地味姫、婚約破棄を決意する

こんな泣き顔で、いったいどこに行けばいいというのか。


さっき皆が集っていた王宮のサロンに近いところでは、誰かと鉢合わせるかも知れない。わたくしは扇で顔を隠し足早に廊下を抜け屋外へと走り出た。たった今走り出た王宮に並び立つのは、騎士棟と鍛錬場。そして少し奥に魔術師棟と菜園、さらにその奥に見事な庭園があった筈だ。


庭園や菜園は人が多い。それに騎士塔や鍛錬場の近くは、鍛錬のためにあちらこちらへと移動する騎士の方達に出会ってしまうかも知れない。騎士の方達は皆紳士的な教育をされている。泣いている女性を放っておくことなどできないだろう。ある意味危険地帯だ。


ハンカチで涙を拭って空を見上げたら、魔術師棟が目に入った。


あそこなら、大丈夫かも知れない。自然と足が向く。魔術師棟の方々は研究室にこもって自らの研究に没頭しているから、互いに滅多に顔を合わせないのだと聞いたことがある。他人に無関心だとも。重要な研究が為されているであろう上階は入ることができる人間も限られているが、一階なら自由に入ることが出来たはずだ。


足早に魔術師棟の中に駆け込むと、わたくしは一目散にトイレの中に駆け込んだ。


ああ良かった、噂どおり誰とも会わずにすんだ。以前、妃教育の一環で王宮の各棟を見学させて貰った折におおまかな配置がうっすらと頭に入っていたのが良かったんだろう。


ひとしきりトイレの個室で涙を落とし、気持ちが落ち着くのを待つ。


思い出すまいと思うのに、さきほどの皆の言葉、ヘリオス様のイラついた声が頭の中をめぐってとまりかけた涙が何度も何度も復活するのに辟易する。


わたくしは、どうやら自分が理解している以上に傷ついているようだった。


馬鹿だわ。泣いていたって物事は解決しない。


わたくしは涙を落としながらも、今後自分がどうすべきかを一生懸命に考える。


確かにわたくしは、これまで妃教育に熱心に取り組んできた。ヘリオス様のお役に立ちたかったし、お父様、お母様はもちろん、陛下や皇后様も、わたくしが頑張ればとても喜んでくださったから。今や教えることはないと過ぎたお褒めの言葉をいただけるまでになったけれど、ある意味これは努力すれば誰にでも身につけられるスキルだ。


一方、マリエッタの美貌や人を惹きつける力は天性のもので、わたくしが如何な努力をしようとも、身につけられるものでもないだろう。そう考えれば、優劣など決まり切っている。


マリエッタが妃教育を受けてその知識をもったとき、きっとわたくしなど足元にも及ばない影響力を持つに違いない。その上今の時点でも、マリエッタなら微笑むだけで男性を鼓舞できるというのだから、その力は絶大だ。


落ち着いて考えてみると、先ほど殿方たちが話し合っていた内容にも賛同できる。


悲しいけれど。


確かにマリエッタの方が妃に相応しい。


あの時サロンにいたであろう皆の顔を思い浮かべ、また少し涙が出てしまった。共に将来ヘリオス様を支えていこうと誓ったのに。難しい外交案件にどう対処すべきか議論を交わした事も一度や二度じゃなかった。


仲間だと思っていたけれど……わたくしはヘリオス様の妃として認められていなかったのだと突きつけられた想いだ。


そして、ヘリオス様には申し訳なさしかない。もっと早くにヘリオス様の思いに気がついていたなら、こんなに熱心に妃教育に取り組んだりしなかった。



「そんな事を進言してみろ、下手すれば僕の方が廃嫡されるぞ」



自嘲めいた笑いを漏らしてそんなことを口にしていた。


ヘリオス様から進言できないのであれば、わたくしが動くのが一番だろう。そうすれば、これから国を担うことになるであろう誰にも傷がつかない。


さりとて、わたくしからヘリオス様……殿下との婚約を破棄したい旨を伝えるのはそれなりにハードルが高い。お父様もお母様も、そんな不敬なことはできないと首を横に振るだろう。わたくしもそんな無理を両親にお願いする気にはなれない。


わたくしは、決意した。


ひとつだけ、誰にも迷惑をかけずにこの問題を解決できる術をしっている。その方法にかけてみよう。


そう決意が固まると、ようやく涙が収まってきた。わたくしにも出来ることがある、それさえ分かってしまえはあとはその目標に向かって動くだけだ。泣いているだけよりもよほど建設的だ。


涙を拭いて、鏡の前で顔を整える。


もう、泣かない。


泣くのは方針が決まるまでといつも決めている。鏡の前で自分の顔を睨み付ける。鼻と目がまだ少し赤いけれど、歩いているうちに収まるだろう。もう、戻らなくては。なにせ今日はマリエッタが来ているのだから、殿方達の仕事は半分も進んでいない筈だ。


いずれヘリオス様の婚約者ではなくなるかもしれないけれど、今はまだ、わたくしにも責がある。


人目につかない魔術師棟の裏手から、王宮の入り口へと続く小道を足早に移動する。


その途中に隠れるように置かれたベンチに黒い人影があるのが目にとまり、わたくしはとっさに身を固くした。


こんなところに人が……見られる前に、来た道を戻ろうか。


逡巡しつつベンチの人影を観察したわたくしは、ありえない方のありえないお姿に、思わず息をのんだ。



「あれは……」

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