第30話 何が最初に欠けていたのか。

 例えば春。

 不安定な季節。自分を失いかける季節。あの、突き落とされた、ふわりと自分が浮き上がり、落ちていく、自分の心と身体が切り離されてしまったようなどうしようもない不安。自分をしっかり捕まえててほしい。捕まえられていれば、ここに居るのは自分ということがはっきり判る。ここで考えて、寒い寒いとつぶやいている自分と、抱きしめられて誰かの手の中に居る自分が同じ自分であることが判る。そうすれば安心するのに。


 例えば夏。ひどく暑くて暑くて、気温が体温を越えてしまうような日々。そんな季節は嫌いじゃない。だって夏は、転がしておいても子供は死なない。それでも、その暑さのほんのちょっとした隙をついて忍び込む涼しさに鳥肌を立ててしまう自分の過敏さに嫌気がさす。ようやく涼しくなりましたね、なんて世間話が聞こえると、馬鹿野郎とののしりたくなる。


 例えば秋。

 次第に冷えてくる夜明け近くに、ふと目を覚ました時のどうしようもない寒さ。誰かが横に居て欲しいと思う。すぐそばの人に触れて、たとえその人が目を覚ますことはなかったとしても。そうすれば、増やした毛布から暖かさが染み渡るまで、しばらくの寒さをやり過ごすことができる。


 季節のせいだ、と思っていた。

 だけど違うんだ、とあたしは今この瞬間、思う。

 ただただ自分は、彼女を求めていただけなのだ。それは彼女の身体であっても、彼女の存在であっても、どっちでも良かった。ただただ、彼女を求めているのだ。

 噛まれる胸の先に、痛みが走る。

 何処にどうつながっているのか、その瞬間、腰から腿にかけて直線的な、軽い痛みが走った。

 手に巻き付けた彼女の髪をあたしはぎゅっと握りしめる。彼女の元にやってきたときより、確かに大きくなっている胸が、その時は特に大きくなっているのだと聞いたことがある。

 確かに胸はいつも敏感だった。きつめのブラを付けている時に、こぼれそうになる胸の、奥をつつく痛み。柔らかな布にも敏感に反応して、その先端が固くなる。

 眠気にも似た感覚に目を閉じると、腰のあたりに甘いだるさがただよう。無意識に敏感になりつつある場所にやわやわと触れられ、ひどく気持ち良いと思っていたら、頭の中のスクリーンには、その度、記憶の中の光景がいつの間にか映し出されている。

 耳にはあのハスキイな声が残っている。意味の無い言葉を繰り返すその声が。言葉自体には意味があるのかもしれないけど、あたしの中にその意味は届かない。

 ただ音として、声が、耳から、三半規管を、くすんだ淡い色の鳥の産毛でくすぐるように忍び込んできて、首すじに、頭に、見つからないかゆみのような、ひどくもどかしい感覚を起こさせる。

 耐えきれなくなって、自分の首筋に指を当てると、そこにはどくんどくんと確かな血の動きが感じられる。

 指が冷たい。首が温かい。自分自身の指の冷たさにぞくりとしながら、これが彼女の指だったら、と埒もない想像を巡らせてしまうのだ。

 そんな、自分の身体が自分の意志を飛び越えて勝手にそんな感覚を呼び起こす時、彼女を知らなければよかった、と思うこともある。


 だけど、それはありえない。


 あの時拾われなければ、あたしは生きていなかっただろう。

 あんな所で見つかることはまず無いとか、そういうことは関係なかった。

 誰かに拾われたからこそ、生きる気力は湧いた。あのまま自然に自分の目を覚ましたとしても、生きる気は起きなかっただろう。

 死のうという積極的な気持ちも起こらず、ただただ、あの血のべっとりとついた白い服のまま、流されて流されて、何処ともしれないところで誰とも知れない自分で、のたれ死んでいただろう。

 自分がそのまま、のたれ死ぬことを可哀そうと思ってくれる誰かが居る、ということを、それまで考えたこともなかった。だから拾ってくれた誰かが居るということはひどく新鮮だった。

 信じられなかった。自分なんかを、とひどく不思議に思えた。

 その事実は、とりあえず「生きない」ということを忘れさせた。

 そしてその相手が、自分を欲した。だからそれにあらがう理由はあたしにはなかった。

 それがどんなものであっても良かったのだ。HISAKAが女でなくて男であっても、あの時点、あの場面では、決して自分は拒まなかっただろう。

 こんなこと言っても、彼女には信じてもらえない。理解してはもらえないだろう、といつも思う。

 それがあの理解力優れたTEARやP子さんでも、自分と似たところのあるFAVであっても同様だ。

 HISAKAには全く理解はできないだろう。

 あたしは信じてなかった。そして今でも信じていない。自分などを無条件に愛してくれる/別に一番でなくともいい者が確かに居る、ということを。


 度を過ぎた謙遜は卑屈だ、とFAVは言う。

 だけど、度を過ぎたというのはどういうことだろう? あたしはその言葉の意味を考える。

 自分に自信が無いのは度を越すと嫌みだともFAVは言う。

 だけど「自信のある」という状態が、あたしは本当の意味で理解できない。

 だから、それがどれだけ不安で、寒々としていて、どうしようもなく不安定な心地にさせるものなのか、どういうものかを知らない人にそうそう言われたくはない。

 それがどういうことか、結局FAVもTEARも判らないのだから。

 彼女達には、自覚しなくても、最初の愛情が、確かにあったのだから。そこから自分で抜け出すことはあったにせよ、確かに最初があったのだ。


 今なら判る。何が最初に欠けていたのか。


 ひどくそれはありがちな理由だ、と思う。

 だけど、ありがちだろうが何だろうが、それはひどく大切なことなのだ。

 最初に、いちばん最初に、無条件で優しく受けとめてくれる手は、あたしには何処にもなかったのだ。

 あたしはそれがなかったということすら知らなかった。それが必要だということも知らなかった。

 「あのひと」は、もしかしたら、どんなものにも実は優しいのかもしれない。本当の所、そんなことは判らない。

 だけど、これだけは知っていた。「あのひと」は、あたしにだけは、決して優しくなかったのだ。


 愛情の無い母親はいない、と一般論が言う。

 だけどそれは嘘だ。あたしは知っている。

 あたしはそのたびに言葉を探す。反論したい。反論したい。だけど、反論する言葉が実に整えられた正論に対して見つからない。例を示すことができない。

 ひどくもどかしい。もどかしい。もどかしくて仕方がない。

 言いたいことがある。だけど言葉が見つからない。舌がもつれて、上手く言えない。通り過ぎる人々は、いちいち聞いてくれる程暇ではない。それこそ首ねっこ掴んで、自分のほうを向かせない限り、誰も聞いてはくれないのだ。


 もどかしいのはHISAKAに対しても同じなのだ。

 彼女は結局そういう意味では、あたしのことは理解できないのだ。

 彼女には彼女の煩悶があるのは判っている。だけどそれは種類の違うものなのだ。あたしにしてみたら、HISAKAの悩みは、全然悩みなどではないのだ。

 何でそんなことで悩むのよ、と時々思う。誰が好きであったっていいじゃない。それがどうしたのよ。

 そしてHISAKAもまた、あたしがどれだけ彼女のことを好きで好きでたまらないのだとしても、それを決して実感しないのだ。下手に理解しているフリで、自分を母親の代わりだなんて考えているから、結局判らないのだ。

 そして自分が彼女の感情を信じられないのと同じくらい、HISAKAが自分の感情を信じられないのが、判ってしまう。

 堂々巡りだ。判っている。言っても、いくら言っても、言葉を探して、言葉を尽くそうと、結局、彼女には通じないのだ。


 だから。


 あたしはHISAKAとの間に言葉が信じられないから。

 その手で触れて。

 その唇を押し当てて。舌で探って。

 触れた肌の温度を、汗の香りを、声の変化を、全て知って。感じて。

 そして判って。抱きしめる手の強さを。

 それがどうしてなのか。あたしはその度に全身で叫ぶ。


 ―――だけどどちらも、それが、届かないことが判ってしまうのだ。


「HISAKA好きよ」


 息を切らしながらあたしはつぶやく。それはHISAKAに言うと言うよりは、自分自身に言い聞かせるかのようだった。


「あたしも好きよMAVOちゃん」

「そうだよね」

「そうだよね」

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