第28話 「温かくしてよ」

「MAVOちゃん… 駄目よそういう目は。その声は。止めて…」


 HISAKAの声がややかすれる。そらしている目は、あたしの方を向こうとしているのに無理矢理何かにそらされているようにもあたしには映る。

 思わず口の端がへらり、と歪む。思った通りだ、とあたしは声を張り上げた。


「どういう目だっていうの? どういう声だっていうの? 何を我慢してるの?ねえHISAKA答えてよ!」


 あたしは手を放す。そして自分のコートのボタンを外す。ややもつれる手がもどかしい。コートを、セーターを脱ぎ捨てて、床のカーペットの上に放り出す。

 一番下に着ていたハイネックのノースリーヴの黒のニットだけになり、そのジッパーをつ、と下げた。胸の真ん中までぱっくりと開けられ、その中にある、ややきつめのブラに支えられた胸があらわになる。

 あたしを知っている人からすると、「意外に大きな」胸だそうだ。ブラに抑えられているけれど、弾けそうな果物のようだ、と誰かは形容していた。

 HISAKAは目をそらしたままだった。だがそこから逃げる気はないらしい。じっと、立ち止まっている。


「ほら見てよ!」


 ぐっ、と手を伸ばして、HISAKAの顔の向きを右手で変える。彼女は逆らわない。そして左手は、開けられたリブニットの襟と中のブラを一度に掴んでぐっと引っ張っている。

 中の肌をHISAKAの視界に入れる。彼女の形の良い細い眉が、軽く歪められた。

 見えたのだろう。「それ」が目に映ったのだろう。

 そうならなくては意味がない。


「MAVOちゃん? それは…」


 声が歪んでいる。


「HISAKA全然最近あたし抱いてくれないじゃない。だからHISAKAじゃないわ。誰だと思う?」

「MAVOちゃん…」


 至近距離で彼女の表情を見つめる。整った顔が歪んでいる。


「ほら見て、見なさいよ!」


 あたしは一瞬身体を離すと、残ったニットをも一気に脱ぎ去る。HISAKAは今度こそ、目をそらそうとする。だが逃がさない。あたしは重ねて言う。


「見なさいよ!」


 するとHISAKAはびくん、と身体を震わせた。

 あまり大きくはない目も一杯に開かれて、糸で引っ張られるように顔はこっちの方を見る。そして目がそこに止められる。

 肩が緩んだブラのその下、首すじ、鎖骨のあたり――― 視線が動くのを確認すると、ゆっくりと上目づかいにあたしはHISAKAをにらみ据えたまま、ストラップに手をかける。


「寒いのよHISAKA。あたし、詞書けるわ。書くのよ。書かなきゃならないのよ。言いたいことはあるのよ。宣戦布告しなくちゃならないのよあたしは」


 そう。宣戦布告だ。あたしがしたいのは、それだった。「あのひと」への。


「だけど寒いの。手先から背中から心臓から頭から足先まで全部寒いの。寒いから、言葉が出てこないのよ。頭が凍り付いてるのよ。誰でもいいのかと思ったわよ。だけど違うじゃないの。どうしてくれるの。あんたじゃないと駄目なのよHISAKA。寒いの。寒いんだから。すごく寒いんだから」


 一息にあたしはそれだけ言った。


「温かくしてよ」


 とどめの一言。


 HISAKAは動けなくなっている自分に本当に気付いたらしい。頭のてっぺんから、足先まで、一斉に。鉄板に乗せられた磁石のように、足が動かないらしい。


「抱いてよHISAKA。そうしたら書けるわ、絶対。あたし書ける。書かなきゃ。書くのよ」


 フロントホックが飛ぶ。胸が、弾けてこぼれる。

 HISAKAは目を瞬かせた。いくつもの、赤い染みがそこに集められているはずだ。無論他の所にも散ってはいたが、そこはまるで牡丹の花の様だった。

 呪縛が解ける。途端にHISAKAの手が伸びた。抱き寄せる。

 そのままカーペットの上にあたし達は転がった。いつになく強い力だった。ピアニストでドラマーの、強い力が、あたしを床に押しつけていた。

 彼女はあたしの胸の牡丹を一つづつ強く追いだした。

 手を自分とHISAKAの間にそろりと差し込むと、あたしは彼女のシャツのボタンを一つづつ外し始める。手は自由なはずだった。だけど時々、耐えられなくなって、手は止まる。HISAKAの長い、ふわふわとした髪に冷たい手を差し込んで、こらえる。

 その時にどう動いたものか、胸には鋭い痛みが走る。噛まれたのか、とあたしは思う。

 ようやくボタンが全部外れる。でも、肩からシャツははずせても、手が自分を掴んでいるから、外すことはできない。


「…こんなに」


 HISAKAのうめくような声が耳に届く。ハスキイヴォイス。あたしの好きな声だ。耳に届く。それだけでひどくくすぐったい。


「こんなに、誰かに、あんたの身体を触れさせたの?」

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