第14話 彼女とあたしの間にある緊張が大きくなっていた。

「私はこの家の同居人だわ」

「それだけ?」

「それだけって… MAVOちゃん」

「ねえマリコさん? あなたがどう言おうと、ハルさんが… HISAKAがあたしを欲しがるのよ? あたしがハルさんを欲しがるのよ? それはあたしとHISAKAの問題だわ。マリコさんにどうこう言われたくない」

「心配しているのよ…」

「心配?」


 くす、とあたしは人の悪い笑みを浮かべた。ざわり、と頭の中で何かが裏返る。

 あたしは言葉そのものに力を加える。歌うように、一つ一つの音に。


「だったら何故? どうして最初に止めなかったの?」


 マリコさんの表情が固まった。


「あの時だったら、まだ止められたわよ? 何ならあたしを拾った時点に戻る?」


 マリコさんは唇を咬む。何かを必死で止めようとしているようだった。

 時は戻れない。戻したくともできないのが時間なのだ。

 もしもそれができるなら、彼女はきっと、あの亡くなった人達を生き返らせるだろう。

 だがそれはできない。

 亡くなった人は亡くなったままだし、あの時彼女達が拾ったあたしは、こうやってマリコさんの前に座っている。

 日に日に彼女とあたしの間にある緊張が大きくなっていた。

 そしてそろそろその緊張は限界に近かった。


「それに」


 あたしは容赦なく続ける。


「どうしてそれをあたしに聞くの? HISAKAじゃなくて」


 彼女は反射的に口に手を当てていた。息を呑む気配が伝わってくる。

 マリコさんは、最初にHISAKAに「許可」してしまって以来、彼女に口をはさんだことはない。HISAKAはこの家の中で、誰の意見も聞くことなく、好きなことをしている。

 立場的に、確かに一番強いのはHISAKAだ。

 だがマリコさんが言えないのは、結局立場の問題ではないのだ。年長者の意見としてすら、マリコさんはHISAKAには言えない。

 それが決して良いことではないことくらい、この頭のいい人には判りそうなものだ。いや、おそらく判っている。だが、その理性より、感情が勝っているのだ。その点についてだけは。マリコさんはHISAKAについてだけは、理性が感情に負けている。

 そして彼女は、自分で一度決めたことに縛られているのだ。

 一度言ったことを、取り消すのは彼女のプライドが許さないのだ。

 もちろん、だからこそ彼女は自分自身に下す決定自体、ずいぶんと検討に検討を重ねて、完璧なものにしてから、と思うのだろう。だが、だからと言って、彼女は万能ではない。

 だがそれはまずい、と気付いた時には既に遅かった。もはやそこからは逃れられないのだ。


「あたし知ってるよ」


 何気ないフリをしてあたしは言い放つ。


「マリコさんHISAKAのこと好きでしょ。ずっとずっとずっと」


 歌うように言い放つ。歌の調子で言い放つ。その声が、目の前の彼女に絡み付くのが判る。これがあたしの最強の武器。


「本当はあたしがHISAKAと寝てるの、すごく嫌なんだ。だけどマリコさんはマリコさんだから言えないんだ。本当はあなたがしたいくせに、されたいくせに!」


 マリコさんは無意識に胸を押さえていた。そこが痛む、とでも言いたげに。

 あたしがこの長いツアーで知ったことはもう一つあった。それがこれだ。何処かのライヴハウスで、そこの支配人が、本当に何気なく言ったこと。


「君の声は、心のすき間を付くんだよ」


 聞いた時には、その意味がよく判らなかった。


「誰にだって一つや二つ、忘れたいのに忘れられないようなことがあるだろう?それと意識してなかったとしても、何かの拍子で思い出さずにはいられないこと」


 それをその支配人は、「傷口」と称した。

 あたしの声は、ある瞬間、そういう傷口の、ほんのわずかなすき間から入り込んで、その傷口を引き裂くのだと言う。


「MAVOちゃん…」


 そして確かにそれは、マリコさんの傷口を的確にえぐったらしい。


「だって本当じゃない」


 彼女は苦しげな表情であたしを見据える。負けないくらい真っ直ぐに、あたしは彼女を見返す。


「本当だとして… 私にどうしろっていうんですか?」

「別に何も」


 あたしは言い放つ。


「結局あたしもあなたも、HISAKAに振り回されてるってのは同じじゃない。どれだけ好きでも全然彼女には通じないじゃない。そりゃそうよ。あのひとは自分と自分の音楽しか好きじゃないんだもの」

「MAVOちゃん…」

「…違うか。音楽と、…」


 あたしは残っていたミルクを飲み干した。もうさすがにぬるくなりすぎていて、ミルク特有の香気が強くなっていた。嫌いではないが、あたしは一息で飲み干した。


「MAVOちゃんは… 私にどうしろと言うんですか?」

「あたしは別にどうしろとも言っていないわ。ただあたしの思ったことを言っただけよ」

「私は… 最初からあなたをここに置くことは賛成できませんでした」

「だったらしなかったら良かった。そうすれば、あなたはずっと平穏な生活を送れたでしょうね。HISAKAと一緒に、穏やかで楽しく」

「ええそうです。壊したのはMAVOちゃんあなただわ」

「そうよ。そしてマリコさん、あなたあたしを好きじゃないでしょ。嫌いかどうかは知らないけど」

「あなた自身は嫌いじゃないです。だけど、あなたの態度には時々苛立っていたことは事実です」

「どういう?」


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