第2話 あたし達の共通の目的は「復讐」だった。

 ある一人の人物に対しての。


 だが、それはひどく曖昧な響きを持つ。

 何をもって「あのひと」に「復讐」できるのか。何が一体一番効果的なのか。まだそれもひどく漠然としていた。

 自分が「あのひと」にとって、ひどく大切な――― もしくは弱点であることは間違いがない。

 何しろ、あたしは「あのひと」の命令で殺されかけた訳だし、そもそもあたしという人間は、法律的にはこの世に存在していないのだ。

 あたしには戸籍がない。

 「あのひと」が出さなかったのだ。

 「あのひと」はあたしの母親である。おそらくそうである。

 実際似た所もある。鏡と、TVの画面に映る彼女を見比べれば判るというものだ。

 どういう理由で彼女があたしの出生を役所に出さなかったのか、そもそもあたしの父親は誰なのか、あたしにはさっぱり判らない。

 ただ物心ついた時には、マンションの一室で暮らしていた。通いのハウスキーパーと共に。母親は朝と、夜遅くにしか帰って来なかった。連日帰らない日も多かった。

 ハウスキーパーは入れ替わり立ち代わった。たいていが実に有能なビジネスライクな人ばかりだった。ほんの時折、あたしに好意的で、時間外労働してくれた人も居たけれど、そういう人は、それが判った瞬間、解雇された。

 おかげで部屋はいつも綺麗だった。食事は冷めていることが殆どだったが整ってはいた。

 だが近所付き合いはなかった。その住んでいたマンションは、新しく、綺麗だったが、妙に人気がなかった。隣近所の物音を聞いたこともない。

 朝学校へ出かける時にも、ゴミ出しをするような人を見かけたこともない。あたしは今現在の、ハルさんの家に住んでから初めてゴミ出しというものを知ったくらいである。

 学校には、朝はスクールバスが来たので、町の人に会うこともなかった。帰りはさすがに自由下校だったけれど、あたしの住んでいた町は、その時間に人が買い物だの何だので出ていることはそうそうなかった。それに、人とすれ違ったとしても、あいさつなど交わさないのが普通だった。見て見ぬふり言うのだろうか? 皆すれ違う人達は、視線をそらしあっていた。


 だからあたしとは、それが普通だと思っていた。


 だがその「普通」の生活は、ある初夏の日に終わった。


 その頃あたしには家庭教師のような人が居た。国立の大学生の青年で「サカイ」とあたしは呼んでいた。呼び捨てである。今から考えれば、それもおかしい。

 彼はハルさんと同じ歳だったと思う。少なくとも高校生の女の子から呼び捨てにされる言われはない。だが「あのひと」は彼をそう呼ぶようにと言ったし、あたしはそれに従った。彼もまた、何も言わなかった。

 彼は優秀な学生であり、車で時々外へ遊びに連れ出してくれる兄のような人であり、あたしにとっては、軽い好意を感じた相手でもあった。


 だけど結局、彼はそのどれでもなかった。


 「サカイ」という名は偽名だった。その時のハウスキーパー達が皆そうされていたように、彼にもまた本当の名があったらしい。

 彼は、初夏のある天気のいい日、あたしを海近くに連れだした。そしてあたしの手首に切りつけ、やや高い崖から突き落とした。

 彼は言った。「あのひと」の命令だと。

 あたしを殺せ、と。

 そしてあたしという存在は彼女の中から完全に抹殺されたのだ。

 だがあたしは生きていた。何故かは判らない。ただ手には、放っておいた時間が長かったため傷跡が残された。もと医者のマリコさんに言わせると、こんな切り方ではそうそう人間は死なないそうである。すると彼はあたしを助けたのかも、とも思える。


 だがそれを彼に訊ねることはできない。彼は彼で、また、消されたのだ。飛行機事故で、消されたのだ。


 同じ事故のニュースを見ながら、あたしとハルさんは、お互いに共通の敵を持っていることを確認した。彼女達もやはり飛行機事故で家族を亡くしていたのだ。事故には不審な点が多かったらしい。

 そしてあたし達は手を組んだ。ハルさんはその時に遺体が見つからなかった妹に関しては、葬式を――― 死亡届を出していない。行方不明のままだ。

 その妹の場所をあたしにあげると言う。

 飛行機事故は、うやむやにされてしまったため、遺族がスクープされることはほとんどなかったらしい。

 引っ越すというのもその辺があるのだろう。生まれ住んだ町の人間なら、あたしが「妹ではない」ということが言えるかもしれないが、他の土地へ越してしまえば。

 お役所仕事の上では、移した住所の人間が行方不明であるか、などということはそうそう判るものではない。

 それがハルさんに言わせると「筋書き」の始まりということらしい。そしてあたし達一人一人が、その筋書きに合った役割を持っているのだと。

 だが役割。あたしにはその自分の使い方が、よく判らない。


「でも」


 だから、口にしてみた。


「あたしはまだ自分のことだってよく知らないのよ。あたしの役割なんて判らない」


 ところがハルさんは、けろりとしてこう答えた。


「あたしだって知らないわよ」

「知らない?」


 思わず問い返していた。


「そりゃそうよ。あたしだってあたし自身のことなんて大して知らないもの」

「そうは見えないけど」


 あたしはやや意地悪く反論する。頭のいい人なのだ。そうそう判らないなんて。


「だってまほちゃん? あたしはつい最近まであたしがドラム向きの人だなんて全く知らなかったわよ」


 そう言えば、そうかもしれない。この人はつい数ヶ月前までは、完全にクラシック専門のピアニスト志望だったのだ。妹がヴァイオリン専攻だったので、一緒にオーケストラでやっていくのが夢だったような人だ。

 そういう人がある日いきなりドラムにはまるというのは、確かに予想ができない。


「別にいいのよ。そんなものは走ってくうちに見つければいいんだから」


 ふうん、ととりあえずうなづいてみせた。


「でも『筋書き』まで曖昧なのは困らない?」


 それは聞きたかった。何せ「筋書き」というくらいなのだ。内容は細かくあるべきではなかろうか。

 ところが彼女はこれまたあっさりと言った。


「要は、最終目的さえ判ればいいのよ」

「目的は復讐よね、簡単に言えば」

「そうよね目的は。だけど最終目的はそれとはやや違うのよ。『ラストシーン』は」

「映画じゃないんだから」


 あたしは苦笑してみせる。だけど彼女の目は笑ってはいなかった。口元だけはきゅっと上がり、面白そうにあたしを見ているけど、決して冗談を言っている目つきではなかった。


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