2-3

 中華食堂「満福まんぷく」から歩いて十分ほどで薄野に到着した。昨日は通り過ぎるだけだったこの場所も、今日は目的地である。少し観察するといつもとは違う雰囲気を感じ取ることができる。それはクリスマスに向けて準備された、大きいモミの木やサンタクロースを模して造られた装飾だけが原因ではない。人々の活気。祭りの前の浮かれた空気が、日常、どこか殺伐とした雰囲気を持つこの街をやわらかく包んでいた。

 本当に人さらいなどいるのだろうか、と考えてしまいそうなほどの平和。

「大狐堂の店主を信じるなら、まずはここらいでの聞き込みから始めようか」ジャックは言う。

「失踪の線をあたるか、それとも、薬を直接探すのか。どっちにしてもやることは同じか」キティが言う。「まあ、固まって動いてもしかたねえや。二手に別れようぜ」

「終わったらどこで待ち合わせる?」ジャックがきいた。

「あー、テレビ塔じゃ遠いし。ソコロフの店はどうだ? あそこなら長いこと居座っても怒られないし」

「わかった、日が傾くころには向かうよ」

「あんたも、これを持ってくれたら楽なんだけどな」キティは自分の腕時計を指差した。

「前にも言ったけど、躰に余計なものをつけるのは嫌だな」ジャックは顔をしかめる。

「まったく……、あたしは『ローズ』から当たってみるから。そっちはそっちで何か見つけろよな」

「じゃあ、また後で」

 軽く手をあげて、ジャックはキティと別れた。

 ジャックは裏通りへと向かうことにした。キャバレー『ローズ』があるメインの通りを左に曲がり、大きいレンガ造りの建物の裏手に回り込む。薄野で何かが起こるとすれば、こういった場所だろうかという期待が、ジャックにはあった。実際、ここは表通りとは別の世界だ。一ブロックも離れていないこの場所。同じ空を共有しているはずではあるが、空気が淀んでいる。泥で汚れた雪の上には、生ごみの小さな山ができていた。おそらく、近くの店が廃棄を面倒くさがってしたことだろう。

 あたりを見回すと、それらの戦利品を漁る、浮浪者が何人か見つかった。ジャックが観察を続けていると、そのうちの一人と目があう。彼は、子供だった。

「今、忙しいかな」ジャックは近くに寄って、声をかけた。「よかったら、話を聞かせてもらいたいんだけど」

 声をかけられた少年は一瞬身を固くしたが、すぐに返事をした。

「話だけ、ですか?」

「うん、話だけ。大丈夫かい?」

 ジャックはそう言って、しゃがみ、目線の高さを彼に合わせた。そのときに気がついたことだが、彼の顔には殴られたような痣があった。

「買ってはくれないのですね」少年が言った。

「買う? 何を?」ジャックは尋ねる。

「一日に一回は、売って……、買ってもらわないと。パパに怒られるんです」

「ああ、なるほど」ジャックは首を横に振った。「一回いくらで売っている? 僕がほしいのは情報だけど、同じだけの額を出すよ」

「ありがとうございます」

 ジャックは少年の言った額を、硬貨で払った。それは安い食堂で、一食、やっと食べられるぐらいのささやかな金額だった。

「薄野で何人も人が消えているのは知っているかな?」

「はい。僕の周りでも小さい子がたくさん消えてますから」少年は下唇を噛んだ。

「その件で、調査をしているんだけど。例えば、どこで誰が消えた、なんてのはわかるかい?」

「僕たちの家で、夜は居たはずの子が。朝になると消えるんです」

「家?」

「この奥に空き地があって、そこでみんな生活しています」

「いつからそれが起こり始めたか、覚えてる?」

「秋の終わりごろだったと思います。そのあたりにエミリ、僕の妹が消えて。それから間を開けて、何人も」

「その子も消える前は、家に居たのかな」

「はい」少年は頷く。

「そうか」ジャックは立ち上がり、言葉を続けた。「君の、家に案内してもらうことはできるかな? 消えた子供たちを追うなら、そこから始めるのが良さそうだ」

「その、すいません。あなたを連れていくとパパは怒ると思うので……」

「ええと、パパって本当の?」

「いいえ。みんなのパパです」

 それを聞いてジャックは溜息をついた。「パパ」というのは話を聞く限り、浮浪児の稼ぎを集める元締めのような人物らしかった。

「家の前まで案内してくれるだけで良い。君が連れてきたとは、わからないようにするから」

 ジャックは紙幣を取り出し、少年に渡そうとする。さっき渡した額の数倍だった。

「こんなに? 良いんですか?」

「君に案内してもらえないと困るんだ。今のところ手掛かりなしだからね」

「お兄さんは、あの子たちを探してくれているんですよね?」

「現状はそうだね。ただ、それ自体が目的ではない」

 少年はジャックの手を、紙幣を受け取らずに押し戻した。

「お金は要りません。さっきの分も返します」少年は下を向いて、黙ってしまう。

「交渉は決裂ってことかな」

「違います」少年はジャックの目を見て言う。「あの子たちが見つかったら僕に教えてほしいんです。そうしてくれるなら、お金はいりません」

「わかった、約束だ」ジャックは頷いた。「約束をするからには名乗っておこう。僕はジャック、君は?」

「ソーヤです」

 彼が歩きだしたのでその後についていく。裏通りの中ほどで、建物の隙間に入り。それからも何度か曲がった。道の途中で数人、ソーヤと同じようなボロを纏った子供とすれ違う。大人は一人も見なかった。

「大人を見かけないね」

「大人はこの辺りだとパパ以外にはいません」

「どうして?」

「パパが追い出すからです。自分以外に大人がいると、稼ぎが減るから、だと思います」

「なるほどね」

 ジャックが黙るとソーヤは無言で案内を続けた。しばらく彼についていったところで、広い道にでた。薄野と大通りのあいだぐらいの場所だ。さっきまでいた裏通りからは少し遠い。

「ここに家が?」

「はい、あそこです」

 彼が指差した方を見ると、そこにはテントの群れがあった。百メートル四方程度の空き地に、カラフルなテントが大小さまざまに集まっている。どれも雪を被っていた。住民たちはどうしているのだろうか、ジャックは不思議に思った。

「パパはいつもどの辺りにいる?」

「あの大きいタープのところです」

 ジャックがそちらに近づこうとしたとき、目的の方向から怒鳴り声が聞こえた。

「クソったれの牧師が! カマくせぇつらで俺に命令しやがって。なにが、子供たちの幸せを願うなら、だ。ぶっ殺してやる!」

「ミスター、私はそんなつもりでは──」

 どちらも大人の男の声だった。

「何事だ?」ジャックはソーヤに尋ねる。

「きっと、近くの協会の牧師さまです。このままじゃ殺されてしまいます!」

「その人は君に親切にしてくれた?」

「はい、とても」ソーヤは縋るような目でジャックを見ていた。

「わかった。見てくるから君はここで待っているんだ」

 ジャックは走って、怒鳴り声の方に向かう。テントとテントの隙間の少し開けた場所で、男が二人争っていた。しかし、争いは一方的なもので、体格のいい浮浪者の男が、もう一人の細身な男を馬乗りになって殴りつけている。周りでは小さな子供たちが不安そうに、それを見ていた。

「おい」ジャックが声をかける。

 体格のいい男が殴る手を止めて、こちらを見た。

「誰だお前。あー、客か? 見てわかるだろうが、今は取り込み中だ。そこで待ってな」

「君が『パパ』か?」ジャックは尋ねる。

「そうだが? やっぱりあんた、客みたいだな。我慢できねえってことなら、その辺のガキと楽しんでいてくれ」男は品の無い笑みを浮かべた。

 こちらが『パパ』ならやはり、殴られている方が牧師だろう。

「すまないが、客じゃない」

「じゃあ、なんだ?」

「情報が欲しくてここに来たんだけど。まあ、ひとまず、それは置いておいて。その男を離してあげてくれないかな。ほら、可哀そうだ」ジャックは牧師を指差す。

「助けてくれ!」牧師がこちらに向かって叫んだ。

「うるせえ」大柄な男に彼は殴られた。

「あんまりやると死ぬんじゃないか?」ジャックが言う。

「そうさ、殺すつもりでやってるからな」男が笑いながら、ジャケットから折り畳み式のナイフを取り出して、パチンと刃を展開した。牧師は悲鳴を上げた。

「仕方ないな」ジャックは男に向かって歩き始める。

「おい、あんた。それ以上近づくなよ」

 ナイフがこちらを向いたが、ジャックはそのまま近づいた。

「聞こえてんのか? クソっ」

 男が牧師を諦めて、こちらに切りかかってきた。

 ジャックは、避けずに、そのまま切られる。

 コートの腹の辺りが横に裂けた。

 男が一度後退する。

「次は掠るだけじゃ済まさねえ。警告は最後だぜ」

「警告? 今のが?」

 男がもう一度向かってきた。

 ナイフが真っ直ぐ、腹に突き立てられた。

 刃が、腹直筋を抜けて、深く刺さる。

 血が流れて雪を染めた。

 それを見た牧師がまた悲鳴を上げる。

「俺は言ったんだぜ。近づくなってよ」男が笑い声をあげたが、それはすぐに止んだ。

 ジャックが男の両腕を掴む。ナイフは刺さったままだった。

 虚を突かれた男は目を丸くした。

「今のも警告か?」

 腕を掴んだまま、男を持ち上げる。

 腕の先を持たれているために、男の体重が全て肘関節にかかる。

「えっ? 痛い痛い痛い! 折れる!」絶叫。

 さらに角度をつけて、持ち上げる。

 男の足が地を離れた。

「何が望みなんだ! やめてくれ!」さらに絶叫。

「情報がほしい。質問してもいいかな?」

「なんだって教えてやる! だから放してくれ」

「駄目だ。質問に答えるまでは離さない」ジャックは続ける。「この辺りで、子供の失踪が続いている。それに関して、君が知っていることを全て教えてほしい」

「こんなんじゃ、話せない!」

「君の都合は聞いてない。自分の子供たちが消えたんだ。何も知らない、なんてことはないだろう」

「売ったんだ!」男が叫んだ。

 ジャックは男を離した。男は地面に尻をつき、すぐに後ろに下がろうとしたが、足が雪を掻いただけだった。

「売った、というのは?」ジャックが刺さったナイフを抜きながら言う。

「ガキどもを売ってくれって奴が来て、そいつに金をもらって売ったんだよ!」

「誰に?」

「知らねえ」

「もう一回だな」ジャックは男に向かって手を伸ばす。

「違う! 本当に知らない! ずっと顔を隠してたんだ、あいつは名前も言わなかった!」

「あいつ?」

「俺のとこにきて、金と引き換えに子供を連れていく奴だ」

「子供はどこへ?」

「それも、知らねえよ。目的を聞かないのが条件だった」

「何も知らないっていうんだな? じゃあ、やっぱりもう一回だ」

「やめてくれよ! あっ、たしかあいつ、自分のこと『教団』だか何だかの人間だって」

「教団? 他には?」

「もう何も知らねえって!」

 気がつくと、牧師の近くにはソーヤがいた。

「ソーヤ。全部聞いてたのか?」ジャックは話しかける。

 彼は頷いた。

「どうしてほしい?」

「そいつを……、殺してください」

 消え入りそうな声だった。俯いていて、表情は見えなかったが彼は泣いていたかもしれない。

「僕は構わないが、君は良いのか?」

 ジャックが問いかけると、ソーヤは再び頷いた。

「ソーヤ! お前、恩を何だと──」

 『パパ』が何か言いかけたが、その口をジャックが掴み、塞いだ。

「良いんです。本当の親じゃありませんから」

 ソーヤの言葉を聞くと、ジャックは空いている方の手で『パパ』の頭を掴み。

 首を捥ぎ取った。

 血が噴水のように噴き出す。

 ソーヤの方に目を戻すと。牧師が彼の目を手で覆っているのが見えた。

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