第7話 策略かもしれない

 繭墨乙姫の優秀さは、まず入学式で明らかになった。新入生あいさつは入試の成績トップの者が行うという、暗黙のルールが存在するからだ。


 あいさつの中身は誰も覚えていなくとも、その存在は多くの生徒の印象に残る。あいつは自分よりも上だったのか、と感心されたり値踏みされたり、良くも悪くも注目を浴びてしまうのが、新入生総代という立場である。


 そのあと、数回の定期テストを経てもなお、繭墨の評価が落ちることはなかった。うちの高校ではテスト結果を廊下に張り出すような制度はないが、彼女が常に平均95点前後を叩きだしているらしいことは、風の噂で流れてきていた。


 成績優秀者であることに加えて、凛とした容姿や、壁を感じる敬語なども相まって、『とっつきにくい孤高のお嬢さま』のイメージが定着してしまっているのが、繭墨乙姫という女の子だった。



 そんな彼女が今、向かいの席でギギギと音が聞こえそうなくらい歯噛みしている。


「どうしてあの二人は来ないんですか」


 今日はテスト対策ということで、学校の近くにある市民図書館で勉強会をおこなう予定になっていた。しかし、約束の時刻を30分近く過ぎた今もって、集まっているのは僕と繭墨だけだ。

 僕は直路に、繭墨は百代に、それぞれ何度か連絡を入れてみたものの、一向に返事は返ってこない。


 これはよくない状況だ。


 僕が誘いに乗ったのは、あくまでも4人での勉強会という話だったからだ。男子と女子で二人きりとなると、まるで勉強の名を借りた放課後デートではないか。


 たかが勉強会ごときで意識しすぎだと笑われるかもしれないが、非リアは異性と接するときは常に極端なのだ。


 この子は僕が好きなのではないかと気が早いこと風のごとし、顔に出ないようにと気配を殺して静かなること林のごとし、勘違いに気づいて羞恥心に侵略されること火のごとし、あまりの後悔によってもう恋なんてしないと感情が動かざること山のごとし。高校生活という戦国を乗り切るマニュアル、非リアの風林火山である。


「……百代さんって普段から勉強してるタイプ?」

「いいえ、進藤君と同じタイプですね」

「ギリギリになって一夜漬けのポイントを教えろとせがんでくるタイプってことか」

「だからこそ早めに試験勉強を始めた方がいいと思い、この場を設けたのですが」

「ああいうタイプを勉強させるために必要なのは、理屈じゃなくて危機感だよ」

「同感です」


 ノートにペンを走らせつつの雑談が途切れ、僕はとうとう、ある予感を口にした。


「……百代さんの策略かもしれない」


 こちらのつぶやきに反応して、繭墨が顔を上げた。シャープペンの先端でとんとんとノートを叩き、苦々しげに唇を結ぶ。


「わたしも、同じことを考えていました」


 百代は繭墨を推していた。

 僕に向かってことあるごとに、〝いい子だよ、おすすめだよ〟とお見合いおばさんのようにグイグイとアピールをするのだ。

 しきりに繭墨をほめたり、僕と席が近くなるようにしたり――その手の小細工には気づいていた。それに――


「球技大会の一件が効いてるのかもね」


 腕を痛めた繭墨を気づかい、元エースに絡まれた繭墨をかばった僕の行動を見て、恋愛脳気味の百代は勘違いしてしまったのだろう。あれらがお節介を加速させてしまったのは間違いない。


「まったく……、忌々しいことです」

「言葉が強いよ」

「曜子だけならともかく、進藤君も一緒になって、わたしと阿山君はお似合い、という話に持っていこうとするんですよ?」

「ああ、それはきついね……」


 僕はやんわりと同情した。意中の男子とその彼女が一緒になって、眼中にない男子のことをお似合いだと囃し立てる。それは精神に対する拷問だ。もっとも、繭墨の場合はみずから拷問部屋へ飛び込んでいるので、かわいそうと思うよりも痛々しさが先に立ってしまう。よせばいいのに、という気分だ。


 繭墨は目を伏せて、深いため息をついた。先ほどからノートの余白が埋まっていない。感情のコントロールが上手そうな彼女も、色恋が絡むとバランスが崩れてしまうらしい。


 僕はある意味、恋愛から逃げだした人間だ。

 だからかもしれない。

 他者の恋愛に割って入ってでも、それを得ようとしている繭墨の動機に、興味がわいてしまったのは。


「直路のどういうところが好きなの」

「……それを聞いてどうするつもりですか」


 繭墨は眉をひそめて、じっとこちらと目を合わせてくる。僕はほんのわずかに目を逸らして、彼女の鼻先あたりを見ながら応じる。


「繭墨さんのこと、最初は断固として止めるつもりだったけど、情状酌量の余地のある動機だったら、少しは考えが変わるかもしれない」


「卑怯な言い方ですね。……でも、同情を引くというのは、なるほど、作戦として悪くないのかもしれません。弱者のように振る舞うのはあまり得意ではないのですが」


 控えめなことを言いつつも、繭墨はいくらか元気を取り戻していた。僕の提案に面白みを感じたのか、それとも直路を想うだけでそういう表情になるのか、シャープペンを机に置いてうっすらと笑う。


「……進藤君がわたしを助けてくれたのは、実は二度目なんです。一度目は、1学期のクラス委員決めのときでした。わたしはこのように押しが弱そうな外見なので、かしましい女子グループから委員を押し付けられそうになったんです」


「押しが弱そうな外見?」


「何も決まらない状況が長引き、この問題をとにかく早く片付けたい、という雰囲気がクラスに蔓延まんえんしていきます。誰でもいいからさっさと手を挙げてくれという無言の圧力に押されて、やがて推薦という愚策ぐさくが通りました。その矛先がわたしに向けられて――」


 ――嫌がってる子に無理やり押し付けるのってどうなんだ?


 直路はそう声を上げたのだという。


「彼の言葉よって、推薦へ傾いていた空気は押し流されました。といっても対案がないので、生徒だけでの自力決定は長引き、最後には担任の先生が口を出して、強引に各委員を割り振っていったのですが」


「あいつのすごいところだよね」


 大勢の前で自分の意見を言えるのは、その意見が正しいから、ではない・・・・

 否定されても揺るがない自信を持っているから、自分の意見を押し通せるのだ。


「わたしは自分にないものに憧れます。小賢しい企みや、わずらわしい空気を一掃する、清々しい力強さに」


 繭墨は極上のスイーツを口にしたかのように表情をほころばせて、言った。


「だからわたしは、進藤君のことが好きなんです」

「へえ……」


 としか答えようがない。茶化すような空気ではなかったが、ほだされるわけにもいかず、僕はあえて彼女の想いに水を差す。


「でも、現状じゃどうにもならないんじゃないの」

「まだ時間はあるので、焦り過ぎないように行きますよ」

「時間? タイムリミットがあるの?」

「はい。クリスマスまでには決めたいところです」

「意外と俗っぽい期日設定ですね……」

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