第12話

(12)




「さて…」

 言ってから彼は背後から『三四郎』を取り出すと二人の間に置いた。イカのあたりめを口の中にぽいと放り込むと僕を見る。

「翌日、僕は仕事が休みだったので、早速こいつとにらめっこすることになりました」

「そうだったのかい」

 相槌を打って彼が僕を見る。

「ええ、僕は今すこし先にあるA図書館に任期付き職員として働いてるんですが、月曜が休みなんです。だから…まぁその時間の暇つぶしみたいな感じですね」

 僕は初めて彼がそんな仕事をしているのを知った。てっきり劇団員だけで生計を立てているものだと思っていた。

 彼がそんな僕の心の声を聞いたかのように笑う。

「はっはっ、流石に売れない役者じゃ、とてもとても食べていけないですよ。今は色んな仕事を掛け持ちしながら劇団員として頑張っているんでさぁ」

 どこの訛りか分からぬ国言葉ではっはっはっと再び笑う。

「そうだったのか。うん、まぁそうだよね、金が無けりゃねぇ」

「そう、銭でさぁ、田中さん。銭が無けりゃ、この四天王寺ロダン、毎晩、このイカのあたりめだけで空腹を満たさなけりゃなりませんぜぇ」

 言ってから彼は縮れ毛のアフロヘアを揺らしながら口に含んだあたりめを呑み込んで笑った。

 僕も彼の後に続いて笑ったが、話が脱線しそうになりそうだったので話題を戻そうと笑いを抑えるように彼に言った。

「それでさ、ロダン君。話をさ…、その『三四郎』に戻すと…」

 彼も僕の言葉で話題が脱線しそうになるのが分かったらしく、小さく咳払いをして僕に向かってまじまじと見つめ返してきた。

「そうです…、『三四郎』ですね。そうそう、僕は月曜の朝起きてからずっとこいつを見ながら考えていたんです」

「どんなことを?」

 ええ、と彼は言う。

「こいつの存在する意味をね」

 彼は髪を掻く。

「存在する意味だって?」

「そうです」

 アフロヘアから手を放して言った。

「実は前の晩、田中さんと酒屋で話した時にも思ったんですが…、この中に告白を書いていた誰か分からぬ人物、まぁこの人物を仮にX氏としましょう。このⅩ氏ですが、彼は非常にどこか『愉快』を楽しむ趣向がある人物ではないかと思いましてね…」

「愉快…?」

「そうです」

 そこで彼は首を軽く揺らすと顎に手を遣って、少し考えるようにしてから話し出した。

「僕がこれを読み終えた直後の感想というのは、X氏は妻に不倫され、それも自分自身は癌に蝕まれ、もう余命も無いと言うのに、それでも自分の死も妻の事も、不倫相手の男の事も何もかも、彼はどこか悲観しているのではなく客観的に遠い空の上からまるで劇が行われている舞台を見て愉しんでいるように思いました。そう考えるとこの人物の性質は先天的にとても明るい人物じゃない、どこか暗くて、そしてイビル…まぁ邪悪を感じる、それもずるがしこさというか、卑屈さの極みというか…狡猾さというかね…」

 彼の話すことに魅入られるように僕は耳を傾けている。

 まるで平家物語の琵琶法師の語る口調のようにどこか怪しくも心の中に染み込んでくる。

「だからですよ…、X氏は自分が知り得る邪悪全てをこの『三四郎』に準備して自分は死後、それが露見すると困る人々のスリルを本当は愉しもうとしたのではないかと思ったのです」

 僕はグラスを置いて、彼の話に聞き入る。

「そこまで考えるとこの『三四郎』の存在する意味と言うのはX氏が仕掛けた自分の死と共に爆発する時限爆弾何でしょう、きっとね」

「時限爆弾…」

「ですよ」

 ロダンが首を縦に振る。

「これからを生きる者にとっては迷惑極まりない、全てを破壊させようとする爆弾です。どうです、田中さん?そう考えるとこかそれは意地の悪さを感じませんか?…でしょう?この愉しみ方は死後の世界でほくそ笑む地獄の亡者のように自分の恨み言葉で生者を操るかのような…そんな暗さですよね。まるで挑戦みたいですよ、X氏が書いていたように、「賭け」ですよね。時限爆弾を爆発させれるかどうかの…」

 そこで彼はビールをぐいと喉に押し込んだ。

(成程な)

 僕は彼と同じように顎に手を遣る。そう考えれば、そうなくもない。自分の死と共に残るものの醜聞をさらす、それも「犯罪」を予見させながら。もしそれが本当ならば全て「答え」を知っていて、生徒の回答を待っている先生みたいなものだ。

 確かに彼が言うように「愉快」なやつ、と言えるだろう。

 僕は顎に遣った手をグラスへと持って、それを手に取った。喉が渇く、そう思ってビールを一口飲んだ。

「そう思うと、じゃぁ僕もいっちょそんなⅩ氏の挑戦に乗ろうじゃないかと勢い込んで、まず今僕が話したことをプロットと仮定して謎を解決してみようと思ったのです」

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