02

 17の冬の話だ。

 家は代々医者の家系で、当然長女の自分もそうあるように言われて育った。別に他になりたいものなんてなかったが、父から家督を継ぎたいとは思えなかった。正直5つ下の愚昧に全てを背負わせ、「夏木」の名前を早々に捨てたいと心の底から思っていた。


「さっちゃんは何処の医学部受験するの?」


 お盆あたりから親戚の視線が何か、何かすごくうっとおしい。


「来年のことはまだ分からないなぁ」


 反吐が出る。医者以外の道は私に無いのか?


さわには東京の私大を受けさせようかと思ってるんだ」


 受けさせる? 笑わせんなよ親父。都会になんて出るつもり無いわ。何でも勝手に決めんなよ。


「お父さんと同じとこ? いいわねぇ。将来はきっと立派なお医者様になるわ」


 ああ嫌だ。嫌だ。見切りつけられて捨てられたい。お前らの期待全部踏みにじって勘当されたい。いや、そうしてくれ。


 自分の周りと同じ道を進むのが嫌だ。

 期待に応えて「いい子ちゃん」を演じるのが苦しい。

「あたりまえ」を打破したい。



 だから予備校から帰ってきて父に言った。粉雪が戸口にまとわりついていた。


「医者にはならないから」


 終始呆然。眉間の皺をいっそう深くさせて一言。


「考え直せ」


 予想はしてた。幻滅もしていない。


 ただ、腹が立った。やるせない気持ちになった。


 引き戸を再びピシャんと開け、雪の街に駆け出した。

 編上げのブーツが泥濘ぬかるみにはまる。キャラメル色のダッフルコートは自分の熱で降り積もる雪を溶かしびちょびちょだ。そもそも傘は玄関先に投げてきた。

 行く先もなく参考書ばかりの鞄を揺らしながら走る。足は数分前歩いてた道を辿る。定期でできるだけ遠く。この街から離れたい。


 息を吸うたびに寒気が気管を刺激する。上手く呼吸ができない。口の中に血が滲んだ様な味がした。


 ──何から私は逃げてるの?

 ──自分は何になりたいの?


 吐息は空と同じ色をしていた。


 電車に飛び込む。忘れていた汗をかき始めた。


 ただ遠く。遠く別なところに行きたい。


 家出がしたかった。


 急に何もかもが嫌になった。

 何も信じたくなかった。


 22時を回った無機質な車内はほぼ無人。暖房の熱だけが自分を暖かく包んでくれた。


 ほら、やっと望んでいたになれたよ。


 ──得た物は虚無感。


 ほら、束の間の自由を謳歌しようよ。


 ──箱入り娘はお外での遊び方を知らないの。



 帰りたくない。帰るにも帰れない。


 空虚に鳴り続ける携帯電話、ナンバーディスプレイに表示される自宅の番号が無性に腹立たしい。


「夏木」のブランドが母さんは可愛いくて仕方ない。

「夏木」の家名は潔白であるべきだと父さんは説く。


 幼い頃から仕事、仕事と私を構ってくれたことなんて無かったじゃない。粗相をしでかしたら父は、祖父は、家の者はと私を通して遠いところを見つめていたのは誰ですか。常に優秀であれと、1番以外を許さなかったのは何故ですか。


 シルバーの携帯をパカッと開き、電源を落とす。


「今日は帰りませんよーだ」


 車窓に映った自分の顔はワガママを聞いて貰えない時の悲しい子供の顔をしていた。


「何泣きそうな顔してんだよ」


 平面上の自分に自問自答。何も答えてくれないのは知っているだろう? 自分が答えを出していないのだから。ああ、虚しい、馬鹿らしい!


「どうする? さわ、次の駅で降りる?」

 ……返事は無い。

「よし、降りて一晩中散歩しよう。不良になろう」

 ……。

「心配するなって。多分一晩くらいなんとか……なるはずだから」

 見切り発車に不安が無い訳じゃない。いや、不安でしかない。

「……意地を張る以外の方法、なんで知らないんだろうね?」

 補導されたら即帰還。小旅行に出かけよう。



 ターミナル駅から2駅目。小さな無人駅に降りた。


 チカチカと点滅気味の蛍光灯は少しだけ不気味。心もとなさげに明かりを灯す自販機でコンスープを買った。


「あったかい」


 そこに沈むコーンをクルクルと弄ぶ。


「これからどうしよっかな」


 思いのほか吹雪いていた。あんまり外に出たくない。


「失敗したなぁ」


 次の電車まであと1時間。これが多分終電。もしかしたら運休もあるかも。今のでさえだいぶ遅れてるみたいだし。

 ……良い子はお家でねんねしてなってか?

 温くなり始めた缶の中身を空ける。下腹部から低い音が鳴った。

 ……お腹空いた。夕飯食いっぱぐれたんだった。

 腹ぺこの体に寒さがいつも以上に染みる。風除け程度の待合室があるだけマシなのだろうか。

 冷え切った顔をマフラーに埋める。


「寒いなぁ」


 空き缶を捨てるのさえ億劫だ。


 1時間で帰る覚悟ができるだろうか? 降りやまぬ雪の中を歩く覚悟ができるだろうか? どちらにしてもタイムリミットは終電、次の電車が来るまでだ。


 うとうとと微睡みながらホームを窓越しに眺める。

 だんだんと大粒になる雪は視界に入る世界を変えていく。私の小さな足跡はもう隠れてしまった。


 ──月のない夜は全てを白く染め直す。


 誰の言葉だったかしら?


 ポケットの中で熱を取り戻した手のひらを握りしめる。


 ──白く、染め直す。


 瞼を閉じる。これからを夢想する。


 反抗するだけじゃ意味は無い。論理に則って夢を探さなくては。……そして、いずれは家を出る。


 外の白が鮮やかに輝いた。


 電車が来た。



 閑静な駅舎に発されたアナウンスは、私が望む上り線では無かった。


 覚悟が急に萎んだ。どうにでもなれ。


 隣席に置いておいた缶をゴミ箱に向かって投げる。

 カコン、カン、カラカラ

 プラスチックのゴミ箱に跳ね返る。


「くそっ! 腹立つ」


 銀色の車体から片手程度の人影を確認。一人を除いては皆一様に改札に向かう。


「絶対誰か見てた」


 向かいから歩いてくるはきっと笑ったりはしないでしょうけど、無性に苛立ちを覚える。

 イヤイヤ立ち上がって転がる缶を拾って今度こそちゃんと


「やっぱり投げるんだ」


 引き戸を開けて中に入って来たらしい。先刻より風が冷たくなっている。


 チッ。お前の独り言全部聞こえてるから。


 顔をあげると先程の男性。いや、マジで誰だよ。


「ごめんなさ……あれ? のどかの友達じゃん」


 のどかは知ってるけど……誰だよ。馴れ馴れしい。不愉快極まりない。新手のナンパですか?


「え? 人違い? 大庭のどか、知らない?」


「のどかは友達。貴方のことは存じ上げません」


 えー、悲しいなぁーとピアスホールの空いた耳朶をいじる。


「俺、のどかの兄貴。何回か家来てたよね」


 言われてみれば。中学の時会ったかも。



「で? ?」



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