第13話 彼女は自分が女であることをひどく持て余しているように映った。

 彼女と最初と出会ったのは、ものごころもつかない頃、路上だった。

 俺は母親に手を引かれ、彼女は一人で遊んでいた。

 その頃から、髪は既に明後日のほうを向いていたし、黒い丸い目はきらきらと輝いていた。

 一人で遊んでいる彼女に、俺の母親が話しかけたのが最初だ。だがその時、彼女はその手を振り払った。母は苦笑し、仕方ないわね追っかけておやり、と俺の尻をひっぱたいた。

 俺は彼女を追いかけ、それから遊び仲間になった。

 学校へ行くようになっても、追いかけているのは俺のほうだった。それは行動のことを言っているだけではなかった。彼女は何事においても、俺より頭一つ抜きんでていた。

 男女の差はあったから、重いものを持ち上げるとか、腕力でどうの、というのは別だった。当時から彼女にはそっちの才はあったらしく、スピードと策略に長けていたことは事実だ。

 そしていつも言った。


 そんな差はね、男だ女だってことじゃないのよ、ただの個性よ。


 寄宿舎の食堂で、薄い茶のコップを前に、購買で買ったナッツの袋を前に、俺達はたびたびそんなことを話していた。

 そんなことを話す頃には、俺達はとうにそういう仲にはなっていた。だがそれがいつからだったのか、俺からだったのか彼女からだったのか、どうしても俺には思い出せなかった。

 彼女は男女の仲という奴には、ひどく潔癖だった。少なくとも俺に対して以外、確実にそうだった。

 俺に対してだって、別に奔放という訳ではなかった。許してくれたからいつでも、という訳にはいかなかった。


 お前よく平気だなあ。


 同窓の士官候補生の野郎どもは口々に言った。


 俺には我慢できないよ。一体お前、月に何度させてもらってる訳?


 無論それに答える程俺はデリカシイが無い訳ではなかった。彼女はそういうのをひどく嫌った。

 持て余している、と時々思った。

 彼女は自分が女であることをひどく持て余しているように、俺の目には映った。

 確かにコウトルシュは、女性が多いから、他の星系よりは法律や施設や、そんな建て前の世界が、女性に住み易い社会であるはずだった。だが、それでも彼女にとっては満足できるものではなかったようだ。

 何よりもその肉体が、歳を経るにつれて、地面に縫いつけられるようになってくる自分をひどく疎ましがっていたようなところがあった。

 彼女は自分の非力を個性ということはできたが、生理までをその言葉で片づけることはできなかった。

 他の部分では絶対と言っていい程愚痴をこぼさない彼女が、この点についてだけは、俺に、よくこぼしていた。

 例えば校庭の隅の木陰のベンチ。

 例えば起きあがれずに突っ伏しているベッドの中。

 不機嫌という字を顔に貼り付かせ、繰り言を口にした。


 いいよね男は。痛くもだるくも、体温の変化だって無いんだから。


 俺はそういう時には何も言えなかった。


 楽だよね。服を汚す心配も考えなくていいし、その時だけ身体がだるくなることも、訳も判らずイライラすることもないし、いつも同じテンポで生きていけるじゃない。


 そしてその時期が過ぎると、愚痴をこぼしたことについて俺にごめんと言った。

 嫌なのだ、と彼女は言った。そんなことをつい口にしてしまう自分が嫌なのだ、と。

 無論、俺は気にしていなかった。

 そういうものだ、と母親を見ていれば判った。母親に対する父親の態度を見れば判った。

 それに、その時期ぐらいなものだった。彼女が俺にそういう態度で甘えているのは。

 他の時期はそうではなかった。

 彼女はそういう態度を自分がとるということが嫌いだった。

 そういう態度をとることがある、というのを人に悟られるのはもっと嫌いだった。

 だから俺は、そんな彼女が、ただすやすやと眠っている姿を見るのが好きだった。

 彼女は俺と寝る時にも、神経質に避妊を口にした。士官候補生という身では当然かもしれなかったが、何となく、その時にまで肩に力が入りすぎてしまっているかのようで、ひどく俺は悲しかった。

 そんな俺が時々する表情に気付いたのか、ある時彼女は言い出した。


「私は男に生まれればよかったんだ」


 俺は知っていた。彼女が度々、それは個性だと明言するのは、それが個性でない、どうしても越えようの無いものがあることを知っていたからだと。


「私が男だったらどうする? ミンお前は、私をそれでもこういうふうに好きでいられるか?」


 彼女は細い腕で、俺の肩を掴み、顔を寄せた。

 彼女の手に、俺の髪が触れた。彼女は彼女で、解いた髪が、ゆらゆらと揺れた。

 だがそこに、媚態や何やら、そういった次の行動を迫るものはなかった。

 ただただ、何かどうしようもなく自分の中からあふれ出す言葉を、振り絞っているように、見えた。


「どうなんだ?」


 彼女は俺を問いつめた。


「わからない」


 俺は言った。

 実際判らなかった。

 俺にしてみれば、生まれて、物心ついて彼女を最初に知った時から、彼女は彼女でしかなかった。他の存在であることは想像もできなかった。

 俺は正直に答え―――

 ―――正直な答えだった。

 だが、それは決して彼女の欲しい答えではなかったのだ。

 後になって判った。

 彼女は嘘でも何でも、ただ俺にそう言ってほしかったのだ。


 お前が女でも男でも、俺はお前が好きになるよ。


 だけど俺にはそれは言えなかった。


 そうだよなお前は。


 彼女は言い、実にお前らしいよ、と付け足した。

 それから、表面上は、何ごとも変わらないように、見えた。

 彼女はもともと、あからさまな感情を向ける奴ではなかった。それをよしとしないのだ。特に私情を任務に持ち込むことは厳禁だった。



 彼女はその後、途中参加したアルビシン同盟内部の軍の中で、若いながらも、めきめき頭角を現した。

 それは単に陸戦における指揮の巧さとかだけではない。彼女という人間が、次第に、集団内部で、大きなものとなっていったのだった。

 俺と言えば、彼女が上っていく階段を、階下から見守るしかできなかった。

 確かに脱けた軍には反感もあった。正規軍より、アルビシン同盟の行動のほうに共感もできた。

 かと言って、その内部の地位がどうであろうと、俺はどうでもよかったのだ。

 歯車の一つでいい、という程悟りきれていた訳ではないが、わざわざ指揮権を取れる位置につくために策を用いるのは俺には向いていなかった。だいたい顔に出てしまうのだ。

 だがそうなってくると、彼女と会う時間は次第に少なくなってきた。

 俺は飛行機の整備をしながら、彼女がどんな武功を立てた、とか、どんな地位についた、とかを同僚から聞くことの方が、彼女の口から聞くことより早くなっていった。

 それでも彼女とは全く切れた訳ではなかった。ほんの僅かな休息の合間、たまたま時間が合った時に、会ったりもしていた。

 だが俺には彼女の考えはもう判らなかった。

 彼女もまた、俺に隙を見せることはなかった。

 それまでの俺達にとっては、その行為そのものよりは、ただそこで、二人で居ることのほうが大切だった。

 だが、もうその頃にはそうではなかった。

 身体は気持ちがいいのだ。それは判った。昔よりも何かに取りつかれたように俺にしがみつく彼女、その手の力の強ささえも、以前とは違っていた。

 だが、それだけなのだ。

 無防備に寝顔を見せるようなことはなかった。

 事が終わると、すっきりしたとでもいうかの表情で、さっさとシャワーを浴びて着替えて出ていった。そして俺は俺で、そんな彼女に、昔よりも強く感じていた。

 結局お互いがお互いの、性欲処理に当たってるかのようだった。

 彼女は変わった。そして俺は変わらなかった。

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