2-8


 ジャックとキティは店を出て、自宅へと帰ってきていた。キャバレーに忍び込むまでには、まだ時間がある。二人は準備と、休憩をとることで同意していた。

「着替えて来いよジャック。その恰好で行くつもりなら別に良いけどさ」キティはキッチンに立っていた。午後の6時半。そろそろ夕食の時間である。

「ストックが切れそうだ」言いながらジャックは自室に向かう。

「なに? もう? このあいだ買ったばかりだろ」

「毎日、撃たれて。毎日、切られてる。洋服はほとんど使い捨てだ。悲しいね」

「経済的じゃないなあ、もう」キティは鍋に火をかけながら呟いた。

 自室に入ったジャックはクローゼットを開けて、適当なジーンズとシャツを引っぱり出す。メイチスから借りた服を、ベッドの上に置いて、新しいほうの服に着替えた。

 着替えを終えて、ベッド横の机に向かう。そこには愛用の斧が置かれていた。柄は長く、鋼鉄製。刃は幅が広く、分厚く頑丈な造りになっている。振り回すためにバランスを調整された、戦闘用の斧だった。ジャックはそれを手に取り、片手で振り回す。斧の重量を上から下に、勢いがついたところで受け流すようにして、また上に振る。

 ジャックは溜息をついた。この武器は仕事でほとんど使われない。誰が相手だとしても、殺すだけなら素手で足りてしまうからだ。満足にこいつを振るうことを楽しめたのは、いつだっただろうか。

 刃に革のカバーを取り付けて、リビングに戻る。ソファーの横に斧を立てかける。テレビのスイッチを捻り、チャンネルを回すと、カートゥーン・アニメが放送されていた。内容は二人の少年少女が知恵と勇気でトラブルを解決する痛快な冒険活劇だ。毎週同じような展開が続く、子供だましとも言えるものだったが、ジャックは番組に登場する悪役が気に入っていた。

 ミスター・オラフ。彼は悪逆非道なヴァイキングの男だ。いつも懲りずに悪さをしては主人公二人組に倒される。倒されると彼は、玩具のように首が抜けるのだが。そのときに叫ぶ決め台詞がある。「こりゃ、オッたまげた!」だ。今回の放送でも、そろそろ首が──

「オッたまげた!」ジャックは番組とタイミングを合わせて言う。

 ミスター・オラフの首は、ジェット噴射で月まで飛んで行った。ジャックはそれを見て笑いが止まらなくなる。

「それ面白いか?」キッチンからキティが言った。

「最高だ。イギリス人のコントより、数倍面白い」ジャックが答える。まだ笑っていた。

「分かんないなあ。あんたの笑うツボがさ」

 ひとしきり笑ったジャックは、キッチンの様子を見に行くことにした。カートゥーンに夢中で気づかなかったが、かなり刺激の強い香りが漂ってきている。

「今日の献立はなんだい?」

「カレー」キティは鍋をかき混ぜながら答えた。「好きだろ?」

「唐辛子の匂いがする」

「カレーは辛いほど美味いからな」

 ジャックは息を止めて鍋を覗き込む。

「どれくらい入れた?」

「ん、色が変わるまで」キティは鼻歌を歌い始めた。

「一応聞くけど、トマトカレーではないよね?」

「トマト? 入れてないけど」

 真っ赤なカレー。よく見ると、粉が浮いている。細かくすり潰された唐辛子の粉末だった。インド人ならこれを見て微笑むだろうか。

「暇ならあんたも手伝ってよ」

 ジャックはカレーにつけて食べる用のナンを担当した。担当といっても、用意してあった生地をオーブンに入れて焼くだけのことだ。簡単なことだからこそ、少しだけ拘りを発揮して、焼く前のナンにハチミツをかけておいた。

 ナンが焼きあがるタイミングで、カレーのほうも完成した。キティがルーを皿によそう。その後ろを通り抜けて、リビングのテーブルまでナンを運ぶ。すぐにルーも到着する。

 二人は、お互い向かい合った席に座り、手を合わせる。

「いただきます」

 ナンを手でちぎり、ルーにつけて食べる。マグマカレーは予想していたとおりの辛さで、ジャックの舌と喉を一撃で焼いた。彼は黙って席を立ち、マグカップに水を入れて戻ってくる。その間、キティは平気な顔で食事を続けていた。

「あれ? なんで泣いてんの?」キティがジャックを見て言う。

「生理現象だ」ジャックは回らなくなった舌で答えた。「辛すぎる」

「ジャックは舌が子供だなあ」

 キティが三枚、ジャックが一枚の半分を食べたあたりで、話題が今夜の作戦へと移った。

「侵入するといってもな、夜だからって警備が減るわけでもないだろうさ。大事な取引があるとしたら特に」キティが言う。「何か作戦はあるのかよ?」

「作戦というほどのものではないけど。昼間にあの店の裏口を見てきたんだ」ジャックは水を飲んでから続ける。「僕の腕力で開けられそうな扉だった。つまり、裏から侵入するのに鍵は必要じゃない」

「まあ、正面から入るとか。閉店前に入って、隠れておく、とかよりはマシか」

「変に考えたところでどうせ、現場では何が起こるか分からない。臨機応変に行こうじゃないか」

「結局アドリブ、もとい、出たとこ勝負ってわけか」キティは溜息をつく。「なあ、ローズに行く前に一つ聞いても良いか?」

「良いけど、何を?」

「ジャックはあの薬を追ってどうするつもりなんだ? あんたに関係があるってのは分かるけどさ。首を突っ込む理由はまだ聞いてない」

 ジャックは少し、息を吸い込む。呼吸が一瞬の静けさをつくった。つけっぱなしにしていたテレビの中で、フランク・シナトラが「マイウェイ」を歌っているのが聞こえてくる。 

「僕が銀の薬を飲んで……、こうなったのはもう分かっているよね」ジャックは問う。

「なんとなくは、そうじゃないかなと思ってた。もし違ったら。この件に執着する理由がない」キティは答える。

「そうだ」ジャックは頷く。「長い時間、探してきたよ。自分を変えた薬をね。いままでずっと手がかりなんてなかったのに。それが街で出回っている。気にするなと言う方が無理だろう?」

「追う理由は分かった。でも、結局。薬を追いかけて、追いついて。どうするつもりなんだ?」

「わからない」ジャックは首を横に振る。笑みが顔に張り付いていた。

「ジャック。なにか、あたしに言ってないことはないか?」キティはジャックの目を見つめる。

「ないよ、そんなの」

「本当に?」キティはさらに問う。

「本当だよ」ジャックは椅子から立ち上がり自室へ行こうとする。「ごちそうさまでした」

 リビングに残されたキティは、食事を終えて。テレビのスイッチを切った。

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